北朝鮮のキム・ジョンウン委員長が手に入れたのは「体制保証」の約束で、アメリカのトランプ大統領が手にしたのは、CVID抜きの非核化の約束の再確認だけだった。「おいぼれのゴロツキ」が「ちびのロケットマン」に「ディール」でしてやられた――という風な論調が、米国やヨーロッパ、それに日本の――トランプ氏が嫌いな――メディアで流されている。
自らに有利な共同声明に署名して、その後のこうるさい記者会見をトランプ氏にまかせて、自分は記者会見をさけたキム氏の異例の欠席は、カナダのG7を中座したトランプ氏の行動を参考にしたのだろうか?
日本の新聞の多くは「体制保証」は即ち「キム・ジョンウン体制の保証」と報じたが、「体制保証」という言葉は、6月12日シンガポールのセントサ島で行われたトランプ―キムの米朝首脳会談の共同宣言のどこにも書き込まれていない。ホワイトハウスのサイトで米朝共同宣言を読むと、
President Trump and Chairman Kim Jong Un conducted a comprehensive, in-depth, and sincere exchange of opinions on the issues related to the establishment of new U.S.–DPRK relations and the building of a lasting and robust peace regime on the Korean Peninsula. President Trump committed to provide security guarantees to the DPRK, and Chairman Kim Jong Un reaffirmed his firm and unwavering commitment to complete denuclearization of the Korean Peninsula.
とある。この英文は以下のような日本語に翻訳されて朝日新聞に載った。
(トランプ大統領とキム・ジョンウン委員長は、新たな米朝関係の構築と、朝鮮半島の永続的かつ強固な平和体制の建設について、包括的かつ綿密で真摯な意見の交換をした。トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、キム・ジョンウン委員長は朝鮮半島の完全な非核化に向けた確固とした揺るぎない責務を再確認した)
トランプ氏が約束したのは「北朝鮮の安全の保証」である。北朝鮮と米国の間には停戦協定(北朝鮮は過去何度も停戦協定の破棄を口にしている)があるのみで、相互防衛条約のようなものはないのであるから、北朝鮮に安全の保証を与えるという文言は、日米安保とは違って、北朝鮮が他国から攻撃を受けた場合、米国が助けるということではさらさらない。北朝鮮の政治体制は世界でも類のない独裁制で、民主主義のラッパを吹いてきたアメリカが、その独裁体制を保証すると公文書で明言できるわけもあるまい。そもそも、外国がある国の安全を保障することはできたとしても、その国の特定の政権や政治体制を保証することができるだろうか? 米国大統領が共同声明で日本の安倍体制を保証するといえば、それがどんなに馬鹿げた発言であるかは、論を待たないだろう。したがって、「北朝鮮に安全の保証を与える」(to provide security guarantees to the DPRK)という記述は、米国は停戦協定を破って北朝鮮を攻撃することはない、という意味であると読む以外にない。北朝鮮指導者は永らく米国から攻撃されるのではないかという恐怖感にさいなまれてきたというのが世間の認識だった。
その恐怖を打ち消すために、北朝鮮は非核化のごまかしを繰り返しなら核弾頭を持ち、それを運ぶICBMの発射実験に成功した。今度は北朝鮮が米国に不安を呼び起こさせて、トランプ大統領に腰をあげさせ、念願の米朝両国の首脳同士のサシの話し合いまで持ちこんだ。
そうした過去のいきさつを踏まえて、世間が「北朝鮮の安全の保証=金王朝支配の保証」と理解しているだけである。
それはさておき、米朝首脳会談そのものは歓迎すべき出来事である。
首脳会談はこの秋の米国の中間選挙とその後の大統領再選をねらったトランプ氏の景気づけという見方もある。トランプ氏が大統領再選に失敗すれば北朝鮮問題を早急に解決しようという米国側の機運は薄れ、トランプ氏が再選すればトランプ氏にとって北朝鮮の利用価値は低下する。
さて、シンガポール会談の後、運が良ければ北朝鮮の非核化は時間をかけて実現に向かうかもしれない。運が悪ければ、冷戦の負の遺産である朝鮮半島の非武装地帯を挟んで、これまでと同じいがみ合い、脅し合い、虚勢の張り合い合戦が再開され、偶発核戦争の恐怖で、再び眠れない夜がやってくる。
運良く、北朝鮮の非核化をめぐり時間のかかる交渉が始まったとしても、「朝鮮半島の非核化」という文言を廻り、北朝鮮の核のCVIDだけではなく、過去に在韓米軍が保有していたが1990年代には撤去されたとされる戦術核兵器の韓国内での徹底的な検証を北朝鮮が要求することになる。
「北朝鮮の安全の保証」をめぐっては、在韓米軍の存在はもちろん、在韓米軍と一体となって北東アジアの安全保障を担っている在日米軍にまで話が及ぶことになろう。在韓米軍は韓国の安全を保障し、在日米軍は日本の安全を保障するのが目的であるという主張と、韓国と日本の安全を保障する駐留米軍は同時に北朝鮮にとっては安全保障上の脅威になるという千日手――安全保障のディレンマが浮上し、決着がつかなくなる。
すったもんだの交渉の終着点は、北朝鮮に対する攻撃か、北朝鮮の核保有を既成事実として容認する、の二者択一を米国がせまられる事態へと発展する。
北朝鮮の非核化の道のりは、停戦協定にかわる米朝の平和条約締結の交渉と同時進行で進まなければならず、それには骨の折れるデリケートな外交交渉の積み重ねが必要になる。一発ウケをねらうトランプ大統領を頭に頂いた現在の米政権の政策企画能力ではこなしきれない作業である。
(2018.6.13 花崎泰雄)