今日(4月18日、金曜日)の朝日新聞朝刊(東京本社版14版)の社会面に興味深い記事が載っていた。「聖火巡る混乱『迷惑』 リレー迎える長野市長」。
記事の概要はこうだ。北京五輪のトーチ・リレーを26日に迎える予定の長野市の鷲沢正一市長が17日、長野市内で開かれた経済団体の会合に出席、あいさつの中で「聖火リレーが決まった昨年春は大喜びだった。こういう状況になるとは全く想定外だった」と述べた。鷲沢は 長野オリンピックのときは、自身が聖火ランナーを務めた経験も披露し、「当時は警備なんてほとんどおらず、みんなが祝福する中で 走ることができた。これがこんな状況になってしまって、大変実は迷惑千万」と明かした。「迷惑千万」発言について、市秘書課は「リレーそのものではなく、あくまで騒動や混乱などに対しての発言」としている。
祭礼の屋台巡行なら不穏な動きがあるので今回は中止――てなこともできるのだろう。だが、ナショナリズムの応援団を従え、国家の威信をかけた「たいまつリレー」ともなると、ことは一気に面倒になる。
クーベルタンが彼なりの理想主義をかざして復活させたオリンピックの悲惨な歴史が終りに近づいている。『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(2008年4月14日)で、 “Stop the Games:Faster, higher, stronger, no longer” (より速く、より高く、より強く、もうたくさんだ―オリンピックなんかやめちまえ)という論評を、つむじ曲がりの作家 Buzz Bissingerが書いていた。ビッシンジャーの例示を読むと、さすがに近代オリンピックを取り巻く暗い歴史に唖然とする。
① 1968年のメキシコ・オリンピックの10日前、メキシコでトラテロルコ虐殺事件が起きた。政府への抗議集会に治安部隊が発砲した。推定死者数200-300。
② 1972年のミュンヘン大会。ブラック・セプテンバーがイスラエルの選手を人質に取った。結局、11人の死者が出た。
③ 1976年のモントリオール大会では、女子水泳の競技で13の金メダルのうち11を東ドイツが独占した。のちに選手たちが長年にわたってステロイドを使っていたことが判明した。
④ 1980年のモスクワ大会。ソ連のアフガニスタン侵入に抗議して、アメリカ合衆国をはじめ約60の国がモスクワ・オリンピックをボイコットした。
⑤ 1984年のロサンジェルス大会。前回の報復としてソ連などがボイコットした。オリンピックの商業化が本格化した大会。オリンピックは政治と金まみれになってゆく。
⑥ 1988年のソウル大会。大会施設建設のため72万の市民が移転させられた(北京オリンピックでは150万人にのぼったと推定されている)。
⑦ 1996年のアトランタ大会。爆弾事件で死者2。
⑧ 2000年のシドニー大会。マリオン・ジョーンズが3つの金を含む5つのメダルを獲得したが、のちに薬物使用が判明、現在獄中。
⑨ 2002年のソルトレーク冬季大会前に、国際オリンピック委員会の役員が候補地指名で買収されていたことがわかった。
⑩ 2004年のアテネ大会。ギリシャ政府がオリンピックのために使った金は120億ドル。ギリシャ経済の5パーセントにも達した。
ビッシンジャーのネガティブな思考は更に続く。中国の人権問題を理由にドイツのメルケルとイギリスのブラウンは開会式に出ないようだし、フランスのサルコジはいまのところ洞ヶ峠だ。アメリカのブッシュは出席するらしい。
仮定の話だが、もし、アメリカ合衆国がオリンピックのホスト国だったとしたら、イラク占領や、アブ・ガリブ監獄やグアンタナモ収容所の人権蹂躙問題で、各国首脳は開会式への出欠の検討を迫られるのだろうなあ。オリンピックをクーベルタンが提唱したようなスポーツの祭典にもどす薬は、もはやみあたらない。オリンピックを救済する唯一の方法は、オリンピックを永久にやめることだ。ビッシンジャーはそう考えるのだ。
以上のようなことを念頭に置きながら、これからの数ヵ月間の成り行きを観察すれば、オリンピック競技の中継以上に楽しめるだろう。
なお、ビッシンジャーの寄稿は
http://www.iht.com/articles/2008/04/13/opinion/edbissing.php
を参照。
(2008.4.18 花崎泰雄)
記事の概要はこうだ。北京五輪のトーチ・リレーを26日に迎える予定の長野市の鷲沢正一市長が17日、長野市内で開かれた経済団体の会合に出席、あいさつの中で「聖火リレーが決まった昨年春は大喜びだった。こういう状況になるとは全く想定外だった」と述べた。鷲沢は 長野オリンピックのときは、自身が聖火ランナーを務めた経験も披露し、「当時は警備なんてほとんどおらず、みんなが祝福する中で 走ることができた。これがこんな状況になってしまって、大変実は迷惑千万」と明かした。「迷惑千万」発言について、市秘書課は「リレーそのものではなく、あくまで騒動や混乱などに対しての発言」としている。
祭礼の屋台巡行なら不穏な動きがあるので今回は中止――てなこともできるのだろう。だが、ナショナリズムの応援団を従え、国家の威信をかけた「たいまつリレー」ともなると、ことは一気に面倒になる。
クーベルタンが彼なりの理想主義をかざして復活させたオリンピックの悲惨な歴史が終りに近づいている。『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(2008年4月14日)で、 “Stop the Games:Faster, higher, stronger, no longer” (より速く、より高く、より強く、もうたくさんだ―オリンピックなんかやめちまえ)という論評を、つむじ曲がりの作家 Buzz Bissingerが書いていた。ビッシンジャーの例示を読むと、さすがに近代オリンピックを取り巻く暗い歴史に唖然とする。
① 1968年のメキシコ・オリンピックの10日前、メキシコでトラテロルコ虐殺事件が起きた。政府への抗議集会に治安部隊が発砲した。推定死者数200-300。
② 1972年のミュンヘン大会。ブラック・セプテンバーがイスラエルの選手を人質に取った。結局、11人の死者が出た。
③ 1976年のモントリオール大会では、女子水泳の競技で13の金メダルのうち11を東ドイツが独占した。のちに選手たちが長年にわたってステロイドを使っていたことが判明した。
④ 1980年のモスクワ大会。ソ連のアフガニスタン侵入に抗議して、アメリカ合衆国をはじめ約60の国がモスクワ・オリンピックをボイコットした。
⑤ 1984年のロサンジェルス大会。前回の報復としてソ連などがボイコットした。オリンピックの商業化が本格化した大会。オリンピックは政治と金まみれになってゆく。
⑥ 1988年のソウル大会。大会施設建設のため72万の市民が移転させられた(北京オリンピックでは150万人にのぼったと推定されている)。
⑦ 1996年のアトランタ大会。爆弾事件で死者2。
⑧ 2000年のシドニー大会。マリオン・ジョーンズが3つの金を含む5つのメダルを獲得したが、のちに薬物使用が判明、現在獄中。
⑨ 2002年のソルトレーク冬季大会前に、国際オリンピック委員会の役員が候補地指名で買収されていたことがわかった。
⑩ 2004年のアテネ大会。ギリシャ政府がオリンピックのために使った金は120億ドル。ギリシャ経済の5パーセントにも達した。
ビッシンジャーのネガティブな思考は更に続く。中国の人権問題を理由にドイツのメルケルとイギリスのブラウンは開会式に出ないようだし、フランスのサルコジはいまのところ洞ヶ峠だ。アメリカのブッシュは出席するらしい。
仮定の話だが、もし、アメリカ合衆国がオリンピックのホスト国だったとしたら、イラク占領や、アブ・ガリブ監獄やグアンタナモ収容所の人権蹂躙問題で、各国首脳は開会式への出欠の検討を迫られるのだろうなあ。オリンピックをクーベルタンが提唱したようなスポーツの祭典にもどす薬は、もはやみあたらない。オリンピックを救済する唯一の方法は、オリンピックを永久にやめることだ。ビッシンジャーはそう考えるのだ。
以上のようなことを念頭に置きながら、これからの数ヵ月間の成り行きを観察すれば、オリンピック競技の中継以上に楽しめるだろう。
なお、ビッシンジャーの寄稿は
http://www.iht.com/articles/2008/04/13/opinion/edbissing.php
を参照。
(2008.4.18 花崎泰雄)