孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

アンパンマンもいいけど、浦島太郎もね。

2015年02月14日 | 日記
私の母は、特に高等教育を受けているわけでもない、極々平均的な日本女性だと思います。その母が私の幼い頃、どういう教育というか、育て方をしてくれたかということを、一生懸命思い出そうとすることがあります。

これは、私が結婚して、長男次男と立て続けに産まれた頃もそうでしたし、初孫が生まれた時もそうでした。断片的にでしか思い出すことができないので、歯痒いのですが母はよく自分が尋常小学校で習ったことを口にして、聞かせてくれたような気がします。

例えば、神武天皇から始る天皇の名前をすらすら言ってみたり、神話の話を聞かせてくれたりです。因幡の白兎の話は私も気に入って、何度もせがんだようです。今思うと、昭和初期の小学校でどういう教育がされていたかが、垣間見えとても興味深いです。

母は、よく戦時中の話もしてくれました。それは、悲惨な体験などではなく、極めてアッケラカンとした話でした。例えば、何かの折に海軍の将校たちが村にやってきて、村人の家々に分宿することになったそうです。当時の我が家にも一人泊まることになったそうで、母はその頃今で言うと中学生くらいだったそうです。その将校が馬に乗ってきたときは、それはもう格好よくて、背が高くキリッとして礼儀正しい品のある所作を見て、当時の母は瞬間的に一目惚れしてしまったそうです。

少女だった母は、障子の隙間からその将校をのぞいては、ため息をついていたそうで、翌日将校が家絵を出るときは将校の姿が小さくなるまで見送ったとのことです。


私の母は、特に高等教育を受けているわけでもない、極々平均的な日本女性だと思います。その母が私の幼い頃、どういう教育というか、育て方をしてくれたかということを、一生懸命思い出そうとすることがあります。
これは、私が結婚して、長男次男と立て続けに産まれた頃もそうでしたし、初孫が生まれた時もそうでした。断片的にでしか思い出すことができないので、歯痒いのですが母はよく自分が尋常小学校で習ったことを口にして、聞かせてくれたような気がします。
例えば、神武天皇から始る天皇の名前をすらすら言ってみたり、神話の話を聞かせてくれたりです。因幡の白兎の話は私も気に入って、何度もせがんだようです。今思うと、昭和初期の小学校でどういう教育がされていたかが、垣間見えとても興味深いです。
母は、よく戦時中の話もしてくれました。それは、悲惨な体験などではなく、極めてアッケラカンとした話でした。例えば、何かの折に海軍の将校たちが村にやってきて、村人の家々に分宿することになったそうです。当時の我が家にも一人泊まることになったそうで、母はその頃今で言うと中学生くらいだったそうです。その将校が馬に乗ってきたときは、それはもう格好よくて、背が高くキリッとして礼儀正しい品のある所作を見て、当時の母は瞬間的に一目惚れしてしまったそうです。

少女だった母は、障子の隙間からその将校をのぞいては、ため息をついていたそうで、翌日将校が家絵を出るときは将校の姿が小さくなるまで見送ったとのことです。
母は、今でも祝日には玄関に日の丸を掲げます。以前は近所でも国旗を掲げる家庭は少なくなかったのですが、最近はどうも我が家だけのようです。

新聞やテレビで、今の学校では式典で国旗や国歌を避ける教師がいるという報道に接したときは、私は何か外国の話かと最初信じることができませんでした。今、二人目の孫が生まれて、私は彼女たちの教育には口を挟むつもりはまったくないですが、遠くからさりげなく、私の母が私にしてくれた程度の、語りかけはしてみようかと思っていて、この間も字が読めるようになった初孫に、日本の昔話の絵本を二冊買ってきました。アンパンマンやプリキュアもいいけど、日本の昔話も忘れてほしくないからです。








コメントを投稿