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news commentary

黄金の便器

2018-01-29 22:38:21 | Weblog

このニュースは旅先のホテルのテレビで見た。

ドナルド・トランプ米大統領がホワイトハウスの飾りにゴッホの『雪のある風景』を借用できまいかとニューヨークのグッゲンハイム美術館に依頼した。

美術館から丁重な返事があった。申し訳ありませんがゴッホのあの絵は原則貸出し禁止になっており、お貸しできません。代わりにこれはどうでしょうか、と18金の便器の貸し出しを提案した。

抱腹絶倒のお話だが、報道によれば、これは昨年9月のことで、トランプ氏の「シットホール」発言以前の出来事だった。

報道によると、ホワイトハウスの美術担当者のドナ・ハヤシ・スミス氏が、ホワイトハウスの大統領レズデンス(公邸部分)の装飾用に貸し出しを要請し、グッゲンハイムの主任キュレーターのナンシー・スペクターが要請を断った。このやり取りはeメールで行われ、グッゲンハイム美術館もホワイトハウスもかん口令が敷かれていたが、その交信記録を手に入れたワシントン・ポスト紙がすっぱ抜いた。伝えられるところでは、スペクター氏はトランプ大統領に批判的だったという。

ゴッホの代わりにスペクター主任キュレーターが提案した18金の便器は、イタリアの芸術家マウリッツィオ・カッテラン氏の作品で作品名が『アメリカ』。

順番から言えば次のようになる。カッテラン氏が成金アメリカを風刺し、トランプ氏の金色好きを風刺してスペクター氏がホワイトハウスに金の便器の貸し出しを提案した。ガッツのある話ではないか。そのあとトランプ氏が「シットホール」と言った。

日本の安倍首相はトランプ氏に金色のテーブルクロスを贈っている。

(2018.1.29 花崎泰雄)

 

 

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核抑止力

2018-01-20 22:16:30 | Weblog

「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら生きるに値しない」

さきごろレイモンド・チャンドラーの長編7作を完訳し終えた村上春樹の『プレイバック』の訳文である。原文では、フィリップ・マーロウは次のように言っている。

“If I wasn't hard, I wouldn't be alive.  If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.”

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない」。私の若いころにはそんな言い回しで流行った。ハードボイルド小説の美学だった。村上春樹氏も訳書『プレイバック』(早川書店、2016年)巻末の訳者あとがきで、マーロウのこの決め台詞の過去の訳文を詳細に解説している。

「個人と国家はともに、たとえば自由のような普遍的な道義原則によって政治行動を判断しなければならない。ところが、個人はこのような道義原則を擁護するために自己を犠牲にする道義的権利を持っているが、国家は、自由の侵害に道義的非難を加えて政治行動の成功――このこと自体が、国家生存という道義原則によって導かれているのだが――をおぼつかなくするような権利は何らもっていない。……抽象レヴェルの倫理は、行動をそれが道徳律に従っているかどうかによって判断する。政治的倫理は、行動をその政治的結果如何によって判断する」

ハンス・モーゲンソーの有名な『国際政治(第5版)』(福村出版、1998年)の1節である。

2017年のノーベル平和賞受賞団体・「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が1月16日、衆院第1議員会館で、国会議員と討論した。

フィン事務局長は、核の抑止力は神話にすぎず、日本は核兵器廃絶に向けたリーダーになれる、と呼びかけた。『ハフィントン・ポスト』によると、佐藤正久・外務副大臣が、「日本を取り巻く安全保障環境は戦後最も厳しいと言っても過言ではない。核兵器禁止条約は現実の安全保証の観点を踏まえていないため、署名することはできない」と発言した。

フィン事務局長が、①アメリカや世界にある核兵器は北朝鮮の核開発を押しとどめる抑止力として役に立たなかった。核の抑止力は神話である②むしろ核開発を煽ってきた③北朝鮮が核兵器を持つことに不安を感じるのは、核兵器が平和と安定をもたらさないことをだれもが知っているからだ、と主張した。

これに対して、佐藤外務副大臣は①核兵器禁止条約の目指す核廃絶というゴールは共有している②北朝鮮の核は差し迫った脅威である③日本国民の命と責任を預かる政府としては、米国の抑止力が必要だ、と反論した。

フィン事務局長は安倍首相との面会を日本政府に求めたが日程の都合により実現できないと断られた。

安倍首相は去年8月9日、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長に「あなたはどこの国の総理ですか。今こそあなたが世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきです」といわれたことがあった(東京新聞)。

安倍首相を頭に日本政府の面々はその行動規範として、モーゲンソーのいう道徳律よりも政治倫理を優先させるリアリストであり、レイモンド・チャンドラーのいうhard と gentleの二項対立のhard面に固執する。

「核の抑止力は神話である」とするICAN事務局長・ベアトリス・フィン氏と、北朝鮮の核の脅威を喧伝し、米国の核を至上の安全保障政策とする日本国総理大臣・安倍晋三氏と間の火を吹くような討論を見たかった。米露英仏中印パの核の抑止力があって世界の平和が守られているのか、北朝鮮の核だけが平和の攪乱要素なのか、核抑止力というのは幻想であって、実際は核の不安定なゲームが繰り広げられたにもかかわらず、幸運にも世界は何とか破局を免れて来たのか、安倍首相の深い洞察力を誰もが知りたがっている。

安倍首相は2016年9月の第71回国連総会で次のように演説した。

「議長、北朝鮮は今や、平和に対する公然たる脅威としてわれわれの正面に現れました。これに対して何ができるか。今まさに、国連の存在意義が問われています。北朝鮮は、SLBMを発射しました。その直後には、弾道ミサイル3発を同時に放ち、いずれも1000キロメートルを飛翔させ、我が国排他的経済水域に着弾させました。このとき民間航空機や船舶に被害がなかったのは、単にまったくの偶然に過ぎません。北朝鮮は本年だけで、計21発の弾道ミサイルを飛ばしました。加えてこのたび9月9日には、核弾頭の爆発実験に成功したと宣言しています。核爆発実験は、今年の1月に次ぐものでした。しかし一連のミサイル発射と核弾頭の爆発は、景色を一変させるものです。北朝鮮による核開発は、累次に及ぶ弾道ミサイル発射と表裏一体のものです。北朝鮮は、疑問をはさむ余地のない計画を、我々の前で実行しているのです。今やその脅威は、これまでとおよそ異なる次元に達したと言うほかありません」

フィン事務局長が上記の安倍・国連演説を引合いに出し、安倍首相自ら核の抑止力の破綻を認めているではありませんか、と詰め寄った時、安倍首相がなんと応じるか、興味があったのだが……。

(2018.1.20  花崎泰雄)

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旅費について

2018-01-15 19:59:41 | Weblog

さきごろ尖閣諸島周辺の接続水域内を潜航した中国海軍の潜水艦が攻撃型原子力潜水艦だったと防衛大臣が1月15日に公表した。カメラの前で「領土保全や国民の生命財産を守るための態勢を一層進める」と語るはずの安倍首相がテレビに出てこないので、どうしたのかなといぶかっていたら、彼はバルト三国・東欧訪問の旅に出ている最中だった。

それにしても、安倍首相は暇を見つけてはまめまめしく海外に出張する人だ。もっか日本とバルト三国の間になにか緊急にして重要な問題が浮上しているようには見えないから、この訪問は友好関係の基盤整備事業のようなものである。新聞などには北朝鮮問題と関連していると書かれているが、地政学的にはバルト三国は北朝鮮から遠い。

ところで、朝日新聞(2018年1月15日付朝刊)によると、安倍首相は、今回の訪問を含めると第2次安倍政権の発足から5年1カ月で76カ国・地域を訪問した。首相在任期間が5年5ヵ月だった小泉純一郎氏の49ヵ国・地域を上回るのだそうだ。

舛添・前東京都知事の海外出張経費が話題になっていた2016年に、衆議院で安倍首相の外遊旅費について質問書が出され、それに対して政府が答弁書をだした。それによると、安倍首相は2012年12月の首相就任から2016年5月までの間に41回の外国訪問を行った。そのうち40回分については決算・清算が終わっており、総額で費用は87億7400万円だった。

87億円余のお金が過剰か、妥当か、少なすぎるか、あるいはお金が有意義に使われたのかどうか、この判断は難しい。とくに意義については、ないと主張しようにも具体的な証拠がなく、あると主張しようにも具体的な証拠がない。

去年の4月ごろイギリスのインディペンデント紙がトランプ米大統領の旅費について記事を掲載したことがあった。それによると、トランプ氏は就任10週間で日本円に換算して26億円ほどの旅費を使ったそうである。オバマ前大統領が最初の2年間で使った金額にあたる。

トランプ大統領の旅費のほとんどがフロリダの別荘マララーゴで週末を過ごすためだった。大統領の旅行ともなれば多額の警備費用がかかる。

一国の最高指導者の旅行ともなれば金はかかるだろう。そのうえ、使い過ぎだといって注意する上司もいない。いるのは、じゃんじゃん使って言い仕事をしてくださいという、ごますりばかりだろう。

そのお金を使う指導者の方だが、これだけの金を使うにふさわしい仕事を自分はやっているのだろうかと、旅先でわが身を振り返ることがあるのだろうか。

(2018.1.15  花崎泰雄)

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Does Size Matter?

2018-01-06 23:31:03 | Weblog

 Does Size Matter? なんて見出しをつけるとちょっとあぶない話かなと誤解されそうだが、お話したいのは性事ではなくて政治のこと。ただし、こちらの政治の話も危ない。もっと危ない。

キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長が今年の元旦メッセージで「合衆国はわが国の核ミサイルの到達圏内にある。核のボタンは常時わが執務室のデスクの上におかれている」と豪語した。新聞やテレビ、インターネットのニュースでご覧になったことだろう。キム・ジョンウン氏に対抗して、合衆国のドナルド・トランプ大統領もツイッターを使って咆哮した。「わが方の核ボタンはもっと大きくて、もっと強力である」。

相互確証破壊(mutual assured destruction, MAD)の時代、あのmadnessの時代でも、キム・ジョンウン―トランプのような声高な恫喝合戦は聞こえてこなかった。一般大衆には見えない、声も聞こえない外交のバックチャンネルで脅迫合戦が繰り広げられた。普通の人には「我が国は先制核攻撃の権利を放棄しない」程度の抽象化した声しか聞こえてこなかった。リチャード・ニクソンはベトナム戦争終結に手を焼いていたころ、「ニクソンが怒りにまかせて手に核のボタンを持てば、もはや誰も制しようがなくなる“マッドマン”だということを北ベトナムの連中に信じさせたい」と言ったそうだが、それは北ベトナムや国際社会に対して明言したのではなく、ニクソンの側近にこぼした愚痴であった。

したがって、二国間関係を憎悪と敵意の言葉の応酬から計量分析する外交的危機の研究手法を用いると、米朝関係は戦争の瀬戸際に立っている。1962年のキューバ危機の際の米ソ対決は、派手な罵り合いは表だってなかったが、米艦艇がカリブ海をブロックし、その封鎖線に向かってソ連船が突き進んで行くという具体的な事実があって、皆が震え上がった。おそらく米大統領・ケネディもソ連首相・フルシチョフも震えていたことだろう。

キム―トランプ間には憎悪の言葉の交換はあるが、この2人はテレビで映像を見ている限りでは、かれらの容姿・振る舞い・発言がマンガチックで、どこかの首相のように心底北の脅威を感じる気にも、アメリカの核の傘を無邪気に信じる気にもなれない。俺のボタンはお前のより大きい、なめんじゃないよ、だって。ははは。

1月3日のニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、アメリカ合衆国大統領は核のボタンというものを持っていないそうである。大統領付の武官が提げているブリーフケース、俗に核のフットボールとよばれているものの中には、核攻撃のための手順書、核ミサイルの基地一覧、トランシーバー、そして秘密コード入力装置が入っている。核のボタンはレトリックにすぎない。

ニューヨーク・タイムズ紙の見立てによると、おそらくキム・ジョンウン氏の執務室のデスクにも核のボタンはないだろうということである。北朝鮮の長距離ミサイルは液体燃料を使っており、燃料注入に数時間かかる。ボタンを押して、はい、発射というようなものではないらしい。

笑い事では済まないのは、一国の最高指導者が核による恫喝をかたやツイッターに書き散らし、かたや喚き散らすという、その粗雑なメンタリティーである。トランプ大統領のメンタリティーに関しては、米上院にも危惧する議員がいて、ボブ・コーカー上院外交委員長は昨年、大統領の核使用権限に歯止めをかけるための公聴会を開催している。

(2018.1.6  花崎泰雄)

 

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ああ除夜の鐘が鳴る

2018-01-01 00:45:53 | Weblog

「そもそも議会は、人民を代表するものとされてきたが、この原則自体が非民主主義的なものである。なぜなら、民主主義とは人民の権力であって、人民の代表が人民に代って権力を行使することではない。議会が存在するということは、ただそれだけでは、人民の不在を意味する。真の民主主義は、人民自身の存在をもってはじめて可能となるのであり、人民の代表によってうみだされることはない。議会は権力の執行から人民を合法的に引き離すための機関となってきた。大衆は政治から疎外され、代表機関が人民の主権を横取りしてしまった。人民の手に残されたものは、欺瞞的な見せかけだけの民主主義であり、それは、たかだが投票箱に一票を投ずるための長い行列によって示されるようなものである」

どこの国の民主主義を論じているのでしょうね。いまの日本かもしれませんね。このあいだの総選挙の小選挙区で自民党は48%の得票率で議席獲得率が75%ですからねえ。1年ちょっと前のアメリカの大統領選挙では、得票数ではヒラリー・クリントンがドナルド・トランプを上回っていましたが、選挙人獲得数では逆にトランプがクリントンを上回りました。

次に、もう一つ。

「国家はあらゆる政治社会における最高の強制権力だ、と説かれている。だがその強制権力は実際では、その社会で生産手段(instruments of production)を所有するひとびとの利益を保護し助長することに使用される。国家は与えられた階級関係の体系を維持する意志を表現しており、その最高強制権力をこの目的に使用することで、そうしている。結局、この権力は、国家の防衛諸力(defence forces)から成り立っている。この防衛諸力は、最後の瀬戸際に、生産手段の所有者の意志を、そういう所有から排除されたひとびとに押しつけるためにつかわれる」

ふむふむ。こういう国はどこにでもありそうですね。アメリカ合衆国の政治は金満家に乗っ取られたようにも見えます。「生産手段」を「毛並」と言いかえると日本の政治の現状のようにも見えます。「党・官僚(軍を含む)・企業家」と換言すれば、お隣の中国のようにもみえますね。最後の一行など、かつての天安門事件を思い出させます。

最初の「そもそも議会は……」で始まる引用は、ムアンマル・アル・カッザーフィ『緑の書』(藤田進訳、第三書館、1980年)から。カッザーフィとはリビアの、あの、故カダフィ氏です。なぜか、書棚の奥から今日ポロリと出てきました。カダフィ氏自身は独裁の実践者ですから、ゴーストライターがいたとしても、“筆先三寸”というか、口は重宝なものというか、そうした本の見本です。ですが、独裁者が観察しても普通の人が観察しても、政治の陥穽は同じところにあるというのが面白いですね。

二つ目の引用は、ハロルド・ラスキ『政治学大綱』(日高明三・横越英一共訳、法政大学出版局、1967年)。私が好きな政治学の教科書の1つで、いまでも、パラパラとページをめくることがあります。原著は1925年から1938年にかけて版を重ねてきた政治学の古典です。

年月がたっても政治は変わらないというか、ちっともよくならない、場合によっては後退もする、という感慨です。とりとめのない話になりました。除夜の鐘が鳴っています。団地の中なので近くに寺はありません。テレビの音声です……。

(2017年12月31日 花崎泰雄)

 

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