知足、而今、帰家穏座 禅語を道しるべにというコラムで揚げていた言葉である。生き方の参考になる禅語だとかで、第一線を退くときこそ好機とか、見出しにあった。少欲知足を、仏遺教経、ぶつゆいきょうぎょう、お釈迦さま臨終の際の最後の教えにあるそうだが、それを紹介する。また人生を、若い時をどう過ごすか、而今をしめす。これは流行した、いまっしょ、を思い合せる。そして、帰家穏座、もはやいうべき言葉がない。それに気持ちを向けて・・・ . . . 本文を読む
明治32年創業 かしわ・鰻料理専門店、よくお客様に鶏、鰻、どちらのお店ですか?と尋ねられます、創業当初から両方頑張らせて頂いております、どちらもお楽しみくださいというので、姉が名古屋に来たので食べに出かけた。伏見の構えも座敷も古めかしいつくり、ホンワリあたたかな雰囲気だった。ウナギは長焼きを食し、焼き鳥はくしで刺さない、おさらで出てきた。ワサビの鳥を和えたのは生だというから新鮮でおいしい。姉は水泳大会でアリーナに泳ぎに来て70台のクラスで参加した。まだ大会は続いて次は50メートルをバタフライで泳ぎ切るとか。明日に備えて鳥三昧で頑張って泳いで・・・ . . . 本文を読む
――私は過激派を憎んではいない。過激派の子どもたちを含むすべての子どもに教育の機会を与えてほしいと伝えるためにやってきた、と、パキスタン、マララ・ユスフザイさんが国連で演説をした。――テロリストは私と友人を銃弾で黙らせようとしたが、私たちは止められない。私の志や希望、夢はなにも変わらない。一人の子どもが、一人の先生が、一冊の本が、一本のペンが世界を変えることができる。―― スピーチの最後で”Education is the only solution. Education is First.”と結んだ。 . . . 本文を読む
明治以降ロシアの日本語研究で3人を挙げる。ひとり目は、エリセーエフ、ふたり目は、コンラッド、三人目はネフスキーである。日本とロシアの関係は明治維新以降、1904年、1905年の戦争に第2次大戦を経て旧ソ連時代を含め良好な関係ではなかった。その中で日本学者を紹介する。S.G.エリセーエフ、1889-1975 サンクトペテルブルグの出身、亡命してパリからアメリカにわたる。1934年にハーバード大学東洋語学部長になり、ハーバード・エンチン・インスティチュート所長について1956年まで務めた。そのエリセーエフは日本に留学している。1908年大学に入学、上田万年、藤岡勝二、ケーベルの講義を受講し、次いで大学院を1914年に修了、祖国へ帰る。代わりに留学してきたのがコンラッドである。おりしも1917年は革命があった。1920年に脱出し1921年パリに亡命した。32歳である。フランスで日本語の力量を発揮することになる。 . . . 本文を読む
日本語誤百科 30 ページ 今原因を調査している状態です を、例題にしている。この表現は、調査している というから、状態に決まっている として、わざわざ付け加えるは必要ない、と解説する。なにが誤りだろうかと頭をひねっていると、その次にある説明で、~ものだ ~ところ などの表現には物や所の意味がなくなっているから、状態も抽象化しているのだろうとかなんとか、書いてある。もの ところ としては、慣用表現となっているので、これでは説明に当たらない。ましてこの形式名詞のように、状態 という語があるわけではない。今原因を調査する状態です、今原因を調査した状態です、というのが言いにくいので、調査しようとする状態、調査し終わった状態、というふうに言ってみても、状態は具体的に状態なのである。 . . . 本文を読む
文章経国は政治思想だという。さらに、もんじょうけいこく、と読ませたいようだが、これを言語観に取り上げる、その理由には、日本での大学文学部の果たす役割を思うからである。それでフリー百科事典を見て、わざわざこう読ませているので、もんじょうどう、もんじょうのしょう、などと、文学においても歴史においても用語の読みわけを行うことはあるが、これは、ぶんしょうけいこく、と読んでいてよい。少し考えればわかるが、言語を、げんぎょ、と読んで憚らないとする類だ。言語四種論、げんぎょししゅろん、と主張するのは、言語の漢音呉音読みを正そうとしたので、書名にはそうなっても、言語は、げんご であって、日本語で定着した読みわけはない。文章 については、漢文訓読から用いる語であるので、読み分けなければならない。この記述における読みは誤りであろう。これもまた、日本語観になるが、まさに文章経国のことだ。 . . . 本文を読む
現代言語学の父と評されるそうだ。ノーム・チョムスキーの言語観は人間の成長と脳の発達に求めている。言語の起源から時を経て、近代になってからの言語分析による言語観は20世紀に普遍文法の考え方を現わした。そこにはフェルディナン・ド・ソシュールの学説、レナード・ブルームフィールドのアメリカ構造主義が唱えられていた状況があり、、言語形式の観察と記述に構造主義的アプローチと呼ばれる手法で言語を見ていた。言語構成観と呼んだ構造主義言語学または構造言語学である。チョムスキーの提唱する生成文法とはすべての人間の言語に普遍的な特性があるという仮説をもとにした言語学の一派であると説明される。生成文法の理論にしたがえば、すべての自然言語に普遍文法があると仮定されているが、普遍文法とは、生得的な言語にまつわる知識と規則のことである。 . . . 本文を読む