名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

先祖供養は 宗教 ではない

2012-08-13 | 宗教
Aさんと Bさん

2人の人間がいる

Aさんは 真面目で、勤勉で、人に魅惑をかける事もせず

当たり障りのない人間 友達も多く、人望があり誰からも好かれている

敵も少なく 他人と争う事もまずない

経済的にも裕福

ただ・・・あることで 

身内、親族との対立があり、Aさんの一族は円満とは言い難い状態




Bさんは けっこういい加減な所があり、勤勉さがなく、

性格的にも一癖ある 他人から好かれるタイプではない

どちらかと言えば 嫌われ者

経済的に豊かとは言い難い、

貧乏である

でも、身内、親族との関係は極めて良好

家族、親戚 一族全員が争うことなく、対立するこよなく

お互い助け合いながら

円満にやっている



Aさんと Bさん を比較して


どちらが、長い目で見て幸福になれるか?



私はBさんであると思う

これは私が経験的に思った事ですが・・・・

対外的な評価、人望、実績 がいくらあっても

根本である、「自分の身内」 (家族、兄弟、親)


との関係が良好でない人間は

仮に今は絶好調だとしても

長い目で見て 幸運であり続けることは不可能だと

思えるのです。

Aさんそれなりの事情があっての事だとは思う

Aさん理不尽な事をされて、ついに怒ってしまったのかもしれない

でも、Aさんが良い、悪い、 そんな事

問題ではないと思う


「身内同士が争っている」

という 結果 のみが 大きなマイナスになる

事の 善・悪 とは無関係に

絶対原則として、親兄弟や身内と争いや対立を起こす事は

当人にとって計り知れないマイナスとなる


自動車を運転していて、子供が物影から突然飛び出してきた

ブレーキを掛けたが間に合わず

子供を挽いてしまった

この場合、完全に自動車の運転手が悪い

自動車と人間がぶつかれば 理由はどうあれ自動車が悪い

「いきなり飛び出したほうが悪い!!!」

といくら主張してもそれは通らない

自動車を運転する者に責任が問われる

結果がすべてなのだ



交差点で車と車が接触事故を起こした

この場合、どちらも悪い

いくら自分のほうが優先道路であっても、

相手が信号無視であっても

基本的には 過失は 五分五分 

ぶつかれば どちらも悪い  が原則



身内同士の対立は これと同じだと思う

原因や 善悪 などに関係なく

対立したら 絶対に得する事はない

対立したら、理由はどうあれ

罪悪 であると思う

兄弟が相続で対立し 最後は法廷闘争になってしまったとかいう

話はよく耳にする

裁判で勝って 遺産を多く手にしたところで何か得する事があるのだろうか?

金銭には換算できない計り知れない 損失 が発生したに過ぎない

実に浅ましい行為と思える

キリストが言った

「富める者が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るよりなお難しい」

とは こう言う事を言っているのではないかと思う

なにもキリストは 金持ちは良くない 富む事は悪い事だ と言っている

訳ではないと思う

富があるほど 人間更に欲が出る

何もない者は 何も無いのだから ムキになって

親兄弟を敵に廻してまでも 権利を主張したり 争ったりしない

「富める者」は 貪欲になる という危険を多く孕んでいるのではなかろうか

キリストの言いたかったことは そう言う事だと思える



私の場合、親族との関係は極めて円満、


もし仮に 万が一 問題が起きそうになったとしても

親 兄弟 に対しては

いくら理不尽な話であったとしても

10歩でも 100歩でも譲る覚悟はある

勿論 話し合いは必要だが

どうにも平行線になった場合




計り知れない大きな損失を出してまで 

権利を主張しようとは思わない


話がだいぶん反れてしまいました・・・・・・ 



Aさん 真面目で良い人、人からも好かれている

Bさん 他人からは嫌われている 人望も低い

にもかかわらず 将来的に見て

Bさんのほうがトータル的に有利であり

安泰であるとは

理不尽に思える・・・・・

でも やはり Bさんのほうが いい人生を送る事が出来るはず


この例は、極端なたとえ話ではあるけど

このたとえ話に似た実例を私は今まで多く見てきた

その要因は何か?

なぜそうなるか?

人望や 人格や 社会的実績 人柄

は、その人の運命に対して絶対的な因果関係はない

絶対的因果関係が有るのは


 
 
 その人 一族の状態・関係

 その人のもつ 親・兄弟・親族・家族 に対する意識

 その人の 先祖 に対する姿勢・思い

 その人の 先祖 がどうであったか


これらの要素はその人の 

人生、環境、運勢、生活、を絶対的に支配する

親子の関係が円満である人は必然的に先祖との関係も良好

家庭が円満なら、先祖は あの世で 良い思い をしている(成仏している)

家庭が不和なら、先祖は あの世で 苦しんでいる(成仏していない)


 親子の縁を切ってもある宗教に命を掛ける

と言う人も世の中にいる

まったく

 本末顛倒

まるでオカシナお話だ

その人が 真の信仰者なら

「何よりも、親子の縁が重要だ」

というべきだ

これには  理屈も 理論も ヘッタ暮れもない

先祖を敬い

親に感謝する

と言う事は  人間の根本であり、基本であると思う



先祖供養(感謝)は 宗教 ではない

人間の 「義務」



親に感謝は 道徳ではない

人間の 「義務」



この二つができていない人はいくら 立派な人 と賞賛されていようとも

社会的に成功していょうとも

金があろうとも



砂上の楼閣 

簡単に崩れ落ちる








 









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