Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

バトンです。

2007年04月27日 13時29分22秒 | Weblog
MIHOKOからずいぶん前に、こんなバトンはに~ちゃんどう?って言われていて、やっとこさ今日書きました。(次にはまわしませんけど)

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●最近思う『ウィーン』
ウィーンだけでなく、とにかくユーロが上がってて、旅行者にはつらいヨーロッパですが、つらいのはウィーンに住んでいる住民も同じ?物価は上がりっぱなし(給料がそれだけ上がっているとは思えない!)なので、普段の生活にかげりが見えているのではと、心配しています。

3年前になるのかな?ウィーンに行ったときに、以前は皆無だった黒人系の人がたくさんいたことにびっくりしました。おそらく同じユーロ圏のフランスあたりから流れてきた人たちだと思います。そして見た目ウィーン人でも、近くで話を聞いているとチェコ語だったり、マジャール後だったり、ルーマニア語だったり・・・・いろいろな国の通過地点になっていることから、いったいここはどこ?っていう感じがしました。


●この『ウィーン』に感動
7年のウィーン生活の中で、ドナウ川はいつもミドリでした。それは藻の色だそうです。でも、帰国が決まって、当時国連にお勤めの大家さんに鍵を返しに行った帰り、ドナウ川を渡ろうとしたときに「青」だったんです。初めてでした。空の青がきれいに映って、見事に青でした。電車の中で泣いたのを覚えています。

あと、これは普段よくしゃべっているのでご存知の方も多いでしょうが、ホセカレーラスが白血病から復活した最初の「カルメン」を見ました。2月だったと思います。前の日の夕方から0度を切る寒さの中、オペラ座の外で並び、朝6時に整理券をもらい、そして夕方4時にもう一度並んで…もちろん立ち見です。
復活したカレーラスもすごかったけど、相手役のバルツァの演技は際立っていました。何度も何度もカーテンコールをして、最後には支配人が「もう皆さんお帰りになられました。」と挨拶し、鉄のカーテンも降りて、終演1時間以上も立ってから帰りました。たぶんオペラは何千と見ているはずなんですが、この作品が一番の思い出です。

あとは、アイスクリームだとか、食べ物ですが、それはまたの機会に。

●好きな『ウィーンの音楽』
もちろん「ウィーン歌曲」。シューベルトが好きなときもありましたし、モーツァルトの時や、シュトラウス(両方!)の時もありました。でも今はハンスモーザーさんなんかが映画で歌っている、あのよたったウィーン歌曲が大好きです。私がこれを歌えるかどうかもわかりませんが、(外人さんが、大阪弁で漫才にチャレンジするようなもの)長い時間かけて取り組みたいと思っています。

●こんな『ウィーン』は嫌だ
観光客には親切ですが、いったん住民になったら冷たいなぁって思うところがたくさんありました。かなりきついです。今でこそメールができて、野菜や魚も充実していますが、昔は何もなかったので、(ピーマンやブロッコリーでさえ、置いていないスーパーがありました。まして小松菜も水菜もありませんし、白菜やキャベツも日本のとは違うものでした。)たいへんでした。

●この世に『ウィーン』が無かったら
音楽の都ウィーンですから、ではいったいどこが音楽の都になっていたんでしょう?パリですかね?他の人はともかく、シューベルトとブラームス、ベートーヴェンはパリには似合わないですね。どんくさすぎる。

ということで、ウィーンバトンかいてみました。
コメント (4)
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