ください 下さい と書く。くださいませ となった変化形の、ませ のとれたものと解釈される。下さります という言い方が成立するかどうか、言いそうなものであるが、下さりますか 丁寧さが過剰となり、現代では通用しない。だから、下さりませ 下さいませ となって、そのまま、ください となったものであろう。ください は、丁寧な命令である。相手に、くれる という語でいえば、くれ と言いはなっていることになり、それを丁寧に言ったとすると、くれますか くれませんか となる。それでは、くださいますか くださいませんか との、言い換えはどのような表現になるのであろう。くれ くだされ この二つの表現は何が違うか、身分上下意識の表れがあるか、そうではないか、の違いである。下さるに、上下の下を使うのは、下賜するということの名残であろう。したがって、下さい というのは、もののやり取りの関係を上から下にくだす、下す そのもののやりとりの行為を表すだけなのである。それで、下から上に命令して要求することになる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 889 別のグループと一線を引く を、例題にしている。一線を引くは慣用句、一線を画す と用いるべきなので、例題の表現は適切ではないとコラムの解説は言う。慣用句はそのままで使うことを説明するのはよいだろう。しかし、この表現を間違いであるとする根拠にはならない。なぜなら例題の意味する情報内容は日本語として通用している。この成句が、境界線を引く、境界線画定、という表現から意味するところを理解できるので、一線を引く 一線を画す として用いる。 . . . 本文を読む
芝居とは、勧進の猿楽、曲舞くせまい、田楽などで、舞台と桟敷との間の芝生に設けた庶民の見物席と、辞書で説明する。同辞書、日本国語大辞典には、日葡辞書に、*日葡辞書〔1603~04〕「Xibai (シバイ)〈訳〉そこで劇が行なわれる場所・野」と見える。さらに、*信長公記〔1598〕一五「丹波猿楽、梅若大夫に能をさせ、〈略〉御桟敷の内、近衛殿・信長公・家康公〈略〉御芝居は、御小姓衆・御馬廻・御年寄衆」と見えて、能を演ずるところで、桟敷と芝居を分けていることがわかる。よくいわれるように、芝居見物となる。その芝は、どのようであったかと想像するにしくはない。ほかにし‐ば 仕場・為場という語もあり、ある事柄の行なわれる場所、現場の意、主に戦場など屋外の場所をさしていう、仕場居とある。 . . . 本文を読む
狂言 鬼瓦 ナディアパーク1F広場 18時から。
都に出てきた主人が訴訟に勝って因幡堂へお礼参りに行ったとき、鬼瓦を見て国もとの妻の顔を思い出して泣くが、召使に慰められて、笑うというストーリである。台詞劇としての滑稽がよくあらわされる。主人に佐藤友彦さん、召使に佐藤融さんが扮した。ナディアパーク広場はロフトの入り口、外であった。人だかりがする、帰り支度の人が足を止めて、今宵も狂言の出前が町に、辻に現れて、鬼瓦に似ている懐かしさを演じるしぐさに笑い声が起こった。 >故郷を懐かしむ大名の人間味が表れ、短編ながらもほのぼのと描かれた狂言の名作です。また二人で声を合わせて笑いとばす『笑い留め』の手法で、一曲を目出度く納めます。 . . . 本文を読む
日本語の意味は漢語を日本語にとり入れてそこに読みをつけることであった。すなわち訓読をすることである。漢語には和訓を施し漢字には訓読みをつけた。そうすることで漢語の意味内容と漢字の意味を和語とすることになった。漢字には形音義の要素があった。和語には音義があった。漢語との対比に日本語になる訓は分類されることになる。漢字音は日本語の発音と意識されたと考えてよい。言語四種論げんぎょしゆろん は、ことばを分類した。体、形状、作用そしてテニヲハである。ここでこの分類に注目するのは、時枝誠記の国語学史であった。とくに、さすところ の有無について、テニヲハをさす所なしとして扱った言語四種論は、時枝学説の言語過程説に影響している。詞ニツケル心ノ声とは、どのような発想であったろう。
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