Podium

news commentary

何て間がいいんでしょ

2016-05-28 00:15:11 | Weblog

「さざえのつぼ焼き、何て間がいんでしょ」という俗謡を思い出した。

G7の伊勢志摩サミットで議長を務めた日本の安倍晋三首相は、リーマン・ショック級の経済危機再来の可能性に備えて財政出動を説いたが、ドイツのメルケル首相らに受け入れられず、少々トーンダウンした形で、首脳宣言の中に「新たな危機に陥ることを回避するため、適宜にすべての政策対応を行う」「金融、財政、構造改革を総合的に用いる」という文言を盛り込むことに成功した、と5月27日の朝日新聞が伝えていた。

これで、消費税の再先送りをきめるにあたって、アベノミックスが失敗したわけではなく、日本が主導的な立場で世界経済の成長に貢献するためだ、という大義名分ができたわけだ。衆参同日選挙の声が小さくなったのは、実施したところで自民党は衆院で議席減になるだろうという、調査結果が出たからだそうだ。

伊勢志摩サミットを終えて、米国のオバマ大統領が広島の平和記念公園で献花したさいも、安倍氏はオバマ氏に同行、一緒に献花し、オバマ大統領のヒロシマ・スピーチに立ち会った。米国の現職大統領に被爆地・広島に初めて訪問してもらう段取りを作り上げた日本国首相になったわけである。参院選ではこのオバマ効果が大いに利用されることだろう。

オバマ大統領にとっても、広島訪問はちょうどいいころあいだったようである。歴代のアメリカ大統領にとっては、広島を訪問すれば、それはトルーマン大統領の原爆投下の決定についての謝罪と受け止められかねないという懸念があった。

最近では原爆使用についてのトルーマン大統領の決定について、米国民の意見も変化がみられる。2015年の米国の世論調査では、65歳以上の米国民の65パーセントが原爆使用は正当だったという意見に対して、18歳から29歳の若い世代では47パーセントと半数を割っている。共和党支持者の74パーセントは正当だったとみなし、一方、民主党支持者では52パーセントにとどまる。

こうした世論の変化を見てホワイトハウスは、2016年はオバマ大統領の任期最後の年であり、謝罪ではなく、日米の同盟強化と核兵器の危険性を訴えるためになら、広島に出かける価値はあると判断した、と5月27日のワシントン・ポスト紙は伝えている。

オバマ大統領は広島スピーチの最後の部分で、

……a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.

謝罪ではなく、核兵器のない世界の実現を訴えに来たのだ、と語っている。

ふりかえれば、オバマ大統領は1期目の就任まもなくの2009年4月5日、訪問先のプラハ・フラッチャニ広場で、「ゴールはまだ先のことで、おそらく私が生きている間には到達できないかもしれないが」としながらも、核兵器のない世界の実現を訴えた。この演説によってオバマ大統領はノーベル平和賞を贈られた。

だが皮肉なことに、オバマ政権下では核軍縮は思うほど進まなかった。冷戦終結後の米大統領はブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)、オバマの4氏だが、米国が保有する核弾頭の削減個数で見ると、オバマ政権の時代が最も少ない。これは核軍縮ではロシアという核大国との均衡に配慮する必要があり、プーチン政権との核軍縮交渉が進まなかったのが一因であるとされている。

しかながら、ノーベル平和賞を受け取ってしまったオバマ氏としては、内心忸怩たるものがあったのだろう。そこで広島を訪れ、いま一度、核のない世界へ向けた平和の哲学を世界に向けて語りたくなったのであろう。

広島スピーチで「恐怖のロジックから脱し、核兵器のない世界を追求する勇気を持たねばならない」と語ったが、プラハ・スピーチと同じように、「私が生きている間には実現できないかもしれないが」とも見通しをつけくわえた。

オバマ大統領のプラハ・スピーチも、広島スピーチもよく似たレトリックを使っている。プラハ演説では、

 * We are here today because enough people ignored the voices who told them that the world could not change.

 * We’re here today because of the courage of those who stood up and took risks to say freedom is a right for all people…

 * We are here today because of the Prague Spring…

 * We are here today because 20 years ago, the people of this city took to the streets…the Velvet Revolution….

似たようなリフレインの使用法は広島スピーチにも見られた。

 * Why do we come to this place, Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past.

 * Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us….This is why we come to this place.

 * The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family---that is the story we all must tell. This is why we come to Hiroshima.

核のない世界の希求を強調した就任間もない米国大統領は、その任期の最後に再び核のない世界への希求を語るために広島の地を選び、彼自身の思想を首尾一貫させたかったようにみえる。

2009年4月5日のプラハでは、フラッチャニ広場を埋め尽くした何万という人々がオバマ氏のスピーチに何度も拍手を送った。2016年5月の広島では、日米の政府の招待をうけた限られた人が平和公園にいるだけだった。

(2016.5.27 花崎泰雄)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレゼンス

2016-05-25 23:38:31 | Weblog

先日銀座へ出かけた。ここかしこに警察官の姿が見えた。道路脇に警察車両のマイクロバスが止まっていた。警察官が歩道の自販機から飲料水を買って車に持ち帰る姿が見えた。日差しの強い日だったので熱中症の予防だろう。お昼時だったので、車中で弁当を使っていたのかもしれない。歩道を歩くと前方に警察官の姿が2人見え、ふり返ると後方にも警察官の姿があった。「見せる警備」なのだそうだ。安全保障のためのプレゼンス(軍の駐留や警察官の警備)なのだ。といって、では具体的にどのような破壊工作が予想されるのか、それを報じているメディアはあまりない。

地下鉄に下りてゆくと、プラットフォームで警察官2人が男に話しかけている。ふむふむ、見ると男は西アジア・中東風の顔つきをしていて、ヒゲも蓄えている。地下鉄の連絡通路にも警察官が2人ずつ立っている。男女のペアもいる。街中がひところの成田空港のような雰囲気である(ただいま現在の成田空港の警備はさらに厳重だろう)。

地下鉄からJR新宿駅南口に出た。若い男女の二人連れが、警察官にコンパクト・デジタルカメラを差し出していた。警察官はダメダメと手を顔の前で大仰に横に振っている。どうやら、観光客に記念写真のシャッターを押してくれないかと頼まれていたらしい。普段なら、まあ、おもてなし、というわけで、シャッターを押してやらぬでもないが、サミット関連の警備が業務となると、警備以外のことをすると失点になるのかもしれない。若い観光客があきらめて警察官から離れていく際に、警察官は「わるいね」という様子で右手を眼の高さまで上げて見せた。

いつも行くスポーツセンターでトレッドミルを歩きながらテレビを見ていると、G7サミット警備が午後のお茶の間向けのニュースショーの格好の話題になっている。ただし、サミットの議題などには深く触れようとしない。

もしサミットが開催されなかったら、このような何万人もの警察官を動員する警備はなかっただろう。ということはサミットに参加するG6の首脳たちが破壊工作を呼び込む可能性があると、日本の警備当局は心配しているわけである。

サミットにはロシアの首脳が参加しないから、シリア問題については議論が徹底しないし、中国首脳の参加がないので、南シナ海の問題や北朝鮮問題、世界経済について突っ込んだ議論もできない。

政治的に重要な国際問題はサミット以外の場所で、日々議論され、適宜決められている。1年に1回の機会を待つような悠長なことはできないのである。G7サミットはお祭りだから、オリンピックと同じで参加できることが政治家としての名誉であり、集まることに意義があるのだろう。

このさい、開催地の持ち回りをやめて、開催国がお金を出し合って、たとえば、今話題のケイマン諸島のどこかに土地を買って、常設のサミット会場をつくってはどうだろうか。

(2016.5.25  花崎泰雄)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで不条理劇を見るような

2016-05-17 21:17:04 | Weblog

新聞各紙が5月17日の朝刊で、元東京大学学長で80歳の蓮實重彦氏の小説『伯爵夫人』が、三島由紀夫賞(新潮文芸振興会)に選ばれたと報じた。選考会は16日に開かれ、そのあと蓮實氏の記者会見があった。その一問一答をインターネット新聞『ハフィントン・ポスト』が比較的に克明に伝えていた。

ハフィントン・ポスト紙は、「蓮實さんは『まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております』と受賞の感想を不愉快そうに述べた。報道陣からの質問には『馬鹿な質問はやめていただけますか』などと切り返す場面もあり、会見場は異例の重苦しい雰囲気に包まれた」と前置きし、一問一答を以下のように伝えた(要旨)。

受賞の知らせを受けてのご心境は、という質問に「『ご心境』という言葉は、私の中には存在しておりません。ですからお答えしません」と蓮實氏。今日はどこで待機していたかの問いに、「個人的なことなので申しあげません」。

三島賞の候補になったとき、事務局から連絡があり、そのことを了解されたと思いますが蓮實さんはどのような思いでお受けになったのでしょうかの質問にも「それもお答えいたしません」。選考委員の作品評価についての思いを問われても「ありません」。

司会者が「他にございますでしょうか」と質問を促すと「ないことを期待します」と蓮實氏。木で鼻をくくったような、けんもほろろ、取りつく島もない対応だった。

受賞を喜んでいるのかの質問に、「まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております……選考委員の方が、いわば『蓮實を選ぶ』という暴挙に出られたわけであり、その暴挙そのものは、非常に迷惑な話だと思っています」。

こんな調子の問答がしばらく続いた後で、記者が「『三島賞を与えたことは暴挙』とおっしゃったのですが、なぜ候補を断ることをしなかったのでしょうか」とまっとう至極な疑問をぶつけると「なぜかについては一切お答えしません。お答えする必要ないでしょう」と蓮實氏は説明を拒絶した。

ここまで読んできて、思わず笑ってしまった。数日前の舛添・東京都知事の記者会見の問答を思い出したからである。

家族旅行で宿泊したホテルの代金を政治資金で支払ったのは、そのホテルに関係者がやって来て政治活動の打ち合わせをしたからだ、と説明した舛添氏に対して、記者が「今のホテルの会議費のことなのですけれども、それぞれ2回分ですが、どういう人が何人来たのでしょうか」と質問すると、舛添氏は「非常に政治的な機微に関わることでありますし、相手方のプライバシーもありますから、これはお答えを差し控えさせていただきたいと思います」。記者が「人数もだめですか」とたたみかけると「ええ。それも差し控えさせていただきたいと思います」。

舛添氏も、蓮實氏も答えようがなかったのである。

選考委員の暴挙だ、迷惑だ、と言いつつ三島文学賞を受賞し、記者会見では記者からの質問を受けていらだち、そのいら立ちが記者たちを戸惑わせ、不快にさせたようである。会見の場にいた記者たちは不条理劇の舞台を見ているような気がしたのではあるまいか。あるいは、蓮實氏はへそ曲がりの軽口・冗談のつもりで言ったのだが、蓮實氏の態度物腰があまりに堅苦しいものだったので、記者たちがつむじ曲がりの後期高齢者の軽口とうけとらず、蓮實発言を額面通りに受け取ってしまった可能性もある。

多くの人がハッピーな気分に浸れなかった三島賞受賞会見だったが、新潮文芸振興会を抱える出版社・新潮社にはほんのちょっとだけだが、メリットがあった。

朝日新聞の17日付朝刊では、三島賞の受賞記事は第3社会面左肩の短信ふうの小さな扱いだったが、受賞者である蓮實氏については2面のコラム「ひと」で大きく紹介された。雑誌『新潮』(2016年4月)に掲載された蓮實氏の小説『伯爵夫人』は、6月下旬には単行本『伯爵夫人』となって新潮社から出版される予定だ。

ありきたりの受賞発表・記者会見よりもずっと刺激的なこの一件が新聞各紙に報道されて、いい前宣伝になったのはまちがいない。

(2016.5.17 花崎泰雄)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叩けばホコリの……

2016-05-13 23:05:01 | Weblog

家族旅行の宿泊費や、イタリア料理屋、回転ずし屋、てんぷら屋の支払いに政治資金を使った、と週刊誌に報じられた舛添要一・東京都知事が5月13日の定例会見で、45万5千円を返金すると語った。要するに、使うべきでないところに政治資金を使ってしまった、と認めたわけである。

彼の前任者の猪瀬直樹氏は医療法人・徳洲会グループから受け取った5000万円を貸金庫に保管していた問題で、都知事を辞任している。

その金銭感覚にピリッとしたところのない舛添氏が、前日の12日に、2020年のオリンピック・パラリンピックの東京招致活動中に日本側が国際陸連に多額の金銭を支払った問題で「われわれが調べた限り、その事実はない。お金を払ったということはないと聞いている」と否定した。否定している人が金銭スキャンダルの渦中の人だけに、にわかに信用する気になれなかった人は多かったであろう。

すると、13日になって、2020年東京五輪招致委員長をつとめたIOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長が「業務に対するコンサルタント料で問題があるとは思っていない。招致活動はフェアに行ってきたと確信している」と送金の事実を認めた。だが、国際的に話題になっているオリンピック招致をめぐる贈収賄の疑惑は否定した。

外国での報道によると、東京オリンピック招致委員会が2億円以上の金をIOC委員で国際陸連(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子の秘密口座に送金した疑いがあると、フランスの検察当局が明らかにしている。イギリスのガーディアン紙は、日本の広告代理店・電通もこの問題に関わっている、と報じている。

フランスの検察の捜査と、日本の国会の審議(非力ではあるが)に期待しよう。

(2016.5.13 花崎泰雄)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何の思惑あっての緊急事態条項

2016-05-03 00:32:43 | Weblog

憲法に緊急事態条項を入れようではないかという動きが自民党内で強まっている。新聞も最近はこの動きを伝えることが多くなった。安倍政権がどんな内容を想定しているかについては、自民党の憲法改正草案が参考になる。

自民党の憲法改正草案は新たに設けた「第9章 緊急事態」で、外部からの武力攻撃、内乱、大規模な自然災害などにさいして、内閣総理大臣が緊急事態の宣言を出すことができる(第98条)としている。緊急事態宣言を出したのち、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるとしている(第99条)。

外部からの武力攻撃に関してはすでに「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(2003年)、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(2004年)があり、自然災害については「災害対策基本法」がある。

災害対策基本法には「非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進し、国の経済の秩序を維持し、その他当該災害に係る重要な課題に対応するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる(第105条)」という緊急事態条項もすでに盛り込まれている。

緊急事態条項のような、いわゆる国家緊急権については、2つの行き方がある。ドイツやフランスのように国家緊急権を憲法に明記するやり方と、英国やアメリカ合衆国のように、憲法には明記しないでおくやり方がある。正確にいえば、英国は成文憲法を持たないが、政府は緊急事態にあたって通常は違憲・違法とみられ手段を暫定的に講ずることができるとされている。違法行為であるが、この違法性はのちに議会の審議で妥当な手段であったと判断された場合は免責される。合衆国憲法には国家緊急権大統領は国家の存立を守るための権限を有していると考えられている。大統領の権限行使の判断が適正であったかどうかは、のちに司法が判断する。

憲法に緊急事態条項を持たない日本は、英米の路線を選択してきた。それが独仏の路線に方向転換しようとする意図は何か?

日本国憲法に緊急事態条項を入れようとするのは、「法律と同一の効力を有する政令」を制定できる権限を内閣が握りたいからだ。内閣が法律をつくったことによる歴史の悲劇は、ドイツのヒトラー時代の全権委任法にみられる。麻生副総理は憲法改正に関連して、ナチスの手口に学んだらどうか、口走ったことがある。

5月2日の朝日新聞朝刊2面が、この20年間の日本の政治の息苦しさをまとめていた。1999年に国旗・国家法や通信傍受法(盗聴法)、2013年には特定秘密保護法、いわゆるマイナンバー法が成立。2015年には閣議決定による憲法解釈の変更を経て安全保障関連法が成立している。

お隣の韓国で国民は戦後長らく軍事政権下でつらい思いをした。朴正煕政権の時代、憲法は大統領に国家緊急権を認めていた。その国家緊急権は主として政府に対する抗議行動の弾圧に用いられた。そういう時代が1980年代まで続いた。歴史は必ずしも前に向かってすすむだけではなく、ときに後退することもあるようだから、図書館で当時の韓国事情が書かれた出版物を借り出して読んでおいた方がよろしいかも。

(2016.5.2 花崎泰雄)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする