日本語発音を東京で用いる方言、いわゆる共通語でみる。山の手と下町と捉える東京方言は共通語として山の手方言が普及した。断らない限りこの方言による。母音特徴ではまず、[u]について、円唇母音ではない、平唇母音とよばれる音である。非円唇になるので強く唇を突き出さない。東京方言に対して関西方言では唇を突き出す話し方がある。次に、母音の無声化といわれる現象がある。わかりよいのは語尾の、です、ます、のような発音が[des]、[mas]のようになる。これは狭口母音が無声子音のあいだにあるときにおこる。母音で終わるか音節構造の発音は母音の現われ方によって日本語発音の聞きやすさを作り出している。
子音の特徴は、か行音の子音で軟口蓋閉鎖音として現れる。喉の近くで発音するため、軟口蓋の破裂音としての解釈もあるが、呼気の出る意識はそこで止めるようである。 . . . 本文を読む
おもてなし は、もてなす から派生した語だ。辞書の意味は、人を取り扱う、待遇する、そして、あしらう とある。その例文も、国賓としてもてなす、というのと、よそよそしくもてなされる、というのがあって、その意味内容は行為の両極端にある。しかし、意味としては、心をこめて客の世話をする、饗応する、馳走する、と、具体的なものを示している。山海の珍味でもてなす、客を酒でもてなすなど、この例文で、山海珍味、酒が上がっているのはどういうことかと思ってしまうが。
この語に美化語となる接頭辞をつけて、おもてなし という語で、客のあしらいを指す。客を迎える主人側の行為には接待の内容をどうしているかが問われるところだ。そこでその具体性が、手厚くとか、茶菓になる。このたびの五輪の2020年決定に東京招致大使のフリーアナウンサーが行ったプレゼンでは、次のように述べたとニュースが伝える。 . . . 本文を読む
パンダの目が白黒になったのは[パンダの話]
むかし、パンダは真っ白でした。
ある日、心優しい娘が山道を歩いていると、パンダがヒョウに襲われているではありませんか。
そのパンダを不憫に思った娘は、ヒョウを追い払おうとしました。
ですが、邪魔をされたことに怒ったヒョウは娘に襲いかかって、噛み殺してしまったのです。
そのおかげでパンダは命からがら逃げ延びることができたのですが、自分の身代わりになってくれた娘のことを考えると、それは不憫でたまりませんでした。
そのパンダは村中のパンダを集めると娘のお弔いをすることにしたのです。
全員が黒い腕章を付けて、みんなで泣きました。
黒い腕章で涙を拭くたびに目のまわりが真っ黒け、泣き声から耳をふさぐたびに耳が真っ黒けになり、悲しみにくれて抱き合うたびに腕章の色がたがいの身体に、黒く黒く染みていったそうです。
そうしてパンダは今のような姿になったのです。 . . . 本文を読む
式年遷宮が始まったのは、持統天皇690年。律令制を整え、神祇官制を確立。自らの皇統の正当性を定位し、万世一系の基礎を作った。伊勢神宮に祭るのは天照大神あまてらすおおみかみ は皇室の祖先神。持統天皇は文武天皇に譲位し、死後、高天原広野姫天皇となった。
常に生き生きとした存在、20年ごとの遷宮で示した。第62回の式年遷宮である遷御の儀、内宮が10月2日、外宮が5日。遷御が戦国時代にはできなかった。内宮で1462年から123年間、外宮で1434年から129年間、中断した。慶光院が浄財を集めて遷宮は復活した。織田信長や豊臣秀吉が寄付をした。お伊勢参りが江戸時代に広がる . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 857 万一景気が上向いたら を、例題にしている。万一 という語の用法は、望ましくないことを仮定する場合に用いるとして、例題は意味が合わないとコラムは解説する。万回に一回も起こらない というので、実現の可能性が低いというのはわかるとして、だからといって、それを願わないこと、望んでいないことに、この表現を使うとは限らない。もしも、ひょっとして、という言いかえがある。万一、万が一、
万に一つの確率で、 万に一つでも 、そうであったとしても、というように、強める言い方があって、この用法などから考えると、起こりえないことがらを仮定することが多いので、例題にもそのような使い方で文脈が続いているのだろう。 . . . 本文を読む
ものがたりは、物を語ると書くので、物語と書き表すようになってわかりにくい言葉になった。物とは、なにか、字義は、物とは雑色の牛、物はもと物色の意、拡大して万物の意となる。さらに、霊的なもの、鬼をもいう、とあり、わが国の物の化という霊的な、識られざるものの意とが含まれている。モノは、もろもろのもの、物質も精神も、人間の活動を指し示している。知覚しうるものに、空間を占め、人間の感覚で捉えることが出来る形を持つ対象、また、具体的な存在から離れた、人間が考えられ得る形を持たない対象、というふうに説明される。モノは古来、さまざまなものやことの代名詞に使われ、現代語の形式名詞にそのようがある。ものがたりは、物を語るということであろう、語る内容が人間活動であったのである。 . . . 本文を読む
これは寛解か、あるいは予後か。医学的には寛解、Remission という語を用いるのは、これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指すと解説がある。国立国語研究所「病院の言葉」委員会 『病院の言葉を分かりやすく:工夫の提案』 勁草書房、2009年、p.p.12-13。一般的な意味で完治せずとも、臨床的に問題ない程度にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なすようだ。また、予後 prognosis、 Genesung とは、手術後の患者の状態や、病気・創傷の将来的な状態、特にそれらの状態に関する見込み、を意味する医学用語であると見える。こちらの方が医師の使い方によって、余命となるようである。
寛解と予後と、どちらがどうかは、わからないけれど、2年を迎えようとしている。あと3年のケアがあるようだ。3か月ごとだ。先日、9日に、Magnetic Resonance Imaging 磁気共鳴画像 の検査を受けて、頭部に異常は見られない。その検査で得意分野の脳梗塞なども、もちろん、なかった。この2年に2回受診したようだ。いずれも変わらない。 . . . 本文を読む
養老四年、721年、続日本紀しょくにほんぎ に右大臣藤原臣不比等について次のように記録している。
>疹疾やまい 漸く留りて、寝膳安からず 発疹が治まったが食欲なく穏やかでないという記述である。八月一日のもので、その二日後に享年62、死去した。発疹と不穏な状態はどんな病であったろうかと推測している。
神亀元年、724年に聖武天皇が即位し、天平元年、729年に不比等の娘、光明子こうみょうし が聖武天皇の皇后となった。光明皇后は天平二年、730年に皇后宮職こうごうぐうしき 施薬院せやくいん を設けた。厚い信仰心を持つ光明皇后は、仏教に帰依きえ し、天平十九年に聖武天皇の病気回復を祈願して新薬師寺建立を発願ほつがん している。 . . . 本文を読む
五輪招致
2013-09-10 | 日記
五輪招致に見事成功したニュースが、かしがましい。7年後に猛者が出るか。イスタンブールに敗れたスペインは、政治的な動きを見せて、地元新聞でスペインが50票を獲得したような報道をしていた。IOC委員の顔ぶれを写真入りで投票を約束したと書きたてたそうだ。一回目に26票の同票で並んでしまった。日本に票が流れ、トルコに票が入ったようだ。
それにしてもワイドショーはなでしこの力と持ち上げた、王族のフランス語と英語のスピーチ、女性アスリートの英語によるスポーツの力、そしてフランス語でフリーアナの、お、も、て、な、し と、いずれも流暢な、耳に入りよいプレゼンテーションだった。あらためて、ことばのもつ魔力を思わせる。もちろんどれも素晴らしい内容だった。 . . . 本文を読む