現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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日本語史を考える4

2013-09-21 | 日本語どうなるの?
日本語史を日本語の呼称とともに考えてみる。和語であれば倭の時代から和になる表記は混淆して用いていたようである。漢文またその文体には和語が見えないならば、表記によるところであろう。この和を、やまと と訓じて、大和を、おほやまと とする。日本を、やまと 大日本を おほやまと と訓じていたので、やまとことば は、日本語を指していてもおかしくはない。大和言葉はまた、和歌をもさしていたので、日本語史についていうなら、やまと おおほやまと の意味では、倭語史、和語史、大和語史ともなり得ない。日本語史に対してその始まりは、いまの通用する国語を用いて前史に国語史を置くことになる。 国語が日本語になるとすれば、大和朝廷の和語または倭語をとらえ、その経緯において、漢語との対比ではない国語と見える時期を、和らげに意識する時代となる。日本語史の前史を、日本語史の歴史的事象の成因となった、それ以前の歴史と考えるか、日本語史の時代の前半の歴史を、国語史としてみるか、漢語とポルトガル語と、日本語への影響にある。 . . . 本文を読む

名月

2013-09-21 | 日本語百科
名月は明月であると語誌は説明する。名字は名実の名である。名と実、それが、あいともなうときを、名とする。中秋の名月はその名にふさわしいということである。満月と光がさえる秋の空である。白詩に、白居易‐效陶潜体詩「中秋三五夜、明月在前軒」とあり、明月を詩語としたものであろうか。時代が下がり、俳諧の論議を引いて、俳諧・旅寝論〔1699〕「されば三五十三夜の月、今をしなべて名月といへり。其中何れの月か不知、名月といふ故有と聞。〈略〉又明の字を用る事は和漢ともに三五の清光を賞し来る故に、明と名と通ひたるをもって通用は成べし」、と見える。明月、名月に注意をしていたのである。なお、藤原定家の日記、明月記があり、照光記ともいうが、1180年、治承4年の18歳から1235年、嘉禎1年、74歳までの56年間の日次記として欠脱はあるものの、その名を知らしめたか。 . . . 本文を読む

むなし21

2013-09-21 | むなしき―
高齢者の定義を何歳からにするか、日本老年医学会、日本老年学会が検証を始めたというニュース。こんな名前の学会があることにまず、へぇっ、と思って読んでみると・・・65歳じゃ若すぎるという見出しは、どうなるのかわからない。一般的には65歳以上で、身体能力は75歳以上とする考えかたがあるようだ。身体能力の高い高齢者が増えているとか、もはや前期高齢者は高齢者と呼べない集団だと、長寿研究医療センタの所長が語っている。老年医学会が15人の専門家で検討会を設けることになった。東京都の健康長寿k両センタ研究所の調査で65歳以上の歩行速度が10年前よりも男女ともに11歳、握力で4~10歳、若返っている。ほかのデータでも、転倒の危険性は75歳以上で増すとある。総務省の人口推計で前期高齢者は65~74歳、後期は75歳から、高齢化率は65歳と決められている。 . . . 本文を読む

現代語また現代日本語

2013-09-21 | 現代日本語百科
現代は時代区分でいえば第2次大戦後となる。現代日本語はその68年として、いままでを考えることになる。現代語といえばその時代区分にあわせた言葉となるが、時代区分に現代の前の近代を置くとそれは明治から第2次大戦までをその時代としてみることになる。すると時代を設定して近代語があって現代語があることになるが、捉え方によっては近代語をふくめて現代語を設定する考え方もある。これは時代の区分で現代を明治からとらえる考え方と同じで時代の設定に画期とその及ぶところの視点がある。日本史での古代中世近世あるいは近代に続く現代であるとなるか、それを大きく区分をして古代と現代とになるかという場合もあるが、歴史的事件は日本の場合には数百年ぐらいを経て、8世紀、12世紀、17世紀、19世紀そして21世紀と変遷しているので中世の時代区分が置かれる。この古代と現代の2区分では言語の時代にもその考え方がある。中央集権国家の言語への影響である。すなわち大和朝廷と大日本帝国との時期である。 . . . 本文を読む

北京の二人

2013-09-21 | 映画を見ました
原題は、Red Corner 邦題のタイトルに興味半分だったが、見ているうちに、よく再現されていると思った。リチャードギアの主演だから、サスペンスものだろうかとと見るともなく眺めていて、あとで分かったのが、全編をアメリカ国内での撮影だったと言うのであらためて感心したようなわけだ。公開が1998年10月10日のようだから、製作1997年であるから、舞台はそのころということで、北京に出かけたころのことだ。街並みを走る車がその時代を表している。市内の様子には合成があると言うことだけれど、ちょうど天津汽車製のシャレードがそれこそ赤色や黄色で走りっまわっていて上海VWの黒色のサンタナが公用車であったころの風景はそのままだった。ストーリーはいまにして言えば推して知るべしで弁護士役が難しい役回りを演じている。その程度のものではないが国の法律に従えとする論理は何十年もたってからでも汚名挽回し名誉回復をする国にあることなのでその物言いだけに真実があった。外国人がかかわる犯罪はあんなふうにはなり得ないし大団円の急展開もまたドラマでしかない、と言っても、ひきこまれてしまった・・・ . . . 本文を読む