原題、武侠。日本語タイトルは、捜査官X とあって、何だろう、これはと思わせるには、時代が1917年であり、中国南方の小さな山村である。BS放送で鑑賞した。カンフー映画だとすればそれなりの娯楽映画で、主演の金城武の飄々とした演技が見どころの一つだ。清朝末期、過去から逃れて山村で静かに暮らす元暗殺者、ドニー・イェン主演が主人公で、ある事件をきっかけにやって来た警官、金城武主演の出現によって、彼の隠された過去が明らかにされていく物語で、ドニーのアクションもたっぷり堪能できる、と解説がある。前半の推理と、後半の武闘がバランスよく見ることができたとかなんとか感想を言いたいところ、西夏族の裏切り者と憤死をする教主の台詞に考えさせられてしまった。それは捜査官が盛んに漢方の気を捉えて謎解きをする好対照であった。 . . . 本文を読む
挨拶表現は、こんにちは、いかがお過ごしですか、お元気ですか、と使う。お久しぶりです、お変わりありませんか、ご無沙汰しております、など、その場に応じた表現がいろいろである。ご機嫌いかが、というように、相手を気遣う。話し言葉豊かにする声がけは、日本語の特徴だと言ってもいだろう。元気 元気か 元気かい 元気そうだね 元気だったか さらにそれぞれを丁寧にする言い方もある。そして、元気そうで何よりです となる。元気の、語そのものは、1 天地間に広がり、万物が生まれ育つ根本となる精気 2 活動のみなもとになる気力。身心の活動力。また、国家や組織が存続する上で必要な活力。3 体の調子がよくて健康なこと。気力、勢力が盛んなこと。また、そのさま。4 ─する)病気がなおること。健康が回復すること。減気。日本国語大辞典の意義説明は以上のとおりであるが、4について、補注として、 >中国の文献に出典を持つ語であるが、(3)(4)のような意味が生まれるにあたって、和製漢語「減気」との関わりを指摘する説がある。「減気」は、病気したあとの回復を意味したので、「元気」と類義になったという事情が考えられる。 . . . 本文を読む
日本語の歴史と日本語史では違うか。同じであると考えてよいが、日本語の歴史の場合は日本語を日本語前史からとらえて日本語歴史とすることができる。日本語史はその前史に国語史を捉えるとよいかもしれない。日本語にっぽんご を、訓じて、やまとことば とするならば、それは国語と重なるところはあるが、和語、大和語、日本語という足跡をたどる。にっぽんご を辞書検索すると、にほんご と同じとする。日本語大事典では、字音語の読みがわざわざ にっぽんご であるのは、西洋道中膝栗毛〔1874~76〕〈総生寛〉一三・下「日本語(ニッポンゴ)で言っておくんなせへ」、という用例をあげる。ちなみに、にほんご の項目には、 >日本国の国語。日本本土のほか、海外の日本人移住者の間で話される。 と説明をする。このタイトルにおいても、にっぽんごし にほんごし その読みによって、意味情報が同じであるとすべきか、考えがつかない日本語である。 . . . 本文を読む
日本語音声の卓立について、音声学、音韻論、いずれになるわけでもないが、これについて述べる。プロミネンスをかけるといって、文また会話において強く発音する箇所を言う。それは、相手に伝えようとする語の強調になる。prominense そのものは、 文中のある語を強調するために、特に強く発音することと、説明がある。強勢とも訳す。アクセント、プロミネンス、イントネーションと、それぞれ日本語音声では高低として扱われることもある。その違いを、解説するものに、語や文に加えられる高さや強さ、であるとして、使い分けを言う。また、表現豊かに原稿を読み上げるためのプロミネンスについて、また表現力を鍛えるために有効な練習方法、というように、アナウンスの練習で解説する。話し方の工夫であると言えよう。イントネーションでは文末の用法を分析することがあり、文法と意味に関係する。プロミネンスは相手に伝わりやすくするという点で、音声学また音韻論で述べるより、日本語表現で話し言葉の日本語を、日本語らしくメリハリをつけるものだと言えよう。
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さはかりおもひあかりおよすけたり
しみをこころもいぇうすなひつる
よとあはれにかなしけれは
あれほど気位が高く立派になった
身を自ら失ったことよ、と
哀れで悲しいので
ここで源氏は憎いと思う心を抑えて嘆く めさましかりしこころもひきかへしなけかれたまふ 原文は通行本文で、 うちなかれたまひ と泣く 柏木三の絵巻には詞があり、歌を添えている。物語の通行本文では、歌の前に、女房たちが退出した後、宮に言う場面地なる。
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戦国時代の武将、会津藩主、蒲生氏郷がもううじさと1556-1595は40歳で、大腸がんで死んだと推測している。。氏郷は信長、秀吉に仕え、35歳で92万石の大名になり、長生きをしなかったのが惜しまれた、名だたる武将であった。氏郷の病気について、医学天正記、に詳しい。その著者で名医の曲直瀬玄朔まなせげんさく が記している。
>顔色をみると、如何にも不調で、その色が黄黒で首筋の傍らの肉がやせ衰え、目の下にかすかな浮腫がある。これに腹が張ってきたり、手足がむくんできたら、かならずだいじになるから、よく考えて薬の進上をすべきだ
と、主治医の宗叔に助言している。、
徳川家康1542-1616は胃ガンで亡くなっただろうと推測している。元和げんな2年、1616年、75歳であった。原因はほかにも食中毒の説がある。 . . . 本文を読む