物語りが明かすことは、源氏の心情表現に託して、自己の思いの内に、あらわされる。
この場面と表現は見事に再現されたものである。
それは作者か、女房か、それと光源氏だけが知りうるはずのことであったが。
笑っていらっしゃる、文中、きみ となっているが、まみ であろう、そして口つきである
たよひたりける についても、かよひたりける である。
にこやかによく笑い、その顔を見て、よく似ていると思う。
おやたちのこたにあれかしと
なきたまふらむにもみせす人し
れぬかたみはかりをととめおきて
親の気持ちになって柏木の早生を思いやる
人知れぬ形見 には、複雑な思いが去来する。
死を悼む表現が続く。
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国語はいつから国語であったか。国語という言葉が示すことがあれば、それは国語の始まりと見てよい。しかし、国語こくご としての用例は次を最初に見ることになる。*徂来先生答問書〔1725〕下「歴史は左伝、国語、史記、前漢書 この日本国語大辞典の例によれば、18世紀に見えるが、その淵源を中国の史書にさかのぼって、それを解説している。そして奇しくも国語科目の例が1872年を示す。辞書の引例は、ある一国における共通語または公用語としての使い方があることを、解体新書、1774年にさかのぼってこの辞書の初出とする。
前島密の漢字御廃止之儀、1866年、今日本に来りて見るに句法語格の整然たる国語の有るにも之を措き、という用例は、日本語ではあるが、みくにことばの解釈をする。国語をとらえる意識は資料においてこれだけにとどまらないと推測するも、実際に国語をどうとらえたかは、字音語としての、国語こくご は近代になってからである。この時期に、国語くにことば としての訓読みの用例がある。国詞、国言葉という表記もあり、あげる用例には注目する必要がある。それは、固有の国語を指す。 . . . 本文を読む
テレビをご覧になる、そのためにはコインがいる、そのコインを請求してやり取りをし、ベッドから落としてナースコール、トイレに自力で行こうとしてベッドから落ちる、介護をしようとするとことわる、それで便器を持ち込んでするのだがうまくできたのかどうか、見回りが来てたしかめて清掃となる、それで世間話をする、なんともにぎやかい、だが、どうもようすがおかしい、だんだん声に張りがなくなる、ように思えたら、寝る息のままにお休みだったりして、それをくりかえして、生とのたたかいだった、そう聞こえてくる。そうして、2年前のその日、ひとつの命をおくる。病室は相部屋であったので、カーテンで仕切られた窓側のコーナーに、ベッドにしばりつくように寝ていた。食事はさだめられたとおりに摂って日に日に体力の回復を見る。動けないのだけは苦労した。とにかく首をつっぱって背中を浮かすしかない。全身突っ張って痛いのだから、そうでない、そうならない姿勢を探すことになる。電動の背もたれを上げ下げするのが一大事のことであった。その生活にカーテンの向こうの、もう一つの窓側のコーナーに元気な方がいたのだが・・・ . . . 本文を読む
ガンの診断は西洋医学が入ってきて、明治時代になるとできるようになったようである。それまでは、江戸時代に西洋の内科書を訳して初めて知った病気であるという。したがって胃ガンだと診断できることはなかったので、見当の付く病名として、胃翻いはん 隔胃かくい と診断していたと、病が語る日本史は述べる。漢字の癌は、南宋時代、12、13世紀、中国の医学書に出てくるようである。明代の医書に、皮膚の表面にできた固い岩のようなごつごつした腫物をガンと言っていた。
武田信玄、1521~1573、もガンで亡くなった。結核であったという説もあるようだ。伝記の甲陽軍艦に、隔を患い、と見える。胸と腹の境、横隔膜あたりの病で、胃ガンの可能性が高い。 . . . 本文を読む
よろしく は、よろしい という語を、副詞に用いる。宜しい を宛てるので、この漢文訓読の用法から意味内容がかかわると、そうすることが当然であったり、必要であったりするさまを表わす語を用いていることになり、ぜひとも、必ず、と同じになる。ただし、宜字を、よろしく…べし と読む場合であるので、そうした使い方は文体によるところとなった。それをまた、その場の成り行きや雰囲気に適合するようにするさまを表わす語として、よいほどに、ほどよく、適当に、となるので、よろしく と聞いただけで、その挨拶の意味にはさらに、人に好意を示したり、何かを頼んだりする、というのがあるので、難しい使い方になる。。 . . . 本文を読む
日本語の音声は拍またはモーラでとらえるとわかりよいが、これは音韻論のとらえ方である。音声は音節でとらえると語のまとまりを得るが、日本語は仮名文字ごとに、また特殊な音節としてのとらえ方もあるので、実際の発音はわかりやすくすると、子音と母音の音節で分析をすることになる。そこにアクセントを置いて発音すれば語の音調ができる。語を連ねて文とするとそこにも音調が働くことになる。個々の語のアクセントに加えた音調が全体として文になると、その音調はイントネーションとなる。音節の音調は声調である。
イントネーションは抑揚とも呼ばれる。上昇、下降の音調である。ただこれは文末に現れる場合で、話者の話す内容において調子が加えられる。英語文法の影響で、日本語でも疑問文は文末が昇調になると解釈されることがある。逆に文末が降調になるのは平叙文である。しかし日本語は文の語末に不安あるいは不確かを表す、~か を付けると。それで疑問を表すことができるので、必ずしも音調を加えることがない。また、同じように、~か の文末の場合に、降調を用いると、それは文の情報によって意味が異なってくる場合がある。東京へ行きますか、と昇調でたずねると疑問を表すが、降調にすると行為の確認となる場合がある。 . . . 本文を読む