Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

悲しいお知らせ

2015年12月07日 19時55分27秒 | Weblog

悲しいお知らせです。

ブレーメンのクラウス・オッカー先生が、先月(11月25日)にお亡くなりになったという知らせを、ブレーメンの知人から受け取りました。

1923年生まれなので、90歳を超えるまでお元気にしていらっしゃったと思います。

オッカー先生とは、日本のある声楽合宿でお知り合いになり、その後、個人的にレッスンを受けたり、

声楽を学ぶ同志が集まる会にお招きして、来ていただいたりしました。

また、2011年ブレーメンで演奏会をしたときにも、わざわざ来てくださり、お元気にしておられる様子がわかり、ほっとしたものでした。

日本にも住んでおられて、いくつかの大学で教鞭をとっておられた次期もありました。

 

先生のお話の中で、印象に残っているのは、(私がドイツ語を、そう理解したので、本当は違うかもしれませんが・・・)

「戦争に行って、鉄砲の弾が体をつき抜けたが、幸いに助かった。そのせい(おかげ)で、オペラではなく歌曲の方を自然と選んだが、

そのおかげで、声楽家として長い間歌うことができた。」

「エジプト(アテネだった?)で演奏会をしたときに、シューマンのリーダークライスOp.39を歌った。「月の夜」を歌った後に、拍手が止まらなくなり、

同じ曲を何度も歌った・・・そのせいで、予定していた飛行機に乗れず、1日遅れてフランクフルトについた。

ブレーメンにいる妻に電話をしたら、びっくりしていました。なぜだかわかりますか?私が乗る予定だった飛行機が落ちていたんですよ。」

そうやって、何度も幸運に恵まれ、人生の危機を乗り越えてこられた先生でした。(きっと神様に「まだいろいろすることがありますよ」って言われた人なんだろうなぁって思います。)

2011年にお会いした時も、まだ研究やコンサートをされていると聞いたので、きっと最後の最後まで音楽の仕事をされていたことでしょう。

「日本語を忘れるので、『あいうえお』が書いてあるものがほしい」といわれて、幼稚園用の「あいうえお表」を贈ったこともありました。

いつもお茶目で、ほがらかで、そしてとてもあたたかい歌を歌われる先生でした。

いろいろな音楽のお話を聞かせていただくのが、大好きだったので、もういらっしゃらないかと思うと悲しいです。

心からのご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

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