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日本及日本人

2025-07-22 23:07:09 | 社会

自民・公明惨敗の参院議員選挙にもめげず赤沢経済再生相は米国へ行って関税交渉にあたっている。これで8回目の訪米だ。「お互いの国益を守りながら着地点を見つける」と赤沢氏は言った。日本の新聞が伝えている。「アメリカ・ファースト」と「日本ファースト」のせめぎ合いだ。

今度の選挙でこぼれ球を集めて議員を増やした参政党が叫んだ「日本人ファースト」は「日本ファースト」と意味が異なる。

ロイター通信など海外のメディアの記者は、参政党を右翼ポピュリストであると報じた。ヨーロッパの動向を目撃している彼らには、貧しさのうっぷんばらしに日本の有権者の一部が外国人排斥(ゼノフォービア)ごっこをしているように見えるのだろう。日本には、在来の日本人が不安を感じるほど外国人からの圧迫感はヨーロッパほど強くはないのだが。

このところ日本にやってくる観光客が増えた。出入国統計によると2023年には3700万人弱の入国があった。だがその98パーセントは短期滞在の人である。2023年には約380万人の外国人(調査時に日本に滞在中だった観光客などもふくむ)が日本に住んでいた。日本の人口の3パーセントほどである。日本に住む外国人は増えているが、外国人が刑法犯として検挙される人数は減少傾向を示している。在留資格のない滞在者は2025年初めに7万人余り。20年ほど前の4分の1に減っている。生活保護受給世帯の3分の1が外国人という言説もSNSで流されたが、厚生労働省の資料では、2.87パーセントである。2015年度からこれまでに受給率は2.8パーセントから2.9パーセントの間を推移している。外国人の医療費未払いが多い、という説も流されたが、政府の統計では、日本人を含む医療費の未払いは総額766億円なるが、そのうち外国人による未収金の割合は1.4パーセントだった。

こういうみみっちい物語をばらまいて集票の道具とするような選挙戦であった。SNSの情報が虚偽であったとしても、一部の有権者はゼノフォービアの快感に浸りたかったのである。

 

そういえばむかし『日本及日本人』という雑誌があったことを思い出した。調べてみると、2019年10月13日の朝日新聞の「グローブ」にこんな記事があったのを見つけた。要旨は以下のとおりである。

 

1920年(大正9年)4月、『日本及日本人」(政教社)が「百年後の日本」という特集を組んだ。当時の有識者らに、100年後の日本の姿、つまり2020年に日本がどんな国になっているかを大胆に予想してもらったのだった。

 

  • 「もし現在の如く、我が軍閥が国論を無視して侵略主義を行う時は、遠からず日米戦争を惹起し、その勝敗いかんによって、日本の百年後の運命が定まることになる。勝てば英国と並ぶ大国となり、いよいよアジアの主人たるを得るけれども、負ければ日清戦争前の小日本に成り下がることになる。しからば、来たるべき戦争において日本に勝算ありや。残念ながら私は結果を危ぶむ」(法学博士・末廣重雄)
  • 「日本はまだ醒めきらないのです。寝床の中でやッと背伸びをしているぐらいです。強者に跪拝し、弱者を陵辱して悦んでいます。ヨーロッパの真似をして威張っています。さァ、百年の後? その間に、一度は崇め奉っているヨーロッパ、アメリカから袋叩きにあいます。そこでほんとうに目を覚ます。覚めなければ叩き殺されて滅亡するばかり。覚めればアジアの解放を完成して、東洋の心臓くらいになれるでしょう」(早稲田大学講師・矢口達)
  • 「我ら子孫の日本人はますます根性がひねこびてずるがしこくなり、小闘紛騒を事として諸外国に侮られ、国威すこぶる振るわざるものとなります。この間に支那は誠に大国としていよいよ発展し、米国と提携して日本をいじめることになるでしょう」(小説家・仲木貞一)
  • 「自分が生きていそうもない百年後のことなどは、考えて見たことがありません。ただしかし、人間がこれから先、だんだん幸福になっていくかどうか、大いに疑問だろうと思います。人類の真の幸福というものは、社会改造論者などの手でヒョイヒョイと生まれるものでしょうか」(作家・菊池寛)

100年前も諸賢は明るくない見通しを語っていたのである。

 

(2025.7.22 花崎泰雄)

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暑っちっち!

2025-07-17 00:11:07 | 社会

エアコンを止めて窓を開けると、床が湿気でじとっとなってくる。われながらこんな風土の土地で、よく生きてこられたものだと、いつものことながらあきれる。

日本は四季があって美しい、と周りの大人たちから教わった。春雨・五月雨・夕立ち・秋雨・日本海側の雪。日本はなぜこうも水気の多い国なのだろうと、大人になって知った。四季麗しい日本は、年中、雨天・曇天の日本の負け惜しみである。水はあっても、みずほの国の田んぼは干上がっている。

7月20日は参院選の投票日だ。自公あわせても過半数に届かず、政権党はますます不安定なり、といって連立を組みなおそうとしても、相手に足元を見られて有利なスクラムが組みにくい。世間もメディアもそう見立てている。

安倍晋三が決められない政治からの脱却を唱え、世間がそのかけ声に唱和して自民党の回復に力を貸した。その安倍晋三を担いだ自公がやった決められる政治の後遺症が日本で蔓延している。そのあげく新顔の小政党がヨーロッパの右翼をまねて排外主義的な選挙運動をやっている。だが、それができるのも今のうちだ。あと50年もすれば、日本など見向きもされなくなるだろう。

みんなうすうす感じている。バブルの崩壊が舵を取りそこなった日本の水没の初めだった――にもかかわらず、あの時の政権党が今でもなお政権党であるという滑稽さを。

20日、投票所に行って投票用紙に向かい合ったとき、冗談じゃないよ、とまず低くつぶやき、やおら鉛筆を手にされるとよろしい。

 

(2025.7.17 花崎泰雄)

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酷暑勉励

2024-07-28 22:47:51 | 社会

ひどい暑さである。外出をひかえ、ためらわずエアコンを使って危険を避けよ、とテレビが言う。エアコンの効いた部屋にいるとやがて鼻水が垂れてくる。テレビはパリのオリンピックと、日本の高校野球地方大会、日本のプロ野球、大相撲、アメリカ大リーグの大谷のホームランシーンなどスポーツであふれている。パリは東京や大阪より少し涼しく、雨も降っていたのでスポーツ選手はそれほど暑苦しくないのだろうが、それでも柔道の選手が失神している。高速鉄道網のサボタージュや詰めかけた観戦客でパリの住人は暑苦しい思いをしていることだろう。一方で運動を避けて冷房の効いた部屋にいるようにと勧めている日本のテレビが、他方で炎天下に土煙を上げる高校野球の死闘を伝える。その結果を載せて配達されてくる新聞は湿気を吸ってふにゃふにゃだ。しばらくはPodiumを閉鎖、安静につとめる。

(2024.7.28 花崎泰雄)

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酒と煙草

2024-07-20 22:51:24 | 社会

ロンドンとパリの間を英仏海峡の海底に掘ったトンネルを通って高速列車が走る以前のことだからずいぶん昔の話だ。パリからロンドンまでエールフランスの便に乗った。ちょうど昼時だったので、客室乗務員が軽食とワインのミニボトルを配った。客室乗務員は私の席のすぐ近くの中学生ほどの子どもにもワインのミニボトルを渡した。ワインの国だなあと、恐れ入った。そのころのフランスではワインやビールは16歳以上、家族同伴なら14歳以上で飲んでよろしいという規則になっていた。

まもなくパリでオリンピックが始まるが、19歳の日本の体操女子代表選手が飲酒と喫煙を咎められてオリンピック出場を辞退させられた。「日本代表チームとしての活動の場所においては、20 歳以上であっても原則的に喫煙は禁止する」「日本代表チームとしての活動の場所においては、20 歳以上であっても飲酒は禁止とする」と定めた日本体操協会の「行動規範」に違反したのが理由だ。

とはいうものの「行動規範」は「合宿の打ち上げ、大会のフェアウェルパーティー等の場合は監督の許可を得て可能とする 」としている。監督の許可さえあればTPOに応じで飲酒可能としている。

団体行動を前提とした行事で皆でいっしょに飲む酒は問題ないが、監督の許可なしに個人として飲酒した選手は処分をうけるようである。

(2024.7.20 花崎泰雄)

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脱力の二重価格論議

2024-06-23 14:06:52 | 社会

姫路市が管理する姫路城の入場料を外国からの訪日客を対象に値上げするアイディアを姫路市長が公にした。朝日新聞6月23日朝刊によると「7ドルで入れる世界遺産は姫路城だけ。外国の人は30ドル払っていただいて、市民は5ドルぐらいにしたい」と市長が言った。

観光料金の二重価格である。何十年も前、北京の天壇公園へ行ったとき、入園料は「市民」と「外国人」の二重価格になっていた。この二重価格制度は中国が経済力をつけるとともに廃止された。収入よりも国際的な評判を気にしたせいであろうと思われる。また、メルボルンに住んでいたその昔、市内のチャイナタウンのあるレストランに日本語版のメニューと英語版のメニューがあり、料理の代金が異なっていることを知った。

金が欲しいのなら、「白サギ城」の2重入場料アイディアのような、そんなけちくさいことを考えないで、日本の入国税に相当する「国際観光旅客税」を引き上げればすむ。国際観光旅客税は日本を出入りする旅行者が1回の出国につき1000円の税を払うことを定めている。この金額は航空・船舶料金に含まれていて、航空会社と船舶会社が代理徴収分を国税庁におさめている。

現行1000円の国際観光旅客税を10倍増の10000円に引き上げるとすれば、ちょっとした増収になる。ビジネクラスやファーストクラスの利用者を対象に税額を上乗せすればさらなる増収が期待できる。その税金を国際観光客の急増で困っている都市に対策費として交付すればいいだけの話だ。

どこの誰が、こんなみっともない二重価格のアイディアを姫路市長に語らせたのだろうか?

(2024.6.23 花崎泰雄)

 

 

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にほん?/にっぽん?

2024-05-26 15:55:00 | 社会

朝日新聞5月25日付朝刊オピニオン・ページのコラム『多事奏論』で、高橋純子・編集委員の「思想は深いがいい つるっと『にっぽん』多用の怖さ」という記事を読んだ。

その記事の一部でNHKの連続ドラマを引き合いに出して高橋氏は次のように書いていた。

           *

 ただ、「虎に翼」では個人的にひとつだけ、残念だったことがある。第1話、冒頭のナレーション。

 「昭和21年。公布されたにっぽんこくけんぽうの第14条にこうあります」

 NHKに問い合わせたら「日本国憲法を、にほん、にっぽん、どちらで呼称するかは番組の判断」との回答だったが(つれない)、ぜひ「にほん」と読んでほしかった。正否の話ではない。「にっぽん」がつるっと多用されることへの警戒心を、私はどうしても拭えないのだ。

         *

そのあとで、鶴見俊輔や戸坂潤を引き合いに出し、日本が「にほん」ではなく「にっぽん」と発音されるのは、侵略思想を広げようとするときであると高橋氏は主張し、「おびただしい数の命や声や思い。その犠牲の上に誕生した憲法はやはり、『にほんこくけんぽう』と読まれてほしい」と書いている。

 

日本国憲法を「にっぽんこくけんぽう」と発音すれば、背後に「だいにっぽんていこくけんぽう」の亡霊を感じる人もいれば、感じない人もいる。それはともあれ、日本橋は大阪のそれは「にっぽんばし」で東京のそれは「にほんばし」と発音される。しかし、大切な日本国憲法は全国一律で「にほんこくけんぽう」と発音してほしいと、編集委員は願っているのだろう。

 

一般的には、日本を「にほん」と発音するか、「にっぽん」と発音するかは、言葉の前後関係でどちらでもいい話だ。日本脳炎を「にほんのうえん」と発音しようと「にっぽんのうえん」と発音しようと、それが危険な夏の感染症であることは同じ。日本刀を「にほんとう」と発音しても「にっぽんとう」と発音しても、切ったら血が出る人斬り包丁に変わりはない。

(2024.5.26 花崎泰雄)

 

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サクラチル

2024-04-11 01:07:49 | 社会

連歌師の飯尾宗祇の独吟百韻の一つは次のように始まる。

 限りさへ似たる花なき桜かな

  しづかに暮るゝ春風の庭

桜の花の見事さは満開の時だけに限らず、その散りぎわにもあるのだなあ、と春風に包まれて舞う花びらを見る春の静かな夕方。連歌に見られる中世知識人の美意識がにじむ。静謐。

つづいて、浅野内匠頭の辞世と伝えられる歌。

 風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん

「いかにとやせん」がちょっと「におう」。

さきほど毎日新聞の電子版で読んだのだが、職業差別的な発言をした川勝平太・静岡県知事が退職届提出にあたって10日、

 散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ

という細川ガラシャの辞世の引用を記者たちに披歴した。同紙によると、川勝氏は「辱めを受けないために死を決意した。(自分が)昔から行動規範として持っているもの」と説明した。県民からは「自己陶酔だ」と批判の声もあがった、という。

桜の散りぎわにかこつけて恨みがましい自己弁護をするというのは、美的とはいえない。

(2024.4.11 花崎泰雄)

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セロニアス・モンクを偲んで

2024-02-18 00:45:14 | 社会

2月17日はセロニアス・モンクの命日だった。CDの棚から『パロ・アルトのモンク』を取り出して聴いた。モンクは脳梗塞で1982年2月17日に死んでいる。彼は1970年代には演奏から遠ざかった。『パロ・アルトのモンク』は1968年の収録なので、彼の演奏歴としては晩年のものになる。

1968年は動乱の年だった。米国のベトナム撤退を決定づけたテト攻勢があった。マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで暗殺された。ロバート・ケネディ上院議員がロサンゼルスで暗殺された。彼は大統領選挙の選挙活動の最中だった。

ビアフラの戦争で大勢の餓死者が出た。チェコスロバキアでドプチェク氏を中心に「プラハの春」運動がおこった。この民主化の動きを封殺するためにソ連がワルシャワ条約軍をプラハに送り込んだ。

メキシコ・オリンピックでは、米国のアフリカ系選手が、こぶしをつきあげて「ブラックパワー」を世界に告げた。

米国内の大学で始まったベトナム戦争に反対し、大学の権威主義に抗議する姿が世界に流された。いわゆるスチューデント・パワーはパリでは「5月革命」とよばれるほどの政治危機をもたらした。

新左翼系の学生運動はヨーロッパに広がり、日本でも燃え上がった。

1968年はそのようなにぎやかな年だった。

サンフランシスコから車で1時間ほどのところにパロ・アルトというこじんまりとした町がある。町はスタンフォード大学やシリコンバレーと隣接している。パロ・アルトの16歳の高校生ダニー・シェアが仲間たちとハイスクールの学園祭の催しとして、セロニアス・モンクのカルテットを招いて演奏会をやりたいと思いつき、モンクのエージェントと交渉を始めた。

キング牧師の暗殺を始め、世界中に広がった社会的な動揺に心をいためる高校生の気持ちに応えてモンクが出演を快諾した。演奏は1968年10月27日パロ・アルト高校の講堂で行われた。

入場料2ドル。2ドルでモンクが聴ける時代があったのだ。

この時のコンサートを録音したテープが発見され、2020年に「インパルス」から発売された。モンクの音楽は懐メロにはなりにくいが、当時、記者稼業を始めて間もなくの筆者は日本の学生運動の若者から「ブル新の走狗」よばわりされ記憶があり、モンクがたたく鍵盤に誘われて昔の記憶がよみがえった。

モンクは64歳で死んだ。ロシア極北の監獄で死んだアレクセイ・ナワルヌイ氏は47歳だった。

(2024.2.18 花崎泰雄)

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しばし小休止

2023-12-23 17:08:04 | 社会

明日24日にはオーブンでローストチキンをつくり、31日に鴨南蛮そばで年越しをする。真似事のようなおせち料理を食べ、本も読まず、言葉も発せず、口はものを食べるときだけに使い、しばしの小休止を楽しむ。「諸縁を放捨し、万事を休息して善悪を思わず、是非を管すること莫れ」といったのは道元だが、ウクライナの戦場にいる兵士や住民、ガザの兵士や戦闘員や住民、パーティー券のキックバックをめぐって胸騒ぎがしている議員や議員秘書、彼らを追っかけている検察とプレスはそうもいかないだろう。それ以外の方々には適宜小休止をお勧めする。

(2023.12.23 花崎泰雄)

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夏が終わった

2023-10-07 23:34:16 | 社会

蒸し暑く獰猛だった2023年の夏が終わった。日中の最高気温が30度を下回り、明け方の最低気温が20度以下になった。夏の間中断していた午後の散歩を再開した。公園の木立の中の散策路をたどるのは久しぶりだ。久しぶりに散歩すると足がだるくなる。ベンチに座って秋の空を眺めるとジェット旅客機が飛んでいるのが見えた。

ウクライナとロシアの戦争がおさまる気配は薄い。ウクライナを支援している米国では、共和党右派の造反で、下院議長が解任された。バイデン大統領は凍結していたメキシコとの国境の塀の工事開始を決めた。ウクライナ支援の予算はこれから議会と折衝しなければならない。ロシアは予算の3割を軍事費にあてるそうだ。中東ではガザからイスラエルへ数千発のロケット弾が撃ち込まれた。イランの人権活動家の女性に今年のノーベル平和賞が贈られることになった。

日本では世界の潮流とは関係のない、重箱の隅での政局のあれこれが話題になっている。2つの国会議員補選があり、その結果が、年内の解散総選挙の可能性が占えるとメディアがはしゃいでいる。自民党の岸田首相が連合の定期大会に出席した。

屈託の末に世相をながめればいずこも同じ秋の夕暮れ――名はさまざまに入れ替わる茶番。歳を重ねると風景がセピア色になって流れる。

(2023.10.7 花崎泰雄)

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ヒートウェーブ 昼寝の夢悪

2023-07-22 01:10:45 | 社会

このところひどい暑さだった。日本だけではなく、北米やヨーロッパも猛暑に襲われた。この暑さとは関係ないのだろうが、朝鮮半島では在韓米軍の兵士が板門店で南北境界線を越えて北朝鮮に入った。韓国勤務の間に暴力事件を起こし、米本国に送還されて処分を受けることになっていた。送還の日に空港から逃走し、外国人観光客を対象にした板門店見学ツアーに入って、板門店に行ったという。現役の米軍兵士が北朝鮮に逃げ込んだのは、1965年にチャールズ・ジェンキンス氏が境界線を越えて以来の事だった。日本国内では袴田事件の再審にあたって、検察が有罪の立証に本格的に取り組む姿勢を示した。殺人事件発生から半世紀以上たってなお、検察が示した証拠に疑わしいところがあると裁判所が判断した事件を、再び同じ証拠を掲げて一から争うという姿勢は、面子を保とうとしているのではないか、とメディアに言われている。検察は国家を代表して公訴するのであるから、国家権力の無謬性が重要な課題になる。「第三者が味噌樽に入れた可能性が否定できない」(東京高裁)とまで言われると、検察もむきになってしまう。法廷闘争において有罪の証拠を裁判官に納得してもらえなかった――だから裁判で負けたのだという認識が検察にはないのである。

猛暑のさなか街頭を行く人の様子をテレビで見ると、まだマスクをかけている人が目につく。日本人は世界で有名なマスク好きであるが、それにしても息苦しいだろうな。コロナ流行で、マスク不足に対処するため大枚をはたいていわゆるアベノマスクをつくらせて国民に配った日本政府だったが、米国やアジア、ヨーロッパのくつかの国のように、マスク着用を義務化しマスクを着けない人に罰金を科すなど手法は取らなかった。OECD加盟国の中で死刑制度を残しているのは日本、韓国、米国の3か国だけである。韓国は死刑の制度を残しているが、20年以上前から死刑を執行していない。米国では死刑を廃止した州と執行を停止している州が半数を占める。EUは憲章で死刑制度を否定している。死刑制度を持つ国家はEUに加盟できない。死刑国家日本がCovid-19ではマスク非着用者に罰金ではなく説得で着用を進める道を選んだのは興味深いことであった。

米国では、ニューヨークの地下鉄でマスクを着用しようとしない乗客に罰金を科した。すると、ニューヨーク州最高裁判所がその罰金はニューヨーク州法の考え方に反すると決定した。連邦レベルでは米国土安全保障省が鉄道や航空機でマスクの着用を拒否する乗客に罰金を科すことにした。シンガポールでは地下鉄の乗客でマスク着用を拒否した外国人が逮捕された。シンガポールはfine cityである。Fineには美しいという意味と、罰金という意味がある。街中でごみを捨てると罰金、トイレ使用後に水を流さないと罰金、地下鉄で飲食・ガムをかむと罰金、地下鉄にドリアンを持ち込むと罰金など、市民の日常生活のルール違反が罰金の対象になっている。このような罰金を使って市民の生活を管理する手法に対する批判に対しては、当時のリー・クアンユー首相が、それをやらなかったら今日のシンガポールはなかった、と言った。

リー・クアンユー氏は実利志向のアイディアの人で、シンガポール国民に選挙で重複投票権を与える制度が必要だと語ったことがある。35歳から60歳までの仕事と家庭の両方に責任を負っている人達には2票の投票権を与えてはどうだろうかというアイディアだった。一票はその有権者のための票、あと一票は育てている子どものための票。重複投票制はJ.S.ミルも主張したことがあるが、リー・クアンユー氏の重複投票権はアイディア倒れに終わった。一部の特定年齢層にだけに追加の投票権を与えるのは差別になるからだ。日本で国民に選挙権が与えられたのは明治になってから。当時は高額納税者だけに選挙権が与えられた。そののちすべての成人男性に選挙権が与えられるようになった。女性が選挙権を持ったのは日本が米国に敗戦した1945年からであった。日本は誰かが叫んだように美しいみずほの国ではなく、政治途上国に過ぎなかった。

今でも、日本は政治途上国なのだ。日本は国政レベルで重複投票権と重複立候補権を制度として持っている。奇妙なことに衆議院選挙では同一人物が小選挙区選挙と比例代表区選挙に立候補できる。この制度だと選挙区選挙で落選しても比例代表区選挙で復活できる。敗者復活戦のようなことを議員たちは享受している。参議院選挙では同一人物が選挙区選挙と比例代表区選挙に立候補することはできない。なぜ? この制度にはどんな利点があるのか、本を読んでもよくわからない。利点があったのなら、自民党政権下で日本の政治・経済・社会の国際ランキングがこれほどひどく下がってしまうことはなかっただろう。

(2023.7.22 花崎泰雄)

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優先席

2023-07-15 03:59:07 | 社会

ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使の車が東京で襲われたと、ニュース速報が7月14日後のインターネットで流れた。1862年の生麦事件、1891年の大津事件、1964年のライシャワー駐日米大使襲撃事件などが頭をよぎり、ちょっと驚いた。

14日夜の段階では、大使の車が渋滞に巻き込まれ、いらだった付近の別の車の運転者が自分の車からおりて大使の車に近づき、大使の車の運転手の胸倉に手をのばしたということだった。

レジャバ大使は別の件で名の知れた人だ。7月14日の朝日新聞夕刊(東京)の1面トップ記事によると(最近の朝日新聞夕刊はニュースではなく世間話を主として報じている)大使は日本の電車の優先席に座っている写真をツイッターに投稿して「電車の優先席が空いていたら、座ってよいか、空けておくべきか」という議論を持ち出している。

朝日新聞の記事によるとSNS上の議論では、「見た目ではわからない障害をもつ人もいる」「自分から譲ってとはいいづらい」といった理由から、必要な人のために優先席は「空けておくべきだ」とする意見があった。6月18日の日曜日に大使は家族と電車で移動したさい、優先席以外が少し混み、優先席が空いていたので家族と座った。窓に貼られた文言を読んだが、「座ってはいけない」とは書かれておらず、写真写りを考えて足を組んだバージョンを撮り、投稿したという。「席が空いているなら座るのを我慢する理由は一つもない。必要としている人が来たら、譲ればいい」。母国にも優先席はあるが、「多くのジョージア人が同様に考えるだろう」。レジャバ大使のこのような意見を支持する発言もあった。

この記事には、国土交通省が行った意見調査の結果が添えられていた。国土交通省が、公共交通機関を利用する際の「配慮」について2022年11月にウェブで行った調査。全国の20代以上の男女985人が回答した。

公共交通機関で優先席に座るかについて「ほとんど座らない」が42.3%、「座ったことがない」が17.0%で、計6割近くに上った。一方、「よく座る」が7.4%、「ときどき座る」は33.3%だった。そのうえで「座ったことがない」答えた人を除く回答者に、高齢者やけが人などがいたら優先席を譲るか尋ねたところ、「よく譲る」が57.7%、「ときどき譲る」が23.9%で、計約8割にのぼった。優先席を譲らない理由を複数回答で尋ねたところ、最多は「譲るべき相手かどうか判断がつかなかった」の42.7%。自身が「体調不良・けがをしていた」が30.8%、「回答者自身に優先席を必要とする特性があった」が18.8%だった。

ずいぶん前の事だが、筆者の連れ合いが東京の地下鉄の階段で転び脚の骨を折った。数か月の入院の後、教師だった彼女が講義を再開するにあたって、筆者は自家用車を運転して彼女を大学まで送り迎えした。自家用車通勤を続けたあと、松葉杖を使いながら電車で通勤できるようになった。しばらく電車通勤に筆者がつきそった。そんなある日の夕方にうっかり帰宅ラッシュ時の地下鉄に乗ってしまった。優先席の前に立った。席を立って優先席を譲ってくれる人はいなかった。そこで筆者が「ここに松葉杖のけが人が立っています。席をお譲りください」というと、ある男性が立ち上がって席を譲ってくれた。優先席というのは鉄道会社が決めた内規である。松葉杖の配偶者にもその付き添いの筆者にも席を譲ってくれという法的な権利はない。優先席に座って居眠りをし、スマートホンをのぞき込んでいる通勤客には優先席をゆずる法的な義務はない

筆者はソウルと台北に何度か出かけている。かつては当方の年より面を見て、席を譲ってくれる人がいたが、年とともに席を譲ってくれない人が増えた。わたしの実感であり、ソウルや台北のニュースで知ったことである。

ふと、昔のニューヨークのニュースを思い出した。あたってみると、2009年6月17日の『ニューヨーク・タイムズ』に、ニューヨーク市の交通当局が以下のような広告を出して地下鉄やバスの席を譲ろうというキャンペーンを始めたという記事が載っていた。

                   

障害のある人からの要請を拒否して、席をゆずらなかった場合は最高50ドルの罰金――それは上品なふるまいだけのことではなく、法のきまりである――It’s not only polite, it’s the law.  都会の生活の行き着く先はこんなところだろう。

(2023.7.15 花崎泰雄)

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ブランコ、swing、そして鞦韆

2023-04-25 18:54:20 | 社会

イギリスの作家カズオ・イシグロが黒澤明の映画『生きる』を翻案した映画 『Living 』が4月日本でも公開された。カズオ・イシグロが脚本を書き、オリヴァー・ハーマナスが監督した。

『Living 』は、映画の舞台を原作の1950年代の日本から1950年代の英国に移しているが、物語の筋は黒澤作品を尊重している。翻案というよりはremakeという言い方があたっている。

黒澤の『生きる』もハーマナスの 『Living』も物語の主人公は平凡な公務員である。ある日、医師から癌でもう長くは生きられないだろうと言われる。短い余命を宣告された公務員が失意のどん底から人間として再生するきっかけが街の子ども公園の建設だった。市民からの要望がありながらも棚ざらしにされていた計画だった。

ストーリーは映画を見ていただくのが手っ取り早い。たいていの方は黒澤の『生きる』のあらすじはよくご存じだろう。子ども公園が完成したある日、主人公は雪の降る中で子ども公園のブランコに座り、物思いにふける。そして歌を口ずさむ。黒澤映画の主人公は「ゴンドラの歌」を、ハーマナス映画の主人公はスコットランド民謡の「ナナカマドの木(The Rowan Tree)」を歌う。見る人の心を打つ場面である。

  「あなたの心の内をたずねなさい。そこにこそ泉はある」

  「しあわせな一生を送るには、ごくわずかなものでこと足りる」

ローマ帝国5賢帝の1人であるマルクス・アウレリウスの『自省録』の中のストイックな断想を思い起こさせるシーンだ。

このシーンで人生最後の仕事をやり遂げた主人公に黒澤は「ゴンドラの歌」をうたわせた。芸術座の公演『その前夜』の劇中歌で、大正から昭和にかけての日本製の流行り歌だ。「ゴンドラの歌」は、舞台をイギリスに移した『Living』では使いにくかったのだろう、脚本を書いたイシグロは歌をスコットランド民謡「ナナカマドの木」にかえた。四季の風景と家族の慈しみをたたえた穏やかで滋味あふれる歌だ。

「ゴンドラの歌」の「命短し恋せよ乙女」は『Living』には合わない。少なくとも日本人の観客は「命短し恋せよ乙女」と聞くと「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」(三橋鷹女)という気合の入った俳句をつい連想してしまう。

ブランコは哲学の小道具になりうるが、過去の風俗画では男女の情動のシンボルとして使われてきた。西洋の例ではジャン・オノレ・フラゴナールの絵がある。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/181339)。

東洋では中国・清時代の「二美人遊戯鞦韆図」がある。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/293050

芥川龍之介は「傾城の蹠白き絵踏かな」という句を作った。中国政府が法輪功を嫌うように、江戸幕府はキリスト教を嫌い弾圧した。その手段の一つが「絵踏」だった。長崎の絵踏の最終日は丸山遊女が対象になった。物見高い連中が集まって、着飾った遊女たちが素足で聖画を踏むのを見物した、と歳時記にある。白い裸の足は小説家のフェティッシュな趣味だ。だが、宗教史が専門の歴史家だったらこんな句はつくらないだろう。哲学者テオドール・アドルノは、アウシュビッツを題材に詩をかくのは野蛮である、と言ったそうである。それをもじって日本のドイツ文学者三島憲一は、南京虐殺で俳句を作ることは野蛮である、と言い換えたそうだ。俳句の「俳」は戯れの意であるが、「俳」の野放図をたしなめる倫理というものもある。

原勝郎『鞦韆考』(青空文庫)によると、ブランコは古代ギリシアにもあった。首をつって死んだ女性の祟りを封じるためにブランコを造って祭りで漕いだという神話がある。ブランコは古代ギリシアから古代ローマに伝わり、やがてヨーロッパに広がった。『鞦韆考』はブランコが祭祀の小道具から、大人の男女のエロティシズムの小道具になった例として、18世紀のフラゴナールの絵をあげている。

ブランコ遊びは中国へも広がり、春の女性の行事「鞦韆」として定着した。日本にももたらされたが、大人の鞦韆遊びは日本ではいっときすたれ、徳川時代になって俳諧の季語「鞦韆」として復活した。しかし現代では「鞦韆」は俳句以外では使われることの少ない言葉になった。鞦韆にとってかわった「ブランコ」は子ども公園にあり、遊園地のタワーから吊り下げられた電動空中ブランコは大人の男女がキャアキャアと歓声を上げる無機質な遊具になっている。

(2023.4.25 花崎泰雄)

 

 

 

 

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ボッティチェリの美人画

2023-01-22 00:13:58 | 社会

さきごろ東京・大手町の丸紅ビルに行ってきた。大した用件ではなかった。サンドロ・ボッティチェリが描いた15世紀フィレンツェの美女シモネッタ・ヴェスプッチの肖像画を見に行ったのである。

子どものころ西洋美術史を教えてくれた教師がボッティチェリのファンで、そのせいで後年わたしはフィレンツェへ行き、ウフィッツ美術館でサンドロ・ボッティチェリの『春』や『ヴィーナスの誕生』を見た。今ではボッティチェリよりも、その時フィレンツェのレストランで食べた巨大なフィレンツェ風ステーキの記憶の方が鮮明に残っている。塩味だけの炭火焼――ビステッカとか言っていたな。

As time goes by…….

ボッティチェリがシモネッタの肖像を描いてから600年余り。丸紅がこの絵を購入してから50年余り。シモネッタを展示している丸紅ギャラリーは丸紅ビルの3階にあり、1階のロビーにはボッティチェリが描いたシモネッタの拡大写真が飾られていた。企業は金儲けに奔走するだけのものではない、という自負の表れなのだろう。

丸紅といえば、田中角栄のロッキード事件の残像が消えない。「ピーナッツ」が裏金の単位として使われたことの滑稽感も忘れられない。

立花隆が死んでまもなく1年になる。ロッキード事件報道における立花隆の活躍は、伝統的な大手新聞ジャーナリズムの怠慢の表れでもあった。

(2023.1.22 花崎泰雄)

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秋は来にけり

2022-09-29 17:14:23 | 社会

住んでいる団地から公園に向かう遊歩道がイチョウ並木になっている。緑濃かった葉っぱが黄色みを増している。その下を歩くとにおいを感じる。生のイチョウの実は独特の強い臭みを発生させる。

はき続けた靴の匂いといわれてきた。気象状況によって異臭の強さが変わる。路上に落ちたイチョウの実が通行人によって踏みつぶされ、そこへひと雨降り、やがて日が差し始め、地表が温まると同時に、異臭がゆらゆらと立ち上る。

東南アジアにはドリアンという木の実がある。珍味ではあるが極度のにおいを発生させるので、高級ホテルでは持ち込みが禁止されている。ドリアンの異臭については、3日間はき続けた靴下をくみ取り便所の中で嗅いでいるような感じだと言われてきた。シンガポールの地下鉄MRTはドリアンの車内持ち込みを禁止している。

その実が強い腐敗臭を放つイチョウを遊歩道の両側に植えたのはなぜなのだろうか。

遊歩道を抜けきって公園に入ると、木立の一角にキンモクセイの群落があった。嗅覚をしびれさせて悪臭を感じさせなくなるような強烈なにおいを発する黄色の花である。この強いにおいはかつて便所の臭い消しにつかわれた。キンモクセイの香りをかぐと、便所花という言葉を思い出す。

(2022.9.29 花崎泰雄)

 

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