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news commentary

ゼレンスキー

2023-05-21 00:51:51 | 国際

5月20日、G7広島サミットに、ウクライナのゼレンスキー大統領が姿を現した。ビデオ・メッセージではなく、ご本人が広島まで旅をして、生身の参加である。参加国・招待国・関係機関が賑やかに議論をしているはずの首脳会議としてはどちらかというと沈滞気味だったプログラムの進行がこれでにわかに活気づいた。

G7のメンバーは北米のアメリカ合衆国とカナダ、欧州のフランス、ドイツ、イタリア、イギリスと極東の日本である――別の言い方をすると、NATO構成国と極東の日本の7か国である。ウクライナ問題を語り合うには国連安保保障理事会よりもこの方が便利だ。ロシア・中国という2つの常任理事国が、国連安保理を機能不全にしている。国連では早急な解決方法が見いだせないだろうから、ロシアと中国がいないG7で、開始から1年がたつロシアによるウクライナ侵攻問題の解決の道筋を相談しようとした。

ウクライナ侵攻に関連するエネルギー価格高騰や農産物危機をめぐる経済安全保障、開催地を広島にした理由でもある核兵器廃絶問題、この2つも今回のG7の主要テーマだった。その割には新聞・テレビが伝えるG7ニュースにはニュースらしいものが少なかった。首脳が原爆資料館を訪れたとき、彼らが何を見て、どんな感想を漏らしたか伝えられなかった。アメリカ・イギリス・フランスといった核兵器保有国の首脳は核兵器をめぐる倫理・人道問題を語りたくない。核問題というテーマは開催地・広島へのオマージュに過ぎない。

日本のメディアを見たり読んだりしている人の記憶に残っているのは、厳島神社の鳥居を背景にした首脳たちの記念撮影や、神社を見て歩く姿だけであった。

ゼレンスキー大統領はフランス政府機で広島空港に到着した。軍事侵攻を続けるロシアに対し、反転攻勢への意欲を示すウクライナ。ゼレンスキー大統領はヨーロッパ4ヵ国を訪れたばかりだった。13日には、イタリアでメローニ首相と会談した。14日にはドイツを訪れてショルツ首相会談。その日のうちにフランスでマクロン大統領と会談。15日はイギリスでスナク首相と会談。この時にフランスが政府専用機をゼレンスキー氏の広島行きに提供することで話がまとまった。そのあと、ゼレンスキー大統領夫人のオレナ・ゼレンスカ氏が大統領特使として訪韓。ユン大統領と会った。

反転攻勢が近づいた今、大統領夫妻が各国の支援や、G7の主要国からの武器援助の督促を強めている。米国はNATOのF16の供与で譲歩し、ヨーロッパの国がF16をウクライナに提供することを認め、イロットの訓練の提供を明言した。

NATOは日本に連絡所を開設の予定で日本政府と協議を進めている。米国とその仲間は、北大西洋側ではNATOを使い、西太平洋側ではQUAD・日米安保・日韓協力・核の傘提供国である米国の軍事力を使ってロシア・中国をはさみうちにする新・封じ込め作戦を本格的に展開するようである。

日本の岸田首相は宮島の「必勝しゃもじ」を担いで甲子園ではなく、ウクライナを訪れてゼレンスキー大統領にしゃもじを贈り、G7への参加を促した。宮島しゃもじは冗談ではなく支援の約束ではなかったのかいと、ゼレンスキー氏に迫られたとき、岸田氏は防衛装備移転三原則の縛りのひもを緩めなければならなくなる。

(2023.5.21 花崎泰雄)

                            

 

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反日左派と嫌韓右派

2023-05-12 23:50:08 | 国際

3月のユン・韓国大統領の訪日と、5月の岸田・日本国首相の訪韓で、「徴用工」をめぐる日韓両政府の対立が一時的に棚上げされる方向へ進んだ。今回のあつれきの発端は、韓国大法院が2018年10月30日に「徴用工」に対して損害賠償をするよう新日鉄住金に命じる判決を出したことだった。元徴用工の補償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場を取る日本政府は韓国に対して反発した。

日本政府の言う「完全かつ最終的に解決済み」とは、「日韓請求権協定によって両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した。その意味は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということであって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないという意味である」(1991年8月27日、参院予算委員会での柳井俊二・外務省条約局長答弁の要旨)

日韓両国は外交保護権を放棄したが、個人の請求権は消滅させていない。それでいて、日韓賠償問題は完全かつ最終的に解決済み、という論理は理解に苦しむ。そこで日本政府は「韓国との間の個人の請求権の問題については……日韓請求権協定の規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されることから、法的に解決済みとなっている」(2018年11月20日付政府答弁書、衆議院)と説明した。

一方、韓国大法院判決の論理は①原告(徴用工)の被告(新日鉄住金)に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれない②その理由は、 原告が請求しているのは未払賃金や補償金ではなく、「強制動員慰謝料請求権」に基づく慰謝料である③. 請求権協定の交渉過程において、日本政府は植民地支配の不法性を認めないまま強制動員被害の法的賠償を根本的に否定してきた、というものであった

このような見解の違いによる議論のすれ違いは、国際関係ではよくあることだ。そこで日韓請求権協定は、紛争が生じた場合はまず両国の外交交渉で解決を目指し、それでも解決しない場合は仲裁委員会を設けて判断をゆだねるとしているが、外交交渉は一方的な悪意の投げ合い以上の物には進まず、といって、仲裁委員会を開く動きも見せなかった。

岸田・ユン会談について、韓国の『東亜日報』は「今回の首脳会談で歴史問題は正式の議題にも上がらなかった。歴史問題はすでに解決されたという心からの理解と合意の下、未来に向けた協力議題に集中したものと理解される……しかし、これまでの韓日関係史が示すように、歴史問題に対する抜本的な和解がなければ、縫合と葛藤を繰り返すレベルから抜け出すことは難しい。民心の動揺や政権交代にもかかわらず、未来協力の道を続ける関係を構築するには、首脳間の一時的な信頼を越えた両国民間の歴史的和解が必要だ」(東亜日報 5月8日付社説)と書いた。『朝鮮日報』も「ユン大統領と岸田首相は韓国における反日左派と日本の嫌韓右派に振り回されず、未来に進まねばならない」(5月8日、朝鮮日報社説)とした。

『ハンギョレ』は、岸田首相は強制動員被害者に「大変苦しい、悲しい思いをされたことに胸が痛む思いだ」としながらも、政府レベルの反省と謝罪のメッセージは表明しなかった。最小限の「誠意のしるし」として評価できるが、「コップの残り半分」を満たすには依然として足りない……岸田首相は「3月の尹大統領の訪日の際、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め歴史問題に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると明確に申し上げた」と述べた。「歴代内閣の立場」には「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍談話も含まれるだけに、これを謝罪とはみなせないというのが大方の見解だ(ハンギョレ 5月8日付社説)と論評した。

日韓基本条約や請求権協定が結ばれたのは1965年のことである。基本条約締結の交渉が始まったのは1952年。条約締結まで14年の歳月を費やした。賠償請求と朝鮮半島植民地化をめぐる歴史問題がネックになった。1965年、米国は北ベトナム爆撃を開始し、南ベトナムに米軍を上陸させてベトナム戦争を本格化させた。インドネシアでは9.30事件が起き、スカルノの親社会主義路線からスハルトの親米路線への転換が始まった。北から共産主義が下りてきて、東アジアの国々を次々と共産主義国家に変えてゆく、というドミノ理論が真顔で語られていた時代だった。米国は日本と韓国が組んで、反共防波堤になることを期待した。韓国は近代国家として独り立ちできる経済力をのぞみ、そのための資金が欲しかった。米国はその資金を日本に提供させようとした。日本も隣国である韓国と正式な外交関係を希望した。このようなどさくさの中で、日本と韓国は「歴史問題」についてのきちんとした議論抜きで条約を結んだ。

そういうわけなので、日韓のいがみ合いはこの先も、何かの調子で炎上し、うやむやのうちに沈静化することの繰り返しになるだろう。

 

(2023.5.12 花崎泰雄)

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安全保障環境は悪化したか

2023-05-07 01:35:07 | 政治

日本国首相の岸田文雄氏がアフリカ4か国とシンガポールを訪問した。アフリカ各国のリーダーとの意見交換のテーマは①力による一方的な現状変更の試みに反対②法の支配の下での自由で開かれた国際秩序の堅持の2点であった。訪問先のメディアの報道ぶりには不案内だが、日本の新聞を見た限りでは盛り上がりに欠けた訪問だったようだ。5月に予定しているG7をグローバル・サウスと呼ばれる国々に触れ歩く、相撲本場所を知らせる触れ太鼓のようなものだった。

日本の5月は祝日や土日がつながる仕事休みの期間が長く、勤め人はこの時期家族旅行で忙しい。閣僚も国会議員も連休を利用して、海外出張や視察旅行に出かける。安全保障環境の急速な悪化に伴って、日本が存立危機に陥る可能性について、国民あげて深刻に考えばならないと政権幹部は唱えている。そして防衛費の大幅積み上げと沖縄周辺の軍備強化に努めている。そのわりには、のどかな5月連休の首相海外出張旅行だった。

「存立危機事態」とは何か。「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と政府は定義している(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)。存立危機事態になれば、条件次第で敵基地を反撃することもありうると、4月の国会で岸田首相は言明した。

日本の領域に対する武力攻撃で、日本の存立・国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が生じる事態は想像できないことはない。だが、密接な関係にある他国への攻撃で日本が存立危機事態に陥るというのは、想像自体が難しい。米国の大都市がミサイル攻撃を受け、おびただしい人命が失われたと仮定しても、その事件によって日本が存立危機事に陥るとはかぎらない。米国の太平洋側の大都市であるシアトル、サンフランシスコ、ロサンジェルスが攻撃を受けた場合、日本には攻撃がなくとも、日本は反撃を開始するのか。あるいはサンフランシスコ攻撃だけでも反撃するのか。日本の領域にある米軍基地が攻撃された場合は、反撃を始めるのか。中国の台湾侵攻が始まり、日本から台湾に向かった米軍が攻撃された場合、それは日本の存立危機になるのか。

核兵器を使うのか、使わないのか、それを前もって明らかにしないでおくのが、核戦略の極意であると言われてきた。日本の存立危機事態であるのかをはっきりさせないのが、安全保障戦略の秘訣である。

日本の自民党政権は安全保障環境の急変をしばしば口にする。第2次大戦終結後、連合国側は強国ドイツの再来を嫌って米ソがドイツを分割し、2つのドイツをつくった。日本国憲法に第9条の戦争放棄を盛り込んだのは連合国側のアイディアである。通説ではそうであるが、じつはこの条文は、日本の軍国主義再生を嫌った連合国側が思いついたものか、戦争の反省から日本側が発案したものか、その議論は今でも決着がついていない。憲法の誕生に関して、このようなあいまいさが残っているのが、日本人の歴史感覚の鈍さである。

安全保障環境の激変との言葉は新聞報道に盛んに書かれているが、どう変わったのか詳しい話を新聞で読む機会は少ない。かつて米国とソ連が大量の核兵器を抱え、核戦争になればともに消滅するしかない知った果ての相互確証破壊(MAD: mutual assured destruction)という MAD-ness な時代があった。第2次大戦後は戦争で核兵器が使われることはなかったが、通常兵器による戦争はたくさんあった。朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、アフガニスタン侵攻、イラク戦争があった。日本人の多くにとっては、米国が関わったそれらの戦争は自国の存立を脅かすようなものとは認識されなかった。

北朝鮮が核兵器とミサイルを開発した。その意図は米国に対して北朝鮮の国家としての認知を求めるものだ。北朝鮮には、日本の民間施設をミサイル攻撃の標的する理由がない。もし狙うとすれば、日本領域内の米軍基地だろう。

中国は台湾に対する武力攻撃の可能性を否定していない。台湾に対する武力攻撃が成功しない場合は、共産党指導部の瓦解につながりかねない。かつて日本が明治維新後に富国強兵の道をたどった時、富国の要は繊維製品の輸出で、その5割が生糸だった。日本の女性労働者が紡いだ生糸の売り上げで大砲を買った。明治維新から半世紀もたたないうちに、日本は日清戦争や日露戦争を戦い、明治維新後73年で日米戦争を引き起こし、4年後に敗戦、存立危機にはまり込んだ。

中国が毛沢東指導部の発案で土法高炉による粗鋼生産を始めた。みじめな失敗に終わったが、それから40年後には中国は世界最大の粗鋼生産国になった。資金と技術情報があれば、たいていの国は産業国家になりうる。経済で大をなした中国は武力で大をなし、中国沿岸にまで及んでいる米国の制海権を太平洋中央部に向かって押し返そうとしている。歴史的には中国の対外意識は西の内陸部に向けられていたが、今では海洋国家・中国を目指して東進しようとしている。国家の行動様式の典型である。ただ、そうした姿勢を公に鮮明にしたため、中国軍の実力が中国共産党指導部の信任と結びついた。したがって、台湾侵攻をうかつに始めることができない。

現在の日本をめぐる安全保障環境はそういうことである。米国世界戦略に追随することは自民党の政権維持政策の柱である。しかし、そういうことはあからさまに言えないので、「存立危機事態」「敵基地攻撃(反撃能力)」などという新語を発明しただけのことである。

(2023.5.7 花崎泰雄)

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