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劇場国家

2019-04-30 21:40:56 | Weblog

ドイツ、イタリア、日本で、ナチズム・ファシズム・軍国主義が政治権力を握った1930年代に、アメリカ合衆国の政治学者チャールズ・メリアムが『政治権力――その構造と技術』(邦訳は東京大学出版会)を書いた。

メリアムは同書の中で、権威主義的政治権力は2つの基盤に立っていると説明した。「ミランダ」と「クレデンダ」である。

ミランダは国家、国旗、巨大な記念碑・構造物、権力にまつわる神話や荘重な儀式、軍服のような画一的な制服といった、理性を超えた崇拝心をかき立てる装置の事である。ヒトラーが世界に冠たるドイツ民族とその頂点に立つヒトラー自身の優越性を誇示しようとした1936年のベルリン・オリンピック大会がミランダの好例である。

クレデンダは「イデオロギー」のような理論的な(合理的であるかどうかは別にして)装いをまとった信条をいう。軍国主義時代の日本の「八紘一宇」やナチスの「アーリア民族の優越性神話」などがこれにあたる。権威的政治権力はミランダとクレデンダを巧みに使って、国民の崇拝感情をあおり、権力維持に利用してきた。

1930年代には時代を反映した政治理論だったが、現在ではマイナーな理論になっている。というよりも、権力者が用いるシンボル操作のなかの初歩的な技術の1つになっている。

訪米した日本の安倍総理大臣がアメリカのトランプ大統領に、新しい天皇の即位はスーパーボウルの100倍以上の行事だと言ったそうだ。天皇交代、元号変更、トランプ大統領訪日という一連のイベントを日本の首相は「ミランダ」として利用する。

このようにミランダとクレデンダは、政治権力が自らの権力基盤の強化や永続を目的に利用するものであるというのが政治学の通念だが、これとは逆の理論もある。

クリフォード・ギアツというアメリカの文化人類学者が書いた『ヌガラ――19世紀バリの劇場国家』(邦訳、みすず書房)は米国で出版された1980年から日本語訳が出た1990年以降にかけて、大きな話題を呼んだ。この本の第1章に、当時あまりにも有名になった次の言葉がある。

「王と君主が興行主になり、(ヒンドゥーの)僧が監督を務め、農民が脇役・舞台装置係・観客になる劇場国家だった」。19世紀のバリでは島内が多くの小王国(ヌガラ)に分れていた。それぞれのヌガラで外国人の目に異様に映ったのは儀礼と祝祭の多さだった。大掛かりな君主たちの火葬の儀式、ヒンドゥー寺院への奉納などに多くの富が費やされた。しかし、それは政治的な目的のためにおこなわれた行事ではなかった。行事遂行自体が目的だった。そのために国家(ヌガラ)があった。社会的不平等・抑圧もあったが、不満は政治に向けられることはなく、壮麗な祝祭のなかで昇華され、浄化されるのがバリのヌガラ社会のありかただった。「華麗な行事のために権力があった。権力のために行事があったのではない」。ヌガラの仕組みをギアツはそう言い切った。

このような権力の地位にある者が壮麗な国家的儀礼をおこなうことで、結果として、支配者たることができるという仮説は、天皇が三種の神器を代々受け継ぎ、国家の祭礼を取り仕切ってきた日本の天皇制にも当てはまるところがある。

2019年4月から5月にかけての天皇の交代とそれに関連する元号の変更という行事は、権力によるミランダ操作なのだろうか。それとも、天皇が興行主、官僚が舞台装置係、マスメディアが囃子方、大衆が観客になる、現代版日本劇場国家のスペクタクルなのだろうか。

 (2019.4.30  花崎泰雄)

 

 

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CEO

2019-04-09 19:18:50 | Weblog

クレプトクラシー(kleptocracy、泥棒政治)という言葉がある。泥棒政治家なら kleptocrat である。

ベルリンに本部がある国際NGO・トランスペアレンシー・インターナショナルによると、世界の泥棒政治家のワースト10は①インドネシア大統領だったスハルト②フィリピンの元大統領マルコス③ザイールの元大統領モブツ④元ナイジェリア国家元首アバチャ⑤元ユーゴスラビア大統領ミロセヴィッチ⑥元ハイチ大統領デュヴァリエ⑦元ペルー大統領フヒモリ⑧元ウクライナ首相ラザレンコ⑨元ニカラグア大統領アレマン⑩元フィリピン大統領エストラーダだそうだ。スハルトは何兆円もの金を国から掠め取り、エストラーダは80億円ほど盗んだと推定されている。その他のクレプトクラットが盗んだ金額はスハルトとエストラーダの中間。(詳しい資料は

https://www.transparency.org/whatwedo/publication/global_corruption_report_2004_political_corruption

Global Corruption Report 2004 を開いて13ページに進むと読むことができる)

クレプトクラシーという用語はもっぱら20世紀になって使われ始めた。合法的支配という考え方が広く支持されるようになったせいである。旧体制のカリスマ的支配や伝統的支配が行き渡っていた時代には、国家の多くは家産制の形をとり、そもそもクレプトクラシーを問題にするような人はきわめて少なかった。

豊臣秀吉の醍醐の花見のような規模の催しは、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿造営に比べれば可愛らしい無駄遣いだが、今日の目で見ればクレプトクラシーの一種である。なにしろルイ14世は「朕は国家なり」とのたもうたとされているので、その当時のフランスでその支出の正当性を疑う人はすくなかったことだろう。

そのヴェルサイユ宮殿を借りて結婚披露宴を催し、賃借料をルノーに肩代わりさせた疑いでフランス司法当局の調べが進んでいるカルロス・ゴーン氏への容疑など、フランスが合法的支配を掲げる現代国家なったことの証だ。

さて日本では、ゴーン氏の弁護士が、ゴーン氏の独白録画を4月9日東京で記者たちに披露した。画面のゴーン氏は「私は無実」「日産の陰謀」を主張した。

ゴーン氏がCEOだった時代に日産やルノーから会社の金を私的な目的で流用したと疑われている事件の黒白は裁判を待たねばならない。

もしゴーン氏が「黒」の判定を受けることになれば、CEO の「E」は extortion のEということになる。ゴーン氏が「黒」ということになれば、長年にわたってたかり屋のCEOにしたい放題のことをさせてきた歴代の日産取締役の職務怠慢も厳しく責められることになる。同時に、世界的企業のCEOがたまたまたかり屋になったのか、たかり屋がたまたたま世界的企業のCEOになったのか、ノンフィクション『ゴーン一代記』の出版も待たれる。

 (2019.4.9 花崎泰雄)

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れいわ

2019-04-02 21:32:38 | Weblog

新聞の1面にでかい活字で「令和」とあった。新しく日本で使われる年号だという。「初春令月気淑風和」という大伴旅人の言葉が典拠となった。

優雅な言葉であるが、「令」と「和」を組み合わせた「令和」という熟語は見たことが無い。年号はめでたい言葉を2つ拾い出して組み合わせたものだから、その組み合わせがめでたいか、そうでないか、一概には言えない。

「令」は「令嬢」「令名」の「れい」だが、一方で、「命令」「律令」「軍令」「戒厳令」などの「れい」でもある。杜甫の「後出塞」という詩には、

 

   朝に東門の営に進み 暮に河陽の橋に上る
     落日大旗を照らし 馬鳴いて 風蕭蕭たり
    平沙万幕を列ね、部伍各々招かる
    中天に明月懸かり 令厳にして夜寂寥たり
    悲笳数声動き、壮士惨として驕らず
    借問す 大将は誰ぞ 恐らくは是れ 霍嫖姚ならん

  とある。「令厳にして夜寂寞たり」の「れい」でもある

 

「和」はやわらぐの意。めでたい言葉で老子も仏教も「和光同塵」を言う。「やはす」(和す)は、「やわらげる」と言う意味と「帰服させる」という意味もある。帰服は古くは「きぶく」と読んだ。降伏させて支配下に置くことである。大伴家持の歌に、

 

   久かたの天あまの門開き高千穂の岳に天降し
   天孫の神の御代より梔弓を手握り持たし
   真鹿児矢を手挟み添へて大久米のますら健男を
   先に立て靫取り負ほせ山川を岩根さくみて
   踏み通り国覓ぎしつつちはやぶる神を言向け
   まつろはぬ人をも和し掃き清め仕へまつりて
   蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の宮に
   宮柱太知り立てて天あめの下知らしめしける

とあり、「まつろはぬひとをも和し」とあるは、服従しない人を降伏させて支配下に置く、と言う意味である。英語の pacify に「鎮圧する」という意味があるのと同じである。かつてベトナム戦争で米国が “pacification” という言葉を使った。解放軍が根拠地にしていた農村地帯を制圧しようとするプログラムだった。

語義には多面性がある。年号に「言霊」があるかのような「敷島の大和の国は言霊のたすくる国そまさきくありこそ」など根っから信じない人にとっては、年号など無用の「符牒」にすぎない。

筆者は「れいわ」と言う音を聞いて「零和」の字を思い浮かべた。「零和」とは英語「ゼロ・サム(zero sum)」の日本語訳である。

(2019.4.2 花崎泰雄)

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