デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

Viggoのこと

2006-01-25 13:46:20 | 私の家族たち
Viggoとは義父の名前で、義父と義母はだいぶ年齢の離れたカップルだった。
残念ながら彼は病気で夫が16歳のときに亡くなってしまっているのだけど、
写真で見ると若い頃はかなりのハンサム、映画スターかと思うほどだ。
私は会ったことがないので彼のことを「伝説のViggo」と勝手に呼んでいる。

Viggoは若い頃はローリングをやっていた。彼の兄のPeter Richardがロー
リングで36年のベルリンオリンピックでメダルを取っており、Viggoは38年に
ミラノで行われたヨーロッパチャンピオンシップに兄と組んで出場、3位になって
いる。次のオリンピックには弟のViggoが出場するだろうとデンマーク内では
思われていたようだ。ところが39年にヨーロッパで戦争が勃発、以来、48年
までオリンピックが開催されることはなかった。そうしてViggoはオリンピック
に出場する機会を逃してしまったのだ。
もし出場していたら、ヨーロッパチャンピオンシップでメダルを取っていた
ということはオリンピックでメダルを取る可能性が高かったという。

当時のことは義母もまだ結婚していなかったのでよくわからないのだけど、Viggo
はかなりもてていたらしい。彼の最初の結婚(義母とは2回目)は地元紙に載り、
確か「これで女の子達も騒げなくなる」というような内容が書いてあったと思う。

彼はパン屋さんでもあった。朝早く起きて、パンを作り、午後を練習の時間に
当てていたらしいのだけど、義母と結婚した頃はもうパン屋は廃業していた。

夫たちが生まれてからはあまり裕福でもなく、義父母は朝と夜を交代のシフトで
働いて子どもを育てた。そして定年になってすぐにViggoはガンが見つかり、2年
の闘病後亡くなった。定年のパーティーには楽しそうなViggoの姿が写真に残って
いる。彼は本当に人生を楽しむ人だったようだ。

Viggoは年を取っても、面白い話が大好きで、人と楽しくやるタイプで、夫曰く、
「かっこよかった」そう。スポーツマンの身体をしていて素敵だったそうだ。

こういう祖父がいたことを今度デンマークに行ったらショウミーにそろそろ教え
てあげようと思う。Viggoの記事が貼ってあるスクラップブックを義母に見せて
もらって、この人の孫だということを教えてあげたい。
私は会ったこともないViggoを誇りに思っているけれど、私の子供達にもそう
思ってもらいたい。きっとViggoは天国で、全く知らない東洋人が自分に興味を
持って自分の話をしているのを見て可笑しがっているだろうけど。



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