日本武尊が、東征の帰り、今の四日市の郊外、御館の地で休憩して、足を洗いました。
その場所には、いまでも、洗足池が残されております。
日本武尊は、疲れた自分の足を見て、「我が足は三重に勾(まがり)て、はなはだしくつかれたり」とぼやきました。
このことから、この地方は、三重と呼ばれるようになったと、言われております。
その後、この地方にあった、4か村が合併して、三重村となり、更に、周辺の村々を集めて、伊勢国三重郡となりました。
色々な経緯を経て、明治の廃藩置県のおり、津幡のあった、度会郡を押さえて、三重県となりました。
三重資料館は、大正5年(1916年)に、三重役場の書庫として建てられた物を、この地域へ移設したものです。
築後100年を記念して、「登録有形文化財」に指定されました。
この、三重資料館を、数回に分けて、記録しておきたいと思います。