慣れればどうって無いのかも知れないがWAKIの住んでいる地域の家庭ごみの回収方法が大幅に変更された、他の地域ではすでにあたりまえのことかも知れないが、正直ここまでやるのといった感も否めない。すでに実施されたために、住宅のゴミ集積所はいつもの1,5倍くらいの小山になっていた。(総量としては増えないのだが)、例えばペットボトルはラベルやふたはプラスチックに、お菓子やせんべい、 それにアイスクリームの包みなどはプラスチックにといった具合だ。
一昨日はまだまだ寒い一日であったが風はあまり無かったので河川敷を歩いた。家から丘を下り。中振から光善寺を通って河川敷を川沿いに北上、淀川大橋の下が淀川河川公園だ、ポップコーンの残りを手のひらに載せると一緒にユリカモメも集まってくる。真っ白いからだを変幻自在にくねらせてまことにしなやかに飛ぶさまは羨ましい限りだ、河川公園の電光表示機には危険水位を示す表示が書き加えられた。水位5m(黄色)で注意、6m(赤色)では危険水位だ、5mともなると河川敷は水没して堤防まで達する。この日の万歩計は12,500歩、買物をしてバスで帰った。
WAKIは煙草を吸わないから、別段関係は無いけれども煙草の自販機が変わってカードでないと買えなくなるそうだ。これをたばこのための成人識別カード(タスポ)という。日本全国の自販機のすべてを改造するとなるとすごい経費だろうなと容易に想像がつく。世間では道路は作りすぎだとか論議が盛んだがこの自販機の改造も同じたぐいのように思えてならない。WAKIの周りの人は殆んどと言って良いほどもう煙草は吸わない、みんな自覚して卒業してしまった。このようなことがお酒や薬に拡大される懸念はないか、一人で気を揉んでいる、でも道端には吸殻が一杯捨てられている、これを機に百害あって一利なしと言われる煙草はやめたほうがいいと思うが。
この映画の背景の昭和15年(1940年)と言えばWAKIはまだ5歳、物心がついてきたころだ、そして日米開戦が昭和16年(1941年)それから終戦・戦後の記憶はWAKIの脳裏に鮮明に今も残っている。山田洋二監督の母べえは、ドイツ文学者であった夫が特高警察に治安維持法で捕らえられたところから始まる。その中で妹照美(3年生)と姉初子それに母佳代(母べえ・吉永小百合)が父の帰りを待って慎ましやかに家を守ってゆく。しかし、昭和11年1月に父べえが収監中の刑務所で亡くなり、戦況がきびしいなか3人は力をあわせて生きてゆく。・・・・物心がついてWAKIたちも家族が多くとりわけ父や母が口では言えぬ苦労をして、我々を守ってくれた、この映画はそういった時代を克明に再現してかけがえのない家族の絆を描いている。WAKIは一人でも多く観ていただきたいと願っている。
国道一号線枚方の北の方にある最新の映画館、スクリーンが9つもあってすばらしい、それに無料駐車場もあって便利、でもこの日は平日で観客もまばら、深々と座席が身体を包んでくれて座り心地も最高、それにポップコーンとコーラを持ち込んだが余りにもシーンとして結局食べずに出た。こんな映画館でいつでも好きなときに観れるといいなあと思うがそうもいかない、映画の印象は改めてとしよう。
歩いて30分ほどの「さだ神社」での節分祭。夜にはいって豆撒きもあって夜店もでて賑わう、お札を納めにいって家族の無病息災を祈った、それに孫が念願の中学入試に受かってそのおれいもあった。昨年秋までは少年野球に没頭していたのでかなりのプレッシャーであったが第一志望の大学付属の中高一貫校に受かった。
もう明日は立春、どこかに春はないものかとカメラをぶら下げて歩いていたら早咲きの水仙が可憐な花を咲かせていました、そして名も知れぬ生垣には紅い新芽が沢山ついて温かくなるのを待つかのように出番を待っていました。そうしてきょうは節分、近くの成田山では有名人がきて恒例の豆まきがある。この行事が済むといよいよ春がやってくる。でも今朝はこの冬一番の寒さ、うっすらと雪が積もって薄化粧をして美しい。
このところ例年になく雨の日が多い、雨靴も長いこと買い換えていないのでアカトンボもつい売場の前で立ち止まる、そして良く見るとデザインがころっと変わってご覧のようにカラフルで種類が多い、でも素材が素材だけにレインブーツといいながら長靴のイメージを残している。これからも多種多様にいろいろ出回ると思うが、女性のファッションは靴の色、服、帽子、傘、持ち物と合わせてコーディネートするので、一足ではすまない。そうするとこのブーツも進化して賑わうかも知れない。
WAKIは毎年ベランダのプランターに葱の苗を買ってきて植えている。苗の値段は200円ほどで植えるときに土に石灰と少しだけの肥料を混ぜてやればあとは水を欠かさないように、こうしてやれば日当たりが良いので葱はどんどん伸びてくる、そうしてお昼のうどんにはこの葱を刻んでのせたり湯豆腐に使ったりと重宝、食の安全を見届けながらいただいている、だからいつもこのように葱は不揃いだが、こうしてけっこう元は取ったと自負している。