悲しいお知らせです。
ブレーメンのクラウス・オッカー先生が、先月(11月25日)にお亡くなりになったという知らせを、ブレーメンの知人から受け取りました。
1923年生まれなので、90歳を超えるまでお元気にしていらっしゃったと思います。
オッカー先生とは、日本のある声楽合宿でお知り合いになり、その後、個人的にレッスンを受けたり、
声楽を学ぶ同志が集まる会にお招きして、来ていただいたりしました。
また、2011年ブレーメンで演奏会をしたときにも、わざわざ来てくださり、お元気にしておられる様子がわかり、ほっとしたものでした。
日本にも住んでおられて、いくつかの大学で教鞭をとっておられた次期もありました。
先生のお話の中で、印象に残っているのは、(私がドイツ語を、そう理解したので、本当は違うかもしれませんが・・・)
「戦争に行って、鉄砲の弾が体をつき抜けたが、幸いに助かった。そのせい(おかげ)で、オペラではなく歌曲の方を自然と選んだが、
そのおかげで、声楽家として長い間歌うことができた。」
「エジプト(アテネだった?)で演奏会をしたときに、シューマンのリーダークライスOp.39を歌った。「月の夜」を歌った後に、拍手が止まらなくなり、
同じ曲を何度も歌った・・・そのせいで、予定していた飛行機に乗れず、1日遅れてフランクフルトについた。
ブレーメンにいる妻に電話をしたら、びっくりしていました。なぜだかわかりますか?私が乗る予定だった飛行機が落ちていたんですよ。」
そうやって、何度も幸運に恵まれ、人生の危機を乗り越えてこられた先生でした。(きっと神様に「まだいろいろすることがありますよ」って言われた人なんだろうなぁって思います。)
2011年にお会いした時も、まだ研究やコンサートをされていると聞いたので、きっと最後の最後まで音楽の仕事をされていたことでしょう。
「日本語を忘れるので、『あいうえお』が書いてあるものがほしい」といわれて、幼稚園用の「あいうえお表」を贈ったこともありました。
いつもお茶目で、ほがらかで、そしてとてもあたたかい歌を歌われる先生でした。
いろいろな音楽のお話を聞かせていただくのが、大好きだったので、もういらっしゃらないかと思うと悲しいです。
心からのご冥福をお祈りします。