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news commentary

ただより高いものはない

2013-11-16 15:07:45 | Weblog

文部科学省が教科書の検定基準の見直し計画を公にした、という記事がここ数日の新聞で報じられた。歴史事項に関して教科書へ政府見解の記載を求めることなど、6月に自民党の特別部会・教育再生本部がまとめた案が下敷きになっている。

新聞報道によると、自民特別部会は、犠牲者数などが諸説ある南京事件や、強制性をめぐって見解が分かれる慰安婦問題などについて「多くの教科書に自虐史観に立つなど問題となる記述がある」と改定の必要性を主張していた(11月16日付朝日新聞)。

中国と韓国の愛国教育に対抗して、日本でも同じレベルのことをやろうとしているようにも見える。どうやら日本政府は、中韓を相手にした言葉のチキンゲームに子役を本格動員する気らしい。言葉のチキンゲームを下支えするのは、自衛力増強、集団的自衛権、日本版NSC、秘密保護法などなどである。雄叫びをあげ、文武両道で失われたアジアNO.1のポジション奪還を目指すのであろう。

政府見解の教科書への記載のくだりは、かつての『ソ連邦共産党史』を思い出させる。

ソ連共産党内部での権力の移動は『ソ連邦共産党史』に反映された。クレムリン・ウォッチャーは共産党指導部のテラスの立ち位置で権力順位を推定し、ソ連研究者たちは『ソ連邦共産党史』の改訂内容から、党内部権力とイデオロギーの変化を読み取ろうとした。思えばスリリングな謎解きゲームの面白さがあった。

やがて内外の研究者が、日本の初等教育の教科書を開いて、日本政治のイデオロギーの変化と権力者の盛衰を分析する時代が……来ないとも限らないだろう。

さて、本題に戻って、11月16日の朝日新聞朝刊に、1975年から1981年にかけて文部省で社会科の教科書調査官を務めた所功・京都産業大名誉教授(日本法制史)のコメントが載っていた。「義務教育で教科書が国費で無償配布される限りは、政府見解を教科書に書くことは当然」。元教科書検定実務の担当者としては当然の信仰告白だろう。この信仰こそが「憲法第21条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 同第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」という規定の違反者であったという自責の念から、元教科書調査官を救済してくれる。

昔から言う。「ただより高いものはない」。そもそも半世紀ほど前、教科書を無償化しようという法案が審議されていた時、危惧されたのが「金を出せば口も出る」の問題だった。とはいうものの、政府の金は政府が自ら汗水たらして稼いだものではなくて、酉の市の熊手のようなもので、国民全員から掻き集めたものなのだが。

ルイセンコ学説のような例外はあるが、連立方程式、ピタゴラスの定理、化学反応といったハードサイエンスの分野には教科書検定が入り込むすきはない。その方面の教科書は無償のままにしておき、近現代史を扱う歴史・社会など政治的立場が反映される教科書は有償に戻してはどうだろうか。金を払えば、親もその教科書をチェックするだろう。

危うい時代になったものだ。時の権力に距離をおき、広々とした視野をもった歴史教育は、これからは、その子の親自らがきちんと教えるか、親ができない場合は、文部科学省から助成金をもらっていない私塾へ通わせて、学校教育とのバランスをとるしかないだろう。

(2013.11.16 花崎泰雄)
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厳重注意

2013-11-08 23:09:25 | Weblog

新聞報道によると、参議院議長の山崎正昭が、園遊会で天皇に手紙を渡した参議院議員の山本太郎に対して「参院の品位を落とすものだ」と厳重注意したという。また、今後は議員・山本の皇室行事への出席を認めないと伝えたそうだ。

天皇の政治利用はけしからんと、議員辞職ものだ、懲罰だと田中正造まで持ち出して息巻いていたわりには、しまらない結末だった。

しかし、あの手紙といわれている文書は何だったのだろうか。請願なのか、情報伝達なのか、たんなる時候の挨拶だったのか? 内容が公開されていないので、参院議長だって中身を知っていたわけではないだろう、と思われる。

請願であれば、それは憲法16条で認められており、請願法は第3条で、天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない、としている。国会議員としては自らの政治的無能をさらけ出すことになる天皇への請願だが、法律によって認められた権利だ。また請願法は第4条で、請願書が定められた官公署以外の官公署に誤って提出されたときは、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない、と定めている。

手紙であれば、時候の挨拶を含めて、天皇に手紙を書いてはいけないという決まりはない。何かを天皇に直接渡してはいけないという決まりがあるという話も聞いたことがない。

そういうわけで、参議院議員・山本太郎のやったことは、「園遊会の慣行」にそぐわなかったということだけのようだ。

主権回復の日の式典に天皇の出席をもとめ、参加者が式典終了時に天皇陛下万歳と叫んだことがあった。政府主催の行事の慣行にそぐわないと野党は批判したが、どこからも厳重注意の言葉は聞かれなかった。

参議院議長の議員・山本に対する厳重注意の根拠は不明確である。「参院議院運営委員会は8日の理事会で、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した無所属の山本太郎参院議員に対し、山崎正昭参院議長が厳重注意した上で皇室行事への出席を禁止する処分を決めた。いずれも正規のルールに基づかない異例の措置で、国会法で議長に与えられている『秩序保持権』を根拠とした(『産経新聞』11月8日)」。

参議院規則第216条に「すべて紀律についての問題は、議長が、これを決する。但し、議長は、討論を用いないで、議院に諮りこれを決することができる」とあるが、すべての紀律とあるが、これは「院内におけるすべての紀律」のことだろう。園遊会に参院議長の秩序保持権が及ぶという話は聞いたことがない。

(2013.11.8 花崎泰雄)




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拝啓天皇陛下様

2013-11-01 21:06:16 | Weblog

なぜ、彼はその手紙を郵送しなかったのだろうか?

参議院議員の山本太郎が福島原発事故の被曝問題に関連して、10月31日の秋の園遊会で、天皇に手紙を手渡した。このことで、「憲法違反」(自民党参院幹事長・脇雅史)、「辞職ものだ。政治利用そのもので、田中正造に匹敵する」(文部科学相・下村博文)、「極めて配慮にかけた行為」(公明党幹事長・井上義久)、「政治利用を意図したもので、許されない」(民主党国会対策委員長・松原仁)、「陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない」(日本維新の会共同代表・大阪市長・橋下徹)といったコメントが11月1日の『朝日新聞』夕刊にならんだ。

参院議院運営委員長・岩城光英が1日、参院議員・山本太郎から事情を聴き、5日には議運委員会理事会を開いて対応を協議する。事情聴取には与野党筆頭理事が同席し、与党筆頭理事・水落敏栄は記者団に「理事会にかけ、何らかの処分はしなければいけないと思っている」と述べた(『朝日新聞』1日夕刊)。

田中正造が直訴した明治天皇は旧憲法の定めるところにより日本の統治者だったが、いまの天皇は象徴である。山本は天皇に何かできるとでも考えていたのだろうか。

調べてみると、2013年7月23日の読売新聞サイトに次のような記事があった。

「福島県訪問中の天皇、皇后両陛下は23日、前日の大雨により県内で避難者が出たことなどの被害に配慮して日程を取りやめ、この日訪問予定だった同県桑折町の桃農家の人たちと福島市内のホテルで懇談、収穫された桃を食べられた」
 「同町の農家では、原発事故による風評被害に苦しみ、冬の間、桃の木1本1本を除染するなど、出荷に備えてきた。両陛下は、『今年はまたおいしいですね』『今後もおいしい桃を作るためがんばってください』などと話されたという」

天皇にできることは、せいぜいその程度のことだ。

山本太郎の職業は、国会議員であり、その職務は政治を動かすことだ。院内でも院外でもいいから、自らの弁舌をもって政治のコースを決め、変えるのが責務である。理論上はそういうことになる。そのことにこだわるのが、国会議員の矜持というものである。

(2013.11.1 花崎泰雄)
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