デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

デンマークの図書館

2011-05-07 17:14:05 | デンマークについて
 私がデンマークでこれぞ一番!と思う場所、それは図書館かもしれません。

 デンマークでは王立図書館(日本でいう国会図書館)があり、ここは建物の外観に使われている黒大理石とその形状からブラックダイアモンドと呼ばれています。もちろんここも素敵そうなのですが、敷居が高く、中の様子も把握しておらず、こちらについてはまた次回行って来ようと思っています。(それでも図書館員の対応は親切で、その場で壁の裏側まで史料を探させてくれました。)

 私が親しんでいる図書館は、夫の実家のあるバレラップ図書館です。こちらは去年の夏、調べ物をしに、あるいは本のコピーを取りにちょこちょこ通っていました。駅の上にある2階建てのこの図書館は、そんなに大きくもなく、かといって小さ過ぎもせず、ほどよい大きさです。またお洒落過ぎもせず、でも白を貴重としたヒュグリな雰囲気で、2階は光がたくさん入って明るくとても心落ち着く空間なのです。

 まず、入口や各コーナーにはその時々の季節や時事に合わせた本が展示されており、またデパートのショーウィンドウのようにきれいなディスプレイがされて、来館者を楽しませてくれます。児童書のコーナーは見やすく、とてもかわいらしく展示してあり、これなら子ども達が図書館に来てハッピーな気持ちになるだろうなと思いました。

 本棚には、だいたい2棚ごとに1台コンピュータが配置されており、すぐその場で調べ物ができるようになっています。あ、あの本!と思ったり関連本を探すときに、このコンピュータの配置はとても便利です。(日本ではコンピュータが一箇所にまとめられていて、わざわざ戻らなくてはならなかったりしませんか?)そして、窓際にはところどころ小さなテーブルと椅子が置かれています。デンマーク語はほとんど読めませんが、この椅子にこしかけて、本をぱらぱらめくったり、メモを取ったりするのはなんとも柔らかな充実した時間をもたらしてくれます。

 そしてここでは何より大切な存在が図書館の司書の皆さんで、いつもは冷たく見える人の多いデンマーク人ですが(失礼ながら)、この司書はどこまでも温かく親切に調べ物を助けてくれるのです。まあ、それが司書の仕事ではあるのですが、こちらのあいまいなキーワードに対して一生懸命その意図していることを見つけようとしてくれて、なおかつ、バレラップ(と周辺の2図書館)になければ、より大きな範囲で、あるいは中古の本屋さんのサイトまで当たってくれます。とにかくこちら側に寄り添って探してくれる気持ちが伝ってきました。普段、何も言わないと助けてくれないデンマーク人ですが、こういう場合は本当に助けてくれます。他の図書館でも、ある省の発行している報告書を手に入れたかったのですが、個人にはコピーをもらえないという規則があったため、ある司書の方が代わりに手に入れてくれ、それを後日、日本に帰った私にメールしてくれたなどということもありました。こうした対応の幅はデンマークの司書ならではのことなのでしょうか?

 何よりデンマークでの図書館のよさは司書であり、そして、そのインテリアに尽きると私は思っています。本と明るく心地よいインテリア、いつまでもいつまでもそこにいたくなるような、心からくつろげる雰囲気です。同時にたくさんの本=たくさんの叡智や人々のさまざまな営み、夢のような世界や彼方の世界、新しい世界などに囲まれているという実感にわくわくし、ものすごーく幸せな気持ちを与えてくれます。(デンマーク語読めないけど・笑。)このようなインテリアのよさはいつもデンマークで羨ましく思うところですが、特に図書館は羨ましく感じました。日本もインテリアが素敵だったら、もっと幸せなのになぁ・・・といつもながらのため息です。

 さて、このデンマークの図書館に感動して日本に戻ってきてから、『デンマークのにぎやかな公共図書館』(吉田右子、新評社、2010年)とい本を見つけました。著者はデンマーク内の公共図書館を訪ね歩き、さまざまな角度から紹介してくれています。この本によるとデンマークの図書館はもっとも北欧で成熟したシステムを持っているそうで、著者は私の感じたこのヒュグリな雰囲気をより詳しく分析、説明してくれています。またさまざまな司書の努力も具体的に書いてあり、なるほどと思いました。この中にはいくつかの図書館が紹介されており、行きやすそうなコペンハーゲン中央図書館やルンビュー図書館が魅力的に紹介されてありました。次回、デンマークに行ったら、ぜひ訪ねてみたいなと思っています。

 

もっと新しい生活(^^)

2011-04-13 13:52:08 | 日記
                
        
 元気がないのはいけない、特にこんなときに元気がないのはいけないと思い、少し前から思いついていたのが壁の色を変えること!リビングの壁はもともとは白だったのですが、つまらないのでベージュにしていました。そしてこの週末、家族中でペンキを塗り直し、元気の出る色、オレンジにしちゃいました~!

 かなり思い切った色のオレンジで、塗った日は選んだ私も目がちかちかしちゃいましたが、2-3日もたつとすっかり慣れて、壁を見るたびに元気が出ます。いつも色は大切と思っていて、色によって人の気持ちはとても左右されると思っています。色のことを考えているだけでもなんだかうきうきして来て、すっかり頓挫してしまったけれど、一時期はカラーコーディネーターの資格を取りたいと思ったこともありました。大学院に行っていなければ、カラーコーディネーターの学校に行っていたかも・・・。

 一番好きな色は多分黄色ですが、部屋の壁だったら、オレンジ、やや明るめのグリーン、スモーキーな水色、パープルなんかも素敵と思ってしまいます。真っ白の部屋に鮮やかな指し色が入っているというのも好みです。花だったらピンクが好きで、ピンクとオレンジの組み合わせ、足すとピンクになる赤と白の組み合わせ、そしてピンクと水色の組み合わせもごく最近好きになりました。服だったら・・・これがとても難しいけど、白、黒、紺、茶、ベージュという基本色に、指し色を組み合わせていくのが好きなようです。

 いつも思うのは、学校や図書館、病院の色をなんとかしたいということ。どこももう少しカラフルに、楽しい雰囲気を出す色合いにコーディネートするのは無理なのかしら?病院の設計などをする会社は、患者さんの心が少しでも明るく和らぐような、気分のよくなる色を使って欲しいのですが・・・。いずれ自分が年をとって入院したりするときに、心が寒々しくなるような部屋ではなくて、心和む色のきれいな部屋がいいのです。

 さて、我が家のリビングの新しいオレンジ色の壁、元気が出るのはもちろんですが、子ども達や夫が水色や黄緑色のTシャツを着るとオレンジの壁とのコントラストがとてもきれいで、見てるだけで楽しい気分になります。テレビでも同様の色が映るとそれもまたきれい。今は家の前の桜が満開で、そのピンクとのコントラストもまたとっても「幸せな組み合わせ」です。(ピンクとオレンジの組み合わせは、20年前から「幸せな色の組み合わせ」と私が勝手に名づけています、笑。)壁のオレンジに元気をもらいながら、今週は毎朝、今日もがんばろう!とコーヒーを飲むのが日課になっています。

新しい生活

2011-04-07 09:26:39 | 思ったこと・気づいたこと
 昨日桜の咲く中、下の子ジジの入学式が行われました。そして、今日からは私の新しい生活、ふたつの意味での新しい生活となります。

 ひとつめはジジの入学によって幼稚園の送り迎えがなくなり、私は時間的にすごく自由になったことです。思い起こせばこの約10年間は送り迎えの連続でしたが、これでやっと解放です!これで8時には子ども達が出かけてくれて、以後、お昼過ぎまで、そしてもう少したてば14時半ごろまえは自分の時間になります。とはいえ、私の大学が5月から始まるので、午後は授業に出かけなくてはなりませんが、それでも毎日午前中はすべて自分の時間です。

 大学院生活が始まったものの、実は去年はあまりまとまった時間を勉強に当てられず、本当に本当に私ったら落ちこぼれてしまいました。もともと2年ではなく3年間で修士論文を書こうと思っていましたが、この分だと3年でも危ない感じです。一にも二にもデンマーク語の高い壁に阻まれて、ちっとも勉強が進みませんでした。外国語は誰でも最初は本当に大変なんですよね?皆さん、最初は気が変になりそうになったなどと言いますものね。
 
 というわけで、今日からが私の大学院生活の改めてのスタートです。やっと時間をかけられそうで、嬉しいです。頭は人並み(かそれ以下)なので、時間をかければできるというわけでもありませんが、この一年、子どもの生活が優先されて勉強が一番にできなかったことが、焦りにつながっていたので、その焦りが少し解消されるのは嬉しいです。

 もうひとつの新しい生活は、やはりこの地震からの私の気持ちの上でのスタートです。今回の地震で、私は多くのことに気づかせてもらったと思います。今も毎日、新聞を読むと涙が出てしまうけど、でも感傷的になること、悲観的になること、落ち込むことなどはやはりよいことを生みださないと思います。被災された当事者の方とは違う立場の私は、常に、常に前向きに物事を捉え、少しでもこの地震をきっかけに学び、明るく元気に、できることをやらなくちゃ、です。私の子供達の未来のために、日本の子供達の未来のために、私達大人はいろいろこれから考えて、行動していかなくちゃいけないですもんね。新しい時代に向かっての新しいスタートなのだと思います。

 今までなんか違うなあと思っていたこと、もっとこうだったらいいのではと思っていたことを、ちゃんと変えられるようにならなくてはね。何が一番大切なのかをよく考えてみなくてはね。そういうことに、私達を目覚めさせてくれたのが、今回の地震です。また、今回、いろいろ気づいたことや思うこと、これからもそれをブログに書いていきたいなと思っています。そして、2011年の春が、振り返ったときにとても大切な春になりますように・・・。

 

地震のこと、電気のこと、デンマーク大使館のこと その②

2011-04-02 02:16:52 | デンマークの行事


 ここからはデンマーク大使館のことを書きたいと思います。

 各国の大使館は今回の地震にあたり、主に放射線量に関する非常事態宣言のようなものを日本滞在の自国民に対して出し、避難警告を行い、国によっては自国への航空機を手配していました。一時期、アメリカ大使館などから80キロ圏内からの避難警告が出され、夫の周りの外国人やその周囲の外国人の人達が実際に日本を離れた話を聞いています。

 大使館自体も、私が知る限りでもドイツ大使館、ノルウェー大使館、スイス大使館などが東京の大使館をクローズし、関西で業務を行っていますし、フランス大使館もビザ業務を最近まで停止していたり、オランダ大使館も通常業務を再開したばかりです。

 そのような状況の中、メルビンデンマーク大使率いる、デンマーク大使館の対応はちょっと感動するものがありましたので紹介したいと思います。(もちろん、他の大使館も自国民または日本人に対し、それぞれ多岐にわたる支援を行っていることでしょう。)そもそもメルビン大使は非常にデンマーク人的な感じがする方です。私のデンマーク人のイメージの一部、平等主義で決断力・行動力に富んでいる、新しいことに臆せずチャレンジするという部分を大使にはまさに感じていました。大使という雰囲気ではなく、ごく普通の一人の人間、という雰囲気を持つ大使だと思います。

 デンマーク大使館は二度ほど、放射線漏れへの対応などを在日デンマーク人向けへのブリーフィングを行い、ライブでウェブ上で公開していました。他にもヨウ素を40歳以下の在日デンマーク人に配布するなどの対応をしています。けれども、私が驚いて感動したのは、メルビン大使地震が東北を訪問したことでした。3月30日宮城県東松島市を訪問し、寄付金の贈呈、そして、避難所の子ども達にレゴをプレゼントしたのです。現地の受け入れ体制のこともあるかとは思いますが、なかなかそうした被災地の只中に大使自らが訪問するということはないのではないでしょうか。大使の行動力に私は感銘を受け、同時にデンマークに、あの色鮮やかな単純だけれども複雑なレゴがあることを私は今回とても嬉しく思いました。他にもアメリカのルース大使が被災地を訪問しているようですが(宮城県石巻市、3月23日)、デンマーク大使のそのような行動、またそのときの写真に写った「ごく普通の人間という感じ」の大使を誇りに思いました。詳しくはこちらに載っています。写真も見られます。

 そして、昨日は4月1日は、デンマーク大使のシェフを務めるニルス・フレデリック・ウォルター氏が、NOBU東京のシェフチームの協力を得て、東京ビッグサイトに一時避難中の被災者の方々にデンマーク風のとても見た目にもきれいなお弁当を、そして子どもにはまたレゴを提供したというニュースに、いつもはあまり目立たないデンマーク大使館ですが、本当に、今回はできることをいろいろと考えてやっていこうという姿勢を見て、嬉しく思いました。そちらのニュースはこちらです。デンマーク語ですが、facebookのリンクはこちらです。
       

 ちなみにそのお弁当ですが、「ディル風味スモークサーモン、グリルデンマーク豚肉、ジャガイモ、そしてもちろんデンマークのチーズ、デンマークのパン、チョコレートムース」とフルコースで先ほども書いた通り、見た目にも彩りがきれいで美味しそう!!です。このような被災者への食事提供において、美的感覚をあくまで追求するデンマーク人シェフの心意気は立派です。さてさて、きっと初めて食べる人も多いだろうデンマーク料理、皆さんの感想はどうでしたでしょうか?

 このようにデンマーク大使館は人数も多くないのに、今回はまさにデンマーク人らしく、メルビン大使のリーダーシップの下、日本人のためにできることをとアイディアを絞り、躊躇せずどんどん実際にやってくれていると思います。こうした力や瞬発力は本当にデンマーク人のよさです。少人数の国民のため、小回りの効く国だと常々思っていましたが、少人数ゆえの少数精鋭、そして一にも二にも、合理的な行動力を持ち合わせているのですね。今回のデンマーク大使館の対応には私は心から感動し、すっかり「もうあきらめたい、やめにしたい!」と落ち込んでいたデンマーク語ですが、いやいや、そんなすばらしいところのある国の言語なんだから、なんとかもう少し、あきらめずにがんばろうと昨日思い直したところです。

写真:在東京デンマーク大使館 


地震のこと、電気のこと、デンマーク大使館のこと その①

2011-04-02 01:07:42 | 思ったこと・気づいたこと
 東北を中心とした地震から3週間がたちました。改めてここに書くまでもないのですが、日本はこれまで経験してこなかったようなことがどんどん起きています。輪番停電、放射能漏れへの恐怖、たくさんのイベントの中止、先日の日本代表対Jリーグのサッカーの試合などのスポーツや芸能人・有名人のチャリティ活動といったことももちろんありますが、ここ、東京でも一人ひとりの生活にさまざまな影響が出ています。

 何より、私達の気持ちが、ぐっと地面に引き付けられているような感じが毎日しています。毎朝、新聞を開く前に重い気持ちになります。新聞に載っているのは全面ほぼ地震関係のことで、知るべき現実を突きつけられます。友達からはご両親と連絡が取れないという話を聞き(後で取れて本当にほっとしました)、原発からの避難圏に入っているのに、仕事の都合上避難できないという義両親の話を聞き、また、親戚の避難先を探していて、などという話も聞きます。そうか、こういう状態なんだ、と気持ちが地面に引き付けられます。

 普通の生活をしっかり送ろうと心がけているのですが、友人達も私もこのところミスが多く、多分これも一種の軽いショック状態なのかもしれません。なんだかやけにぼーっとしちゃっていて、友達に何度「縦書きだよ」と言っても横書きで書いてきたり、卒園式では仲のよい友達との写真はおろか、自分の子どもの写真まで皆撮り忘れているし、私もいろいろなことの考えがまとまらず、一向に家事やら勉強やらが進まないという状況が続きました。先週の半ばくらいからは、このぼけーっとした状態は少しずつ抜けてきて、ありがたいことに回復傾向にありますが・・・。でもまだ、都会的な楽しみ、例えばショッピング、映画、友達とのディナーなどには行くような気持ちにはなれないでいます。デパートの売り上げがかなり落ちているということですが、納得です。
  
 さて、今、私の周りで一番よく話題に挙がるのが節電でしょうか?我が家は23区内で停電から逃れているという状況ですが、それでも子ども達も含め、できるだけ電気を使わないようにしています。しかし、家庭での節電も必要ですが、やはり企業、工場、店舗などの使用を抑えるほうが効果的だろうと思います。今出てきている案、企業が業種ごとに休みの曜日を変えるなどが実現したら、かなり効果的なのでは? それからデパートなどはそれでもかなりの暖房をつけ、従業員が半袖で仕事をしているというところもまだあるようで、そうした空調の温度設定などももう少し気遣うとよいのにと思います。

 実際にさまざまな照明の暗い場所を体験してみて、暗くて寂しいなと思うこともありますが、例えばマンションの廊下や駅などですと、今まで明る過ぎたのではと思うことがしばしばです。我が家の中はもともと暗くて、人がいる場所しか電気をつけないのですが、それはその方が落ち着くからです。駅などでもちょっとほの暗い感じが神経に優しいような気がするのですが、どうでしょうね?場所によっては照明を落とした場所で人々が親密な気持ちになるというよさもあることでしょう。この際なので、少し明るさと暗さのことを考え直してみるといいのではと思いました。照明のことだけでなく、そもそも、電気をできるだけ使わない生活をするべきだったのだと思います。ましてや、オール電化などというリスクの分散のない住宅なども、いけないとは言いませんが、私はこわいなと思うのです。電気がない生活をしようなとどは私ももちろん思いませんが、電気がなくなることもあるということを、子ども達にもきちんと教えたいと思います。

 本当に、このような事態になって、私は今改めて、いえ多分初めて真剣にエネルギーのことを考え始め、福島の人、あるいは原発の近くに住む人の思いを知り始めています。

(長くなりましたので、大使館の話はその②へ)

 

今回の地震のこと

2011-03-16 06:21:56 | 思ったこと・気づいたこと
 東北を中心とした3月11日の地震から6日目になりました。長く続いた揺れはまるで舟の上にいるようでした。ずっと余震が続いていて、こんなこと初めてです。とりとめがなくなりそうですが、今、思っていることを書きます。

 昨日、スーパーやドラッグストアに行ったら、米、牛乳、紙パックのジュース、缶詰、レトルト食品、カレー、紙おむつ、生理用品、トイレットペーパー、ティッシュペーパーなどの棚が空っぽでした。スーパーのレジの方と話したら、買占めが行われているとのこと。ガソリンが不足しているので、物はあっても運べず、そのために商品の補充ができない状態、そしてオイル・ショックのときのようなトイレットペーパー類の買占めが行われているそうです。

 こうなってくると被災地でなくても、物が本当に必要な人に届かなくなってしまいます。友達も米を探してスーパーを何軒も回ったと言っていましたし、私も生理用品を求めて今日は何軒も回ることになりそうです。もし手に入らなければ、友達同士なんとかやりくりするしかないでしょうね。

 テレビは通常番組は日本テレビやテレビ東京などでは放映していましたが、今日からは各社番組の内容には考慮しつつ、徐々に通常の番組を放映していくようです。通常番組ではないので、最初の2-3日はまったくCMを見ることがなかったのですが、昨日あたりから見かけるようなりました。見るとなんともいえない違和感を感じます。

 地震についての報道ですが、必要な報道はなんなのかと考えてしまいます。一時は各社ショッキングな報道を競い合っているような感じを受けてしまいました。事実をしること、被害の重大さを認識することは離れた地域に住む私たちに必要なことですが、どのチャンネルを見ても同じような映像を繰り返すのは、どうなのでしょうか。こういうときに各社役割分担をするのは難しいと思いますが、局によって、輪番停電関係、東電関係、安否情報関係、インフラ関係など多少分野ごとに特徴をもって報道してくれたら情報がまんべんなく報道されるのに、と思いました。

 また政府とマスコミでうまく連携して、例えばさきほどのガソリン不足による配達不可能な状態への対処、皆が不安に思っている都内周辺、あるいは現地につながる交通の状況について、市民がどうすべきかなどの適切な指示が報道されるとよいのですが、各社ひたすら同じことの報道でした。あまりにも同じ報道で、海外であった大きな動きというようなニュースもまったく入ってこず(それどころではないという意見もあるでしょうけれど、海外の動きに影響を受ける人もあるはず)、あえてこちらから情報を取りにいかなければ、情報の孤島のような状況になってしまっていました。

 何にしてもこういうときに、その人の、そしてその国の性格というものがよく見えますよね。日本人は決断や変革、自己主張に弱い面がありますが、こうしたときにはそれはよいほうに作用し、皆できるだけ冷静に騒がず、トラブルやパニックを起こさず、すみやかに行動しようとしていると思います。また、こうしたときに改めてよい友人が誰なのか、改めて実感したりします。あるいはその人がどんな人なのか、改めて感じ入ったりしています。そういう面では温かい気持ちになることも多く、やはり人は人によって助けられるのだということをしみじみ思わずにはいられないことがしばしばです。facebookやメールを通じての他国に住む友人からのメッセージにも同じものを感じています。

 まだまだ書きたいことはありますが、そして、非常にとりとめがありませんが、とりあえずここでアップします。最後に私が嬉しく思った記事を貼ります。

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「がんばれ日本」 海外メディアがエール
米ロ印なども
2011/3/13 23:21
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 東日本巨大地震被害の拡大が伝えられる中、海外メディアでは秩序を維持する日本社会を称賛し、復興努力を期待、激励する論調が相次いだ。

 【ロンドン=岐部秀光】英紙インディペンデント・オン・サンデーは13日付1面で、日本国旗の上に日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と書いた巨大なメッセージを掲載。英語でも「Don’t give up,Japan.Don’t give up,Tohoku.」と異例の大見出しをつけた。地震被害や復興への取り組みも詳報した。

 【ニューヨーク=共同】米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは12日付で「不屈の日本」という社説を載せた。「大自然からの打撃に遭っても生き延びる備えを、日本人がどれほどきちんとしているか指摘せずにいられない」と、日本の防災システムや建物の耐震設計を称賛。大地震で被害が出たハイチや中国と比べ「誤解してはいけない。日本の産業力は今も偉大だ」と力説した。

 【モスクワ支局】ロシアの独立紙ノーバヤ・ガゼータ(電子版)は「我々はあなた方と共にある」と題する特集を組んだ。この中でタス通信のゴロブニン東京支局長は「(日本にとって)第2次世界大戦直後に匹敵する困難」と指摘しつつ「日本には最悪の事態に立ち向かう人の連帯がある」と強調した。

 【イスラマバード=共同】13日付パキスタン英字紙ネーションは社説で日本の防災意識の高さと規律正しさで救いがあったと指摘。「日本は第2次大戦の荒廃から見事に復興した。また新たな奇跡を起こしてくれるだろう」と結んだ。

 【ムンバイ=黒沼勇史】「日本以外で(この地震が)起きたらこれだけの対応は見られないだろう」。13日付インド経済紙ビジネス・ラインは、栃木県のホンダの拠点を訪れていた印タイヤ大手幹部の目撃談として被災地の粛々とした対応への驚きを伝えた。ヴィカス・スワルプ駐大阪総領事は他の新聞への寄稿で阪神大震災後の復興を紹介し「日本人はこの悲劇から立ち直る」と断言した。

 

デンマークについての授業@小学校

2011-02-15 17:17:41 | 国際結婚
 少し前にショウミーの担任の先生からお話をいただき、先週、なんとデンマークについての授業を3年生にしてきました。子ども達が「外国に興味をもつ」ため、総合の授業で外国人にいろいろなお話を聞こうというもので、3年1組ではドイツ人の子のお父さん、2組では外国人ではないけれど、デンマークについて少々話ができるということで、私にお鉢が回ってきたのでした。担任の先生に「何を話せばいいでしょう?」と聞いたのですが、なんでもいいんです、ということでかなり放任・・・。あれこれ指示があるのかと思っていたので、えー、45分間好きなように話しちゃっていいってわけ?とまずは驚いてしまいました。

 直前まで大学院のほうのリポートに追われていたので、なんとなくのことは考えて担任の先生に連絡帳でお伝えし、実際の準備は週末に集中して行いました。それでもリポートよりは多分出来がよく、授業の流れをA42枚にまとめ、要所要所写真で説明できるように印刷、そして先生とサプライズで用意しましょうということで、クリスマスに食べるデザート、リスアラマンを2クラス合同の授業だったので60人分用意しました。

 3時間目だったので20分休みに学校に入ったのですが、いつもの保護者としてだけとは違い、なんだか妙に緊張し、家を出るときにトイレに行ったのに教室に入る前にまたトイレ。相手が子どもとはいえ、2クラス分60人プラス授業のプロの先生の前で話すのは本当に緊張してしまいました。

 授業はまず地図を見せて、デンマークの位置やお決まりの「ほぼ九州くらいの」という大きさを説明し、私のウォーミングアップを兼ねてデンマークで一番高い山は?というクイズを出しました。しーんとしちゃったらどうしようという心配をよそに、子ども達は口々に「3000m!」「5000m!」「8000m!!」と答えてくれ、私が147mと言うと、「えー!えー!えー!」と盛り上がってくれました。ざわざわが収まるまでしばらく待たなくてはなりませんでしたが、でもこれで私もかなりリラックスした気分になれました。

 それから、子ども達が興味あるだろう、食べ物の話、クリスマスや誕生日といった行事の話(ここでリスアラマンの説明もしておきました。もちろん食べられることは内緒で!)、デンマークの子ども達がどんな遊びやスポーツをしているか、デンマークの学校生活についてなど、子ども達の反応を見つつ、かなり活発な質問を受けつつお話しました。質問はデンマークに塾はないのか、クリスマスに何個くらいプレゼントをもらうのか、デンマーク語で1、2、3はなんて言うのか(これについては私の発音だと間違ったことを教えちゃうので、ここだけショウミーにやってもらう)などというものから、デンマークで家はいくらで買えますか?などという一言で答えられないようなものまで、本当にかなりたくさん出てきて、やりやすかったです。多分普段から話す人の目を見るようにと教えられているのでしょう、目を大きく見開いて、一生懸命聞いてくれて、驚きの声をいっぱい上げてくれて、子ども達はとってもかわいかったー!

 一通り話し終え、最後に、さっきのリスアラマンを「実は今日は持って来ました」と風呂敷を解くと、「食べたいー!!!」と大歓声をもらい、班ごとにプラカップに入れ、予め先生が用意してくれた人数分のスプーンと一緒に配りました。丸ごとのアーモンドが当たったら小さなプレゼントがもらえるんだよと説明していたので、みんなが美味しいと言いつつ、もごもごしながら大盛り上がりで、あちこちで「あったー!」の声が上がっていました。みんなが食べ終えると先生が「さて、誰が本当に当たったかな?」と訊ね、「はーい」とおずおず手を挙げたのは、なんとわが息子ショウミーでありました。まさにドッヒャー!という展開に、子ども達だけでなく、先生も私も盛り上がってしまいました。しかし、用意したプレゼントはさすがにショウミーにあげるのもつまらないので、担任の先生にお渡ししてきました。そうして私の授業が終わってみると、なーんと約束の3時間目の45分はとっくに過ぎ、4時間目もほぼ終わりという時間になっており、小学生相手に90分授業をやってしまいました・・・。先生、うまく切り上げてよー!私ったらなんだか時計を見る余裕がなかったのです・・・。

 子ども達も楽しんでくれたのですが、私にとってもデンマークについて話すという貴重な体験をさせていただき、また9歳の子ども達との本当にとっても楽しいひと時で、このような機会を与えていただいたことに感謝の気持ちで小学校を後にしました。それだけでなく、翌々日にはファイルで綴じられた先生と子ども達一人ひとりからの感謝のカードをいただき、思いがけず大感激してしまいました。一枚ずつ丁寧に読ませてもらいましたが、みんなが「デンマークを好きになった」「デンマークにぜひ行ってみたくなった」などと書いてくれて、また普段授業を行っている先生からも嬉しい言葉をいただいて、私にとっては宝物のファイルとなりました。

 今回多少の準備はかかったものの、そんなにすごい労力をかけなくても60人の子をデンマークのファンになってもらえたので、もしかしたら大使館などでもこういう事業を行うとデンマークの知名度が上がるのかなと思いました。(まあ、知名度が上がってどうするのかというあたりは、ともかくとして。)あるいは、日本人学生が留学しないと言われている昨今、逆に文科省が各国大使館の人に声をかけて、いろいろな国を紹介してもらって、外国語や留学に小さいときから興味をもってもらうなどというのもいいのでは?などと思いました。

 

あともう少しで春休み!と遅まきながら今年の目標~。

2011-01-24 23:36:29 | 日記
 年末、年始、そして学校が始まってからまた忙しく過ごしています。ジジの幼稚園もあと2ヶ月弱ということで、こちらのほうでも役員をやっている私は卒園に向けて、まさに忙しくなってきています。

 でも、あともう1週間でなんとなんと大学院は春休みです!あー、あと少し~~~!

 思い起こせばこの一年、ひたすら予習に追われ、辞書だけは何千回と引いた気がしますが、復習したり単語を覚えたりする時間も取れず、とにかく授業をやりおおすことだけに一生懸命でした。正直、他の学生さんたちと比べてまだ私はスタートラインにも立てておらず、この春休みに少しでも追いついて、早く他の皆さんのように「研究してる」という状態に持っていきたいところです。

 この前センター試験の問題が新聞に掲載されたときに見てみた世界史のテストを見て、受験勉強もやっぱり大事かも、と改めて思いました。あれだけの範囲を網羅していたら、他人の研究の発表を聞いたときに、背景の流れはわかることでしょう。ただし、それがちゃんと頭に残っていればですが。

 今日のゼミでは発表が終わったので、あとは明日と金曜日のデンマーク語の講読(解読?笑)を乗り越え、そしてもうひとつリポートを書けば今年度はおしまいです。終わったらしっかり春休みの計画を立てて、よく学び、よく遊びだわ~と今日あたりからうきうきしてきました。春休みになったら、もっとブログも書きたいです。書きたいことはいっぱいあるのに、学校の準備に追われてなかなか書けないので。

 さてさて、私の今年の目標について。

 この2年間ほどは私の卒論だとか受験だとか、そして今の場所での新生活だとかで忙しく、それでもいつも「一番は子ども」と思ってやってきていたけれど、端折れるところは端折っていたと思います。でも気づけばショウミーは今年10歳、4年生。この子と一番いろいろと話し合え、濃い時間を一緒に過ごせるのは今からきっと数年間でしょう。そしてこの期間の記憶が、ショウミーの子ども時代の記憶になるのかなと思います。そこで、その1、できるだけおいしいご飯を作ってあげよう、丁寧に体に優しいご飯を作って、一緒にたくさんいろいろな話をしながら食べよう、その食べ物の栄養とその会話がショウミーの心身の基礎を作るはず。その2、できるだけいろいろな楽しいことを共有しよう。休みの日もそしてできれば平日も、子ども達との楽しい企画をたくさん立てて、ハッピーな時間を共有しよう、です。もちろん、もれなくジジも一緒です。

 それと同時に、これから親として(全然ちゃんとしてはいないけど)、ショウミーにいろいろ伝えていきたいです。ショウミーがこれから困難に出会ったとき、いろいろな選択をしていくとき、大人になるにあたって、仕事を選ぶにあたって・・・。乗り越え、選び、進んでいくのは本人だけれども、できるだけ幸せな人生を歩んでもらいたいと親は願いますよね?私自身もちゃんといろんなことを考えながらですが、ゆっくり会話のできる今のうちに、ショウミーに真剣にいろいろなことを伝えていきたい、と最近は特に意識するようになりました。(そしてそれをすべて傍らで聞いているジジ・・・。第一子と第二子はやっぱり育て方も変わっちゃいますよね、ほんと!)
 
 春休みになったら、まずは子ども達とたくさん楽しいことをしたいです。楽しみ、楽しみ・・・! 

2010年のクリスマス

2010-12-30 17:37:52 | デンマークの行事
 今年もまたクリスマスが終わってしまいました。去年はデンマークに行きましたが、今年は行かず、その分、日本でのクリスマスを楽しみました。

 夏にデンマークに行ったころから夫の母の体調が悪く、今回のクリスマスは治療中のため、「カレンダープレゼントを送れないの、ごめんなさいね」と11月に連絡がありました。これまで毎年必ずショウミーとジジに各24個の大小のプレゼントを送ってくれていた母。今年は子ども達へのカレンダープレゼントをあきらめてもらい、代わりに私たちから母へ、24個のプレゼントを送ろう!と急遽準備することにしました。といっても、あのくらいの年齢の人はたいてい欲しいものはないので、プレゼント選びは困ったことに。キッチンで使うようなもの、ジジの描いたマンガ、私のあやしい編み物の鍋敷き、キャンドル、手紙などとにかくなんとか24個揃え、一日ずつ番号を振って送りました。

 ここでひとまずほっとしたところで、次はジジに「毎日のプ・プ・プレゼントが~!ほ・ほ・欲しかった~!!」と大泣きされて、今度はいきなり1週間くらいで24個×二人分のプレゼントを用意することになってしまいました。私も甘い・・・。でも子どもにとっては毎年恒例の、楽しみな楽しみなカレンダープレゼントだったのですね。トイザラスなどで買いまくり、前日は一人で2時までかかってラッピングし、こちらもぎりぎり12月1日には間に合ったのでした。

          
          カレンダープレゼント、Day1。ジジ、喜ぶ。

 今年は我が家では計3回クリスマスパーティーをしました。幼稚園のママたちと持ち寄りで行ったパーティー、24日当日の本番パーティー、そして25日は友人と朝早くから築地に命がけで魚を仕入れに行き(ほんとに轢かれそう!)、おいしーい大トロ、ホタテ、スズキなどを堪能しました。今年は辛い勉強のストレスからか(笑)、たくさん食べて、たくさん飲んだ2010年のクリスマスでした。

                       幼稚園のママたちとの持ち寄りパーティー。朝の10時からシャンパンで乾杯!

                       本番のお決まりのカモのディナーです。

 
 いろいろと楽しく過ごしましたが、しかしだいたい準備をするのはお母さんというわけで、働きながら楽しむ、というクリスマスでした。デンマークにクリスマスで行くときには母がほとんどやってくれているので、そういう純粋にクリスマスを楽しめることをなんだか懐かしく思いながら過ごした数週間でした。ああ、クリスマスだなぁ、なんて暖かいところでのんびりしたり、クリスマスの雪の街に出かけてふらふらとショッピングを楽しんだり、レストランで夫とのんびり食事したりという去年のクリスマスを懐かしく思い出しました。(お母さんって有難い!!!)

 しかし、予想通り、「カレンダープレゼントをもらったのは生まれて初めて!」と母はものすごく喜んでくれたし、夫や子ども達にはサプライズのプレゼントに喜んでくれたし、私も誰かに何かができるということが今年はとても嬉しかったです。してもらうのももっちろん嬉しいけれど、してあげられることのほうがもしかしたらもっと嬉しいかもと感じた、年を取ったことを感じたクリスマスでした。クリスマス当日にも母にたくさんプレゼントを送っており、それをまた彼女がとっても喜んでくれたことが、もしかしたら今年の私への一番のクリスマスプレゼントだったかも・・・。

          
          デンマーク大使館でのクリスマス。デンマークではサンタは各家庭ではなく、こういうところに登場します。

          
          これがないと始まらない、ツリーの下のたくさんのプレゼント。

          
          オリジナル・チロルチョコ。デンマークにはこんなのないよね?日本からのプレゼントのひとつにしました。

デンマークの大学入学方法

2010-11-10 06:28:27 | デンマークの行事
 「その日は大学入学の発表なんだ」。夏のデンマーク滞在時、次の集まりの予定を組んでいたときに、友人が言いました。彼の娘さんが大学入学に入学申し込みをしていて、その結果が出るのが7月30日の金曜日だそうです。後でその娘さん本人に聞いたら、なんと6つの大学に入学申し込みしているとのことでした。しかも、それぞれ学部も違っていているそうです。「んー、国際ビジネスにも興味があるし、教育系にも興味があるし・・。とにかくどこかに受かれば、そこに進むわ」と、くったくのないことを言っていました。友人も、「あまり成績がよくないから、とにかくどこかに引っかかってくれればラッキー」と言い、「受かるかどうか心配ね?」と聞くと、「いや、まあ、それは彼女の人生だから、ね」とさっぱりした返事が返ってきたのでした。

 他の欧米諸国も同じような大学入学方法が多いかと思いますが、デンマークも大学は高校の成績で入ります。自分の持っているポイントで入学申し込みをし、成績の上位の者から入学許可が出ます。試験の一発勝負に賭けるということはないのはいいことだと思いますが、高校での学習の積み重ねが要求されるので、高校の3年間しっかりと勉強しなくてはならず、またやり直しもきかず、そういう意味ではシビアです。とはいえ、評価は相対評価ではなく、絶対評価なので、ちゃんとできていればそれがそのまま反映されるというわけです。

 このシステムは本当にいいなと思います。もちろん、受験勉強という特殊な勉強によらずに、3年間かけてしっかりと知識を増やし、思考を深めていけばよいことということがあります。が、もっと私が羨ましいと思うのは、入学前に自分を見つめる時間が取れることや、比較的簡単に進路変更でき、他学部に入り直すことができることです。

 常々私が思うのは、大学入学前はとても大切な時期で、私の子ども達にも好きなことをして自分の世界を広げてもらいたいということです。バイトをしてお金を貯めてバッグパッカーになって、世界を見てみるのもいいでしょう。どこかに語学留学してみたりするのもいいかもしれませんし、それこそモラトリアムを決め込んで、ひたすら本を読んだり、趣味に没頭したりしてもいいかもしれません。何がしたいかわからず、しばらくゆっくり将来について考えてみたいこともあるでしょう。現に、その友人の娘さんは高校は出たものの、始めは「勉強したくもないし、かといって就職もしたくないし・・・」と言ってバイト生活をしていましたが、そのなかで、翌年大学に行くことを決めたようです。最近は日本の大学入試も多様になってきていますが、日本も早くデンマークのような方式になってもらって、受験に若い時期の時間の多くの時間を取られることなく、のびのびと高校生活を大いに学び、大いに遊びと満喫できたらいいなと私は願っています。

 さて、デンマークの大学入学の発表当日、デンマークに住む日本人の友人から当日の新聞Politikenをいただいたのですが、そこにずらりと各大学各学部の応募者数や合格数、合格の成績などが一覧で出ていました。それによるとやはり医学部や薬学部がもっともよい成績が要求されていますが、面白いのは映像メディア科やジャーナリスト科(これもいろいろな種類に分かれているようです)がとても高い成績が要求されていることです。(この一覧表はなかなか興味深いので、これについてまたブログを書けたらいいなと思っています。)

 ところで友人の娘さんですが、6つほど入学申し込みをしていましたが、なんとか1つ合格できたそうで「よかった~」と安堵の笑顔を見せていました。しかし、6つの違う学部に申し込んでいるあたり、やはりこの年齢の若者は「迷っちゃう」んだなぁとちょっぴり笑ってしまいました。日本人は大学の専攻と就職が結びつかないというのはよく言われていることで、デンマーク人も外から見るとしっかりと子どものころから「選択」できるように教育されているように見えますが、実は意外と日本の若者と変わらず、なんとなく、選んでいることも多いかと思います。もちろん、しっかりと自分の将来を見据えて、目標にする職業を念頭において学部を選ぶ人も日本もデンマークもいることでしょうが、やはり18歳は18歳、まだまだいろいろ世界はわからないことだらけで、自分の将来は未知数なんでしょうね。だからなおさら、日本の大学入試も高校の成績で入れるようにして、子ども達に悩む時間をあげられたらいいなと思いました。