文型は文法の類型をとらえたものである。文法に文の分析を行うと、文を構成する語にそれぞれの文における役割があり、それを抽出すると要素また成分となる語の種類が文法特徴をもって現れる。語にはその文法特徴をもった品詞としての分析があるので、その品詞によって文の骨格を見ることになる。文の成立にはその品詞のうちに文の主要なる働きを担うものがあって、そこに文型を見出すことになる。文が表現するものは言葉の使い手による見方、考え方などをもとに、その思想を文の内容とする。意味のとらえ方によって、ことばの使い手、すなわち話者の見る現象の説明となる。それを述語として文に据えるか、あるいは、その説明に与える話者の感動を文意表現に表そうとすることがある。話者の見る現象は、その対象が自然に向けられるとき、ことばを連ねてその感情をとらえたものと、一方で、社会の出来事をとらえて叙述しようとするものとがある。韻文、散文として文を類別するのは表現形式における方法を分析するからである。文となる前の語の表出に、その意味内容を見ることが、日本語語彙によって見ることがある。 . . . 本文を読む
ニューズウイーク誌の6・12号の見出しで、テロとの戦い そこに続くのは、東京2020の落とし穴 と見える。カバーストーリーに、共謀罪と日本のテロ対策、浮き彫りになる現実とのギャップ その記事は特集にあるようだ。東京2020に向けた対策は有効か 日本テロ対策の盲点 と謳う。もう一つには、欧州からアジアまで続発するISISテロ 国際社会も打つ手なし? ここにきて日本がテロの標的になる、日本国内での事件が衝撃を与える、そういう状況だと誰しも思うようになってきた。連日映し出す国家会の議論は、この来てほしくない現実に何かが欠けていて、与野党の議員が矛先を向けるのは、マスコミ、メディアのあおりであるから、文科省の内部文書を共有したかどうかを暴く顛末は、それを予想するだに、そこに費やされている時間とエネルギーに比しては、日本を守ることへの生産的なものではあり得ない。通信社、新聞、そこに加わったテレビ報道は、かつての強権もった世の風潮に照らして劣るものではない。 . . . 本文を読む
仕事のスケジュールに追われていると、この時期にこういうことをして、こうだったと思い起こす。めったと出かけることのない地に踏み入れて、用務をこなしている。授業の合間に出かけることになるが、それなりの、出張という名目であるから、そこへ出かけたと言いう記録は、ここで見直せば、重要時、事であった。そろそろ、10年後の閑居は、次へと動き出すか。 . . . 本文を読む