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news commentary

ミサイル誤射

2017-04-24 18:58:00 | Weblog

 2017年4月24日付朝日新聞朝刊に同紙の高橋純子・政治部次長が面白い記事を書いていた。題して「スットコドッコイと愛の行方」。その中の笑える一節をそのまま引用する。

              *

  作家の百田尚樹氏は「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく」「昔、朝日新聞は、『北朝鮮からミサイルが日本に落ちても、一発だけなら誤射かもしれない』と書いた。信じられないかもしれないが、これは本当だ。今回、もし日本に北朝鮮のミサイルが落ちた時、『誤射かもしれない』と書いたら、社長を半殺しにしてやるつもりだ」とツイッターに投稿した。

 あらタイヘン。そんな記事本当に書いたのかしら。「北朝鮮」「一発だけ」「誤射」でデータベース検索したが、結果は0件。永遠のゼロ件。

 百田氏の過去のインタビューなどから類推すると、おそらく2002年4月20日付朝刊「『武力攻撃事態』って何」のことだと思われる。

 Q ミサイルが飛んできたら。

 A 武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない。

 北朝鮮を含め具体的な国や地域名は出てこない。一般論として、武力攻撃事態の線引きは難しいということをQ&Aで解説する記事だった。

                *

 インターネットの世界をのぞくと、百田氏の件のツイートがあちこちでコピーされて使われていた。このさい再コピーしてここに張り付けておくので、実物をとくとご覧いただきたい。

 さて、ミサイル誤射は実際に起っている。

 ツイッター情報にありがちな空想や誤認・誤解、意図的なデマなどではなく、非エンターテインメント・ニュースを提供するメディアであるイギリス・BBCなどの報道によると、2016年7月に台湾海軍がミサイルを誤射したことがある。高雄で訓練中に対艦ミサイル一発が誤射のため中国本土の方向へ飛んで行った。ミサイルは台湾領海内の台湾漁船にあたったが、ミサイル自体は爆発しなかった。船員1人が死んだ。

 2017年の初め、イギリスの『サンデー・タイムズ』が、2016年6月にイギリス軍が潜水艦発射核ミサイル・トライデントの誤射をしていたことをすっぱ抜いた。米国フロリダの沖合のどこかでトライデントの発射テストをしていたところ、アフリカの方角に飛んで行くはずだったミサイルが、米国の方向に向かった。テストだから、核弾頭は積んでいなかった。国防上の理由から英政府はこの誤射についての説明を避けている。

 ミサイル誤射ではないが、ミサイル飛来誤認も起こる。

 米誌『ニューヨーカー』(2016年12月23日)に掲載されたエリック・シュロッサー氏の記事 “World War Three, by Mistake” はジミー・カーター大統領時代の悪夢を物語っている。

 カーター大統領の安全保障問題担当補佐官・ブレジンスキー氏は深夜、軍からの電話で起こされた。ソ連が発射した220発のミサイルが米国に向かって飛んできているという緊急連絡だった。補佐官は攻撃の確認をとるように指示する。折り返し連絡があり、訂正します、ミサイルの数は2,200発だという。報復攻撃命令が発せられ、同時にワシントンDCは消滅するだろう。ブレジンスキー補佐官は妻を起すのをやめた。眠ったままで死なせてやろうと思ったのだ。補佐官はカーター大統領に報復攻撃を電話で進言しようとした。その時、3度目の電話のベルが鳴った。申し訳ない、警報システムの誤作動だった、という軍からの連絡だった。後日の調査で、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のコンピューター・チップのエラーだったことが判明した。1個46セントの部品だった。

 ソフトウェアのバグや、チップの誤作動で、家庭用のPCが暴走し、業務用のコンピューターが止まり、銀行業務や列車ダイヤなどに影響が出て、社会的な混乱が生じる危険性は普通に理解できる。だが、軍事上のシステム・エラーと未熟な人間の判断が増幅してつくりだす恐怖となると理解が及ばない人は少なくない。

逆上、それこそ命とりだ。

 (2017.4.22 花崎泰雄)

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飛ぶのが怖い

2017-04-16 23:03:50 | Weblog

 4月11日付『ニューヨーク・タイムズ』の社説(電子版)が面白かった。

 「飛ぶのが怖い――言いえて妙」というタイトルである。

 紀行機で飛ぶことはかつてアドベンチャーだったが、今では恐怖の的である。長い、長い列に並び、その先で小突かれ、触られ、X線にかけられ、侮辱的な口調で詰問されるのを待つ。そのめくくりとして、階級別に分けられて、機内に入る。それからがもっとひどい。日曜日にシカゴのオヘア空港で保安要員が乗客を座席から剥ぎ取り、機外に引きずり出した。

 日本の新聞でも話題になった米ユナイティッド航空の乗客の扱いについて社説の書き出し部分である。

 さもありなん、と筆者は思った。ずいぶん前、ボーイング747がまだ日米間の主力飛行機だったころの話だ。サンフランシスコから成田に帰るときユナイティッドに乗った。

 飛行機が滑走路に向かって動きだし客室乗務員が座席や安全ベルトなど乗客の最終安全確認を始めた。その時、アジア人の乗客が座席から離れようとした。乗務員が席に連れ戻したが、またすぐ席を離れようとした。乗務員が舞い戻って、その客を再度席に着かせた。

 その乗務員が私の座席の横の通路を通りながら、呪いの言葉を吐いた。一言一言いまでは正確に記憶していないが「坐っているか、さもなくば、飛行機からとび降りるがいい」と英語で言ったのが私の耳に届いた。

 乗務員の気苦労はわかるが、その当時(今でもそうかもしれない)のユナイティッド航空のキャッチフレーズは、なんと「フレンドリー・スカイズ」だった。

 経営側のコスト削減・利益増大路線によって、会社の客室乗務員に対する扱いが過酷になり、従業員の労働条件に対する不満がお客に対する扱いに反映されるたのであろう。

 それが今では会社が自己都合で乗客の剥ぎ取りという形にまで及んでいる。「アグリー・スカイズ」になってしまった。

 (2017.4.16 花崎泰雄)

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59のトマホーク

2017-04-09 00:51:20 | Weblog

アメリカのトランプ大統領は2017年4月6日、米軍にシリア攻撃を命じた。地中海にいた2隻の米軍艦が巡航ミサイル・トマホーク59発を発射した。

アサド政権が毒ガス・サリンを使って自国民を殺傷した4月4日の事件について、トランプ大統領は「アサド政権のこのような極悪非道な行為は、前政権の優柔不断と及び腰の結果である」と、オバマ政権のシリア政策を非難した。

2013年にアサド政権がダマスカス郊外の反アサド勢力支配地に猛毒ガス・サリンを使った攻撃をした。この時、オバマ政権はシリアに対する武力制裁を避けた。トランプ大統領はアメリカが毅然とした態度を示さなかったことが、2017年4月のサリン攻撃につながった、と言っているのである。 

他を非難することで自らの正当化に努めるのはいつもながらのトランプ流だ。一方、トランプ政権と折り合いの悪い米国主流派メディアの多くは、これを逆手にとって、トランプ大統領の言動の矛盾を突いた。 

2013年のサリン攻撃のさい、不動産業者・ドナルド・トランプ氏は、シリアに対する武力制裁はすべきでないと、ツイッターに繰り返し書き込んでいた。たとえば、 

<2013年9月5日> オバマ大統領がシリアを攻撃したがるのは、ただただメンツのせいである。 

<2013年9月5日>我らが愚かな大統領再度申し上げる。シリアを攻撃してはならない。 

<2013年9月7日>大統領、シリアを攻撃するな。次に備えて弾薬を節約せよ。 

<2013年9月9日>シリアを攻撃するな。攻撃でアメリカが得るものはやっかい事だけだ。 

その他、「シリア攻撃に先立って、大統領は議会の承認を得なければならない」と、同年8月31日のツイッターに書いていた。 

2013年のアサド政権によるサリン攻撃の死者は1000人を超えると見られている。2017年4月の攻撃による死者は100人以上とみなされている。2013年のケースは奪われた生命という点では10倍の規模だった。 

顧みればクリントン政権は1998年のアルカイダによるケニアとタンザニアの米大使館爆破事件で、アフガニスタンのアルカイダ基地とスーダンの化学兵器製造基地と疑われる工場をミサイル攻撃した。ブッシュ政権はアフガニスタンにタリバン・アルカイダ討伐軍を送り込み、勢い余って大量破壊兵器を隠し持っているという容疑でイラクに侵攻した。大量破壊兵器保有の証拠は見つからなかった。イラクを攻撃したかったから容疑をでっちあげたと今では批判されている。 

過去に「シリアを攻撃するな。攻撃でアメリカが得るものはやっかい事だけだ」と書いたことのある不動産業者のドナルド・トランプだが、アサド政権によるサリン攻撃の報告を受けて2日後、米国大統領としてミサイル攻撃に踏み切った。

比較的短時間で米国大統領がシリア攻撃に踏み切った理由は何だろうか? トランプ大統領はミサイル攻撃のあとの政治的収拾に何らかの名案をもっているのだろうか? それとも、例によって反射的にシリア攻撃のアイディアが閃いたせいだろうか? 国家安全保障会議(NSC)でテーブルに並べられた政策オプションのうち、強く推薦されたミサイル攻撃案を却下する理屈を、オバマ前大統領とは違って、思いつかなかったからだろうか? 

(2017.4.9  花崎泰雄)

 

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教育勅語

2017-04-01 22:12:40 | Weblog

 

 日本の安倍内閣が3月31日、戦前・戦中の教育勅語について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」という答弁書を閣議決定した。4月1日の新聞が伝えた。

 1890年(明治23年)の「教育勅語」とはどんなものだったかというと、

 

 朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。

斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

 

こんなものである。公文書が漢字とカタカナで書かれていた1世紀以上も前の古文書である。漢字読解をあまり得意としない副総理兼財務大臣に音読させてみたい。

 この文書は1948年6月19日の参議院本会議で真っ向から否定されている。

 

    教育勅語等の失効確認に関する決議

 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。

  しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

  われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。

  右決議する。

 

また、衆議院本会議でも同日、同様の決議がなされた。

 

   教育勅語等排除に関する決議

  民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。

  思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

  右決議する。

 

以来幾星霜。いまでは、自民党の国会議員の中に、教育勅語にもいいところがある、という者が跋扈している。

 教育勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ」あたりのことを言っているのだろう。だが、教育勅語を持ちださなくても、これらは人類共通の良識である。

 「両親にはやさしくしてやれよ。それから近い親戚や孤児や貧民にも、また縁続きの物や血縁の遠い被保護者、わずかな期間でも一緒に暮らした友、旅人……にも」(井筒俊彦訳『コーラン』4-36)

 この調子で行くと、自民党・文部科学省は次に「夫れ女子は、成長して、他人の家に行き、舅、姑に仕ふるものなれば、男子よりも、親の教えを忽にすべからず、父母寵愛して、恣に育ちぬれば、夫の家に行きて、必ず気随にて、夫に疎まれ、又は……」で始まる貝原益軒『女大学』を女子校の副読本に薦めるであろう。

 嘘だろうって?

 とんでもない、戦後レジームの否定が安倍政権の悲願なのである。

 

(2017.4.1  花崎泰雄)

 

 

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