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news commentary

Hasta la vista ――再見

2022-10-29 23:30:02 | 国際

心が冷える映像だった。

10月22日の第20回中国共産党大会閉幕式で習近平総書記の隣にすわっていた胡錦涛・前総書記が場内の係員に腕をとられて退場を促され、いやがるようなそぶりを見せつつ、習近平氏に向かって短く言葉を発し、李克強首相の方をポンとたたいて、退場した。

気味の悪いTV映像だったが、この政治寸劇の意味するところは、いまのところ、世界のどのメディアも説明できないままだ。

チャイナウォッチャーやペキノロジストの憶測は次の3つに大別できる。

習近平は総書記在任中の10年をかけて中国を米国の覇権に挑戦する強国に育ててきた。将来の政治的競争者になりそうな幹部を反腐敗運動でつぶし、江沢民に近かった上海閥の非力化に努めた。残る競争相手の共産主義青年団については、李克強氏を政治局常務委員から外し、同派のホープだった胡春華も政治局員から降格させた。習近平総書記の一強体制の総仕上げのお披露目が胡錦涛前総書記の共産党大会会場ひな壇上からの剥ぎ取りだった、というのが第1の見方。

そうした習近平のやり方に胡錦涛が身をもって抵抗の姿勢を示したのである、という第2の見方もある。

上記のような生臭い話ではなく、胡錦涛が体調を崩したために、いそいで彼を休憩室に運んだだけのことだ。そういう第3の推測もある。ただ、テレビの映像を見る限り、胡錦涛の隣にいた習近平も、さらにその隣にいた李克強も胡錦涛の体調にはそしらぬ顔だった。椅子から立ち上がって胡錦涛に声をかけるような様子を見せなかった。習近平の指示で、係員に彼を場外に運び出させた。幹部たちは事の成り行きに全神経を集中させる一方で、必死でそしらぬふうを取り繕っていた、ように見えた。

共産党大会終了後の10月27日、習近平総書記は政治局常務委員を引き連れて、陝西省延安を訪れ、毛沢東の旧居などを見学した、と中国からの報道があった。習近平の父親の習仲勲は毛沢東時代に失脚し、16年もの収容所暮らしをした。習近平自身も下放されている。彼は自力で、「太子党」のエースとして総書記のポストを手に入れた。このポストを奪われないようにするためには、毛沢東と並ぶ権威を手に入れなければならない。

 

ジェームズ・フレイザーが『金枝篇』(永橋卓介訳、簡約本、岩波文庫)冒頭で、以下のような興味深い伝承を書いている。

ウィリアム・ターナーが「金枝」という絵を描いている。イタリアの山村にある「森のダイアナ」の聖地である。そこには湖があって、一本の樹が立っている。その木の周りをものすごい形相の人物が、抜き身の剣を引っ提げて昼夜を問わず徘徊している。この人物は祭司であり、また、殺人者でもあった。徘徊する人は自分を殺して祭司の地位を分捕ろうとする侵入者を警戒しているのだ。祭司の候補者は祭司を殺すことで祭司の地位を手に入れることができる。前任の祭司を殺して、新しく祭司となった者は、より強く、より老獪な者がやってきて彼を殺すまでのあいだ、祭司の地位を保つことができる。

(2022.10.29 花崎泰雄)

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hasta la vista baby

2022-10-22 23:35:13 | 政治

ボリス・ジョンソン氏が「あばよ」と議会で叫び、英国首相・保守党党首をやめた。その後任のポストを獲得したばかりのメアリ・エリザベス・トラス氏が党首と首相の椅子から転がり落ちた。背景にあるのが経済不振。その後任の決定に、ジョンソン氏が取りざたされるという笑劇が世界の笑いを誘っている。

ウクライナとの戦争で泥沼に足をとられているロシアのプーチン氏は、兵士の訓練現場で射撃をして見せた。中国の習近平氏は周辺を忠臣たちに守られ3期目の中国共産党総書記・国家主席になろうとしている。毛沢東氏と並ぶ権威の獲得を急いでいる。

円安・物価高騰・低賃金・旧統一教会問題と嵐に見舞われている日本の岸田首相は今のところまだ辞任のそぶりを見せていない。安倍晋三・黒田東彦両氏が組んだアベノミクスの最終成果が1ドル=150円の為替相場である。日本の経済力の国際的なランキングは下降する一方で、教育研究の水準も伸びず、女性の社会進出、メディアの自由度も国際的指標からみると低迷あるいは低下している。

能天気なわたしも最近は寝つきが悪くなった。眠気を誘うために寝床で本を読む。このところは『イーリアス』。読んでいるうちに確実に眠気がやってくる。

昨夜はふと手にした桑原武夫『第二芸術』所収の「短歌の運命」。「第2芸術」で俳句と俳句作家の「思想的社会的無自覚」をからかったのと同じ手法で、短歌と短歌作家を揶揄した論文である。

その「短歌の運命」の中で、桑原氏が心を動かされたと紹介した歌の一つが、

 消(つい)えゆく国のすがたのかなしさを現目(まさめ)に見れど死にがたきかも

                         (釈迢空

老衰期に入って干からび始めているような感じさえしてくるこのところの日本の姿を想起させるが、短歌としての出来はどうだろうか。朝日新聞の西木空人選の『朝日川柳』レベルのギャグにとどまっているように私は思う。

米国のオバマ政権で国務長官を務めたジョン・ケリー氏が、トランプ氏のツイッター趣味を評して「ホワイトハウスで考えることは、ツイッターに許された語数では説明できない」と言ったことがある。

(2022.10.22 花崎泰雄)

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