「時は春、日は朝、朝は七時、片岡に 露みちて、あげひばり、名のりいで、かたつむり、枝にはひ、神、空に しろしめす、すべて世は 事もなし」
ロバート・ブラウニングの長い詩劇の一節の上田敏訳の名調子だ。牧歌的である。ロシアはウクライナから兵を引く気配を見せず、イスラエルの攻撃でガザは飢え、このままでは先は長くない。アメリカの大統領は世界情勢の管理など、オレがやればちょろいものだとほらを吹いていたが、混乱する国際情勢を鎮静化することもできず、憂さ晴らしに米国内で大学を相手に「内戦」を始めた。
「神、空にしろしめす、すべて世は事もなし」はブラウニングの発明ではなく、旧約聖書のころから言われていた。「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。コヘレトは言う。なんという空しさ、すべては空しい……かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。見よ、これこそ新しい、と言ってみても、それもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった。昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも、その後の世にはだれも心に留めはしまい」(新共同訳聖書)
辞書にあたると、「太陽の下、新しいものは何ひとつない」は人口に膾炙された言葉で、ラテン語の格言 "nihil sub sole novum" になっている。
関税障壁を張りめぐらせた米国の大統領はトランプ氏だけではない。第25代のマッキンリー氏も関税好きの保護貿易論者だった。同時に植民地獲得が好きな拡張主義者だった。米西戦争を始め、プエルトリコ、グアム、フィリッピンを併合、ハワイを属領にした。支持者の運動でアラスカの高山・デナリ(地元の先住民族がつけた名)がマッキンリー山とよばれるようになった。マッキンリー山はオバマ大統領の時代に元の名前・デナリに戻されたが、トランプ大統領が再びマッキンリーと旧名に戻した。トランプはオバマよりもマッキンリーが好きなのだ。
トランプ大統領はパナマ運河はアメリカのものだ、グリーンランドをアメリカの支配下に置きたい、カナダを51番目の米州にしたい、ガザから住民を集団移転させて更地にし、一大観光・保養地を建設したいといった。
オーストラリアの岩山・ウルルはかつてエアーズロックの名で知られたが、時の流れる中で岩山は地元のオーストラリア先住民族に完全返還され、先住民族にとっての聖なるウルルは登山禁止の山となり、観光登山道に沿ってうたれていた登山補助の金属製の杭はすべて引き抜かれた。
トランプ氏お得意のMAGA(Make America Great Again) も1980年の大統領選挙でレーガン氏が使ったスローガン “For those who’ve abandoned hope, we’ll restore hope and we’ll welcome them into a great national crusade to make America great again”の焼き直しである。
同じことをロシアのプーチン大統領も考え、行動している。「ロシアを再び偉大な国に」。それはソビエト連邦崩壊で散り散りになった元の連邦構成国をロシアの影響下に取りもどし、西洋世界に対する緩衝地帯をぶ厚くしておきたいというロマノフ朝時代からの安全保障の固定観念である。
(2025.6.6 花崎泰雄)