11月22日の朝日新聞朝刊を読んでいたら2面に、自民党の山東昭子・参議院議員が前日開かれた党役員連絡会で、子どもを4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか、と発言したという短い記事が載っていた。
朝日新聞によると「女性の出産をめぐっては、2007年に当時の柳沢伯夫厚労相が『女性は子どもを産む機械』と述べ、安倍晋三首相が陳謝。09年には当時の麻生太郎首相が『(自分には)子どもが2人いるので、最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない』と発言し、その後、撤回している」。
合計特殊出生率は1989年の人口動態調査で、それまでの過去最低である1.57に低下した。「1.57ショック」と話題になったが、以来、合計特殊出生率は低下傾向が続いた。21世紀に入って人口減が目前に迫り、2010年ごろには人口減が始まった。生れる子どもが減り、人間が長生きするようになれば社会の老齢化が始まり、出生数と社会増が死亡数を下回ると人口減が始まる。このままでは日本から日本人がいなくなる日が来る、その日はいつ? という机上の計算が話題になった。
不思議なことに、人口減は国力を減ずる、という側面の議論ばかりがにぎやかで、人口減の日本でゆったりと人生を楽しもうという議論は、あまり表にでてこない。
2017年のIMF統計によると、人口50万程度のルクセンブルクの1人当たりGDP10万ドルが世界のトップ。2番手が人口800万弱のスイスで8万ドル、3番手が人口500万弱のノルウェーで7万ドル。
少子化・高齢化が進み、人口減が始まるに至るまでの間、日本の政府はエンゼルプランとか新エンゼルプランとか称する少子化対策をたてて、保育所の待機児童ゼロを目指すなどの具体策を立案した。むなしい画餅描きに終始し、日暮れてなお道遠き現状である。「保育所落ちた、日本死ね」と話題になったのは、ほんの最近のことである。「一葉落ちて天下の秋を知る」ごとく子どもが保育所の抽選に落ちたことで日本絶滅の日を予測した、このカサンドラのような女性の呪詛にみちた警告の叫びは、国会で取り上げられ、話題になったが、ほとんどの人はすぐ忘れた。
そしていまだに、多産表彰を持ちだすような時代錯誤の議員を国費で養っているというこの国の政治風景の貧しさ。
まっとうな答えは、内閣府の「選択する未来――人口推計から見えてくる未来像」(2015年)という報告書にすでに書かれている。
「北欧諸国やフランスなどでは、政策対応により少子化を克服し、人口置換水準近傍まで合計特殊出生率を回復させている。例えば、フランスは家族給付の水準が全体的に手厚い上に、特に、第3子以上の子をもつ家族に有利になっているのが特徴である。また、かつては家族手当等の経済的支援が中心であったが、1990年代以降、保育の充実へシフトし、その後さらに出産・子育てと就労に関して幅広い選択ができるような環境整備、すなわち『両立支援』を強める方向で進められている」
「スウェーデンでは、40年近くに渡り経済的支援や『両立支援』施策を進めてきた。多子加算を適用した児童手当制度、両親保険(1974年に導入された世界初の両性が取得できる育児休業の収入補填制度)に代表される充実した育児休業制度、開放型就学前学校等の多様かつ柔軟な保育サービスを展開し、男女平等の視点から社会全体で子どもを育む支援制度を整備している。また、フィンランドでは、ネウボラ(妊娠期から就学前までの切れ目のない子育て支援制度)を市町村が主体で実施し、子育てにおける心身や経済の負担軽減に努めている」
国会議員がいくらお馬鹿さんだといっても、日ごろから公務員と付き合いそれなりの情報をもらっているわけだから、上記のような海外の少子化対策の成功事例を知らないわけはないだろう。それを知ったうえで多産の女性を厚生労働省が表彰してはという発言は、裏に別のたくらみがある。
1939年に当時の厚生省が人口増をめざしてこんなたわごとを公表した。「産めよ殖やせよ国のため」。「結婚十訓」の1つである。それを今さら持ちだすのは、つまりこういうことである――人口減はいまや国難である。国家のために子どもを産んでくれ。期待に応えてくれた人は愛国者として表彰する
自民党右翼の戦前回帰派の人口問題に関する時代錯誤の発言が出るたびに、批判する側は以下の歴史文書を持ちだしてきた。「堅実なる家庭を営み子女を健全に育成するは国民生活の根幹たる家の基礎を鞏固ならしめ国本の培養に寄与する所以なり。殊に多数の子女を擁し之が養育を全ふするは一般の亀鑑となすにたるものとす。仍て是等の家庭を表彰し…」。これは1940年の「厚生省の優良多子家庭表彰竝付帯調査」の趣旨の一部である。
当時の新聞の切り抜きをみると、人口増は対外拡張のための兵力と労働力を増やすのが目的であった。1941年1月23日の朝日新聞は厚生省の熊谷某局長にインタビューしその見解を聞いている。熊谷某は西洋文明に蝕まれ個人主義、自由主義の都会的生活が都会の低い出生率の原因だとの説を開陳し、朝日新聞はその記事に次のような大見出しをつけた。「一家庭に平均五児を 一億目指し大和民族の進軍」
人口問題をめぐる現在の一部右翼政治家の発言を聞くと、その背後に、国家権力が個人の家庭の私的領域への介入をやりたがっていることが明らかである。「堅実なる家庭を営み子女を健全に育成するは国民生活の根幹たる家の基礎を鞏固ならしめ国本の培養に寄与する所以なり」――あらゆるものに国家への奉仕を要求した1940年の日本への強い望郷の念がうかがわれる。
時代錯誤の変な人たちなのだが、有権者が選んで国会に送った人たちでもある。
このままでは人口ゼロを待つまでもなく日本は亡びる。
(2017.11.22 花崎泰雄)