いま、ひつじ意味論講座で、少し述べてみよう。この第4巻にみえる序論による。意味の観点をもって言語、人間、社会・文化に迫ろうと言う。幅広く意味論の分野を講座はとっている。言語学の意味を研究する分野にすぐに言及があり、それは意味論と誤用論に分けられる。Leech によるそうだ。コンテクストの依存による。このコンテクストは、場面的な脈絡、背景だとする。発話の解釈をを支える土台だそうである。講座で意味論をアプローチする同心円の説明が続いてある。レベルの設定である。第一のレベルには命題的意味、第2のレベルにはモダリティ的意味、第3のレベルには発話場面的意味、第4のレベル、同心円のもっとも外側の社会・文化的意味となり、ここは社会、文化、歴史、文学、医療、教育、司法、ビジネス、家庭などの場と関係しているようだ。図の意味の同心円的なレベルはわかりよいようであるが、ふとコンテクストに依存しない類の意味が核にあり広いコンテクストとなって外側に開く構造はそれぞれのレベルに意味があるということだろうかと思った。 . . . 本文を読む
漢学は洋学に対して現われたのであった。国学は漢学に対してであった。このような図式がどのように起こったか。漢学は本来、日本にはいった漢籍を通して学ぶことであり、それは洋学が意識されるまではすべてが外来のものを漢学と称しただろうから、中国伝来の学問であるが、考証学として清代におこった方法を時代の流れにおいてまた漢学として捉えられた。この漢学は宋学について思弁学であったものに対抗したととのことである。漢学は儒教、明経道であり、のちに朱子学へと移る。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 825 その仕事は100点満点だ を、例題にしている。これはどこがおかしいかと聞いてみると誰も日本語がおかしいなどとは思わない。フルマラソンを走る というか、42.195キロメートルのフルマラソンを走る というかどうかだろう。コラムの解説では、100点満点 を慣用句の用法と見て、100点がすべて点数の上限でその満点を言うというような捉え方であるから、その仕事は満点だ とだけ言えばよいとしている。満点が100点であることで、いろいろな場合に使われるので、それを指して、満点だけが適切なのだそうだ。ところで、この文脈は、その仕事は50点が満点だ、というような、その最高点を示しただけの表現である場合に使う言い方だ。例題のままに解説を見て、想定する点数を表わしただけであるとするなら、やはり、これはこのままでよいのである。 . . . 本文を読む