やっとかめ文化祭 辻狂言 ナナちゃん人形ストリートイベントスペース 14時より。曲目は、梟山伏、狂言師は佐藤さん親子に又三郎さんだった。楽しい舞台だった。なにより、まじかのイベントスペースは演技の顔を見て取る。テレビカメラのアップどころではない、どきどきものである。それを繰り返し見ると、狂言の素晴らしさがわかる。台詞劇としながらも憑き物のフクロウには表情がある。それをこんなふうに見ることはまずできないから、なんとも言いようがないが、醍醐味というものであろう。 . . . 本文を読む
人の声?いいえ合成 美少女キャラ、ナビ…進化 中日新聞2013118トップ記事見出しである。ニュースが、これ何、という様子だ。1行目の合成のところは、いいえ からピンク文字で飾りがついている。つまり、合成というわけだ。リードは、コンピュータの声が新化を続けている、とはじまって、最先端を走るとかで名工大の研究チーム、国際音声技術研究所が紹介されている。したがって、横見出しの小文字には、名工大研究チーム とあり、記事終わりの縦見出しには、感情豊か 技術無料公開 広がる利用 と見える。技術の粋は、同じ音声で、つまみボタンで怒り、悲しみ、元気の度合いを調節して情感たっぷりに読み上げるというものらしい。写真記事のトップに並ぶのは、平成の命山 着々 とあって、静岡 袋井 の地名がある。命山とはなんだろうかと思わせるが、写真は造成地が小高い様子で写っているし、読んでみると、江戸時代に村民が命山を作って災害を免れた史実に倣った、とかで、日ごろは公園で、災害時には約1300人が避難できるそうだ。古墳のような高台を作っているらしい。 . . . 本文を読む
条件表現について、~たらば ~ならば を検索すると、質問コーナーに文法の分類についてのものがあった。この問いについてはさまざま言及があって、いくつか読んでみると、それぞれに全うであるものがあって、文法の問いに対する解説としては参考になる。日本語教育が果たしてきた分析が教育用文法として一般視されるので、これには便宜、説明がある場合もある、として考えた方がよい。学校文法は規範によるといった定見は議論の余地がないようだが、それも学校教育文法であるなら、やはり言語現象をあますことなく説明するものだとする見方は避けられるべきだろう。形容動詞は学校文法採用の橋本学説の運用である。条件表現の問題とするところも、用法に応じた説明と学校文法のようにこれしかないといった言い方は日本語教育での学習ステップに合わせて混乱したままである。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 894 海外旅行に胸を躍らされる を例題にしている。コラムは、胸を躍らせる を慣用句にして、慣用句は形を変えて使うことができないと解説することがあって、これについても形を変えて使うのは難しい、とする。つまり、胸が躍る または、胸を躍らせる と言わなければならないとしている。それを、胸を躍らせた の受身形である、胸を躍らさられた について不適切だとする。辞書によって慣用句が示されるので、そのような説明になるようだ。しかし、この言い方で、胸を躍らす という表現が成り立つとすれば、それは必ずしも慣用句としなくてもよいかもしれない。胸 躍る この2語が結びつくのは、身体を使った表現おひとつであるから、慣用的な用法ということはそれでよいが、胸を躍らす 胸を躍らされる というふうに、変化形を持っても意味内容が通じるならば、表現としてよいだろう。
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