新聞の1面にでかい活字で「令和」とあった。新しく日本で使われる年号だという。「初春令月気淑風和」という大伴旅人の言葉が典拠となった。
優雅な言葉であるが、「令」と「和」を組み合わせた「令和」という熟語は見たことが無い。年号はめでたい言葉を2つ拾い出して組み合わせたものだから、その組み合わせがめでたいか、そうでないか、一概には言えない。
「令」は「令嬢」「令名」の「れい」だが、一方で、「命令」「律令」「軍令」「戒厳令」などの「れい」でもある。杜甫の「後出塞」という詩には、
朝に東門の営に進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らし 馬鳴いて 風蕭蕭たり
平沙万幕を列ね、部伍各々招かる
中天に明月懸かり 令厳にして夜寂寥たり
悲笳数声動き、壮士惨として驕らず
借問す 大将は誰ぞ 恐らくは是れ 霍嫖姚ならん
とある。「令厳にして夜寂寞たり」の「れい」でもある
「和」はやわらぐの意。めでたい言葉で老子も仏教も「和光同塵」を言う。「やはす」(和す)は、「やわらげる」と言う意味と「帰服させる」という意味もある。帰服は古くは「きぶく」と読んだ。降伏させて支配下に置くことである。大伴家持の歌に、
久かたの天あまの門開き高千穂の岳に天降し
天孫の神の御代より梔弓を手握り持たし
真鹿児矢を手挟み添へて大久米のますら健男を
先に立て靫取り負ほせ山川を岩根さくみて
踏み通り国覓ぎしつつちはやぶる神を言向け
まつろはぬ人をも和し掃き清め仕へまつりて
蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の宮に
宮柱太知り立てて天あめの下知らしめしける
とあり、「まつろはぬひとをも和し」とあるは、服従しない人を降伏させて支配下に置く、と言う意味である。英語の pacify に「鎮圧する」という意味があるのと同じである。かつてベトナム戦争で米国が “pacification” という言葉を使った。解放軍が根拠地にしていた農村地帯を制圧しようとするプログラムだった。
語義には多面性がある。年号に「言霊」があるかのような「敷島の大和の国は言霊のたすくる国そまさきくありこそ」など根っから信じない人にとっては、年号など無用の「符牒」にすぎない。
筆者は「れいわ」と言う音を聞いて「零和」の字を思い浮かべた。「零和」とは英語「ゼロ・サム(zero sum)」の日本語訳である。
(2019.4.2 花崎泰雄)