阿蘇で思わぬもの出会った(^^;
豊後街道。
肥後と豊後を結ぶ街道で、今も当時の石畳が残る道。
肥後・・・といえば、池田屋で殺された「宮部 鼎蔵(ていぞう)」がおったねぇ。
彼は肥後藩じゃったね。脱藩したけど。
彼もここを通ったんじゃろうねぇ。
石畳の向こうに、阿蘇の町が見える。
阿蘇の外輪山に登るわけじゃけぇ、大変じゃったろうねぇ。
ここに大きな岩があるけぇ、登ってきた旅人はきっとここへ腰掛けて眼下の田園風景や、向かいに見える阿蘇連山を眺めたことじゃろう。
私なら、この上に立って、足は肩幅、手は腰に当て「どうだ~!」って叫ぶじゃろうねぇ(笑)
武士はそんなことしそうにないけぇ、私はきっと「お調子者の町人」ってところかなハハハ(笑)
こちらは下までおりたところ。
お茶や跡なんかも残っとったよ。
復元したんかもしれんけど、今まで見た石畳の中で一番長いような気がする。
#もちろん、歩いて下りたわけではなくて、途中まで歩いただけじゃけどね(^^ゞ
こちらは西南戦争の碑(西南の役 戦跡)
阿蘇へ行って、幕末、江戸時代の足跡ってなんか違和感があるなぁ~・・・
そう思って考えてみたら、
阿蘇のカルデラができたのが何十万年というオーダー
幕末、江戸時代は150年とか400年とか。
その桁違いの数字のせいかなぁ・・・(^^ゞ
豊後街道。
肥後と豊後を結ぶ街道で、今も当時の石畳が残る道。
肥後・・・といえば、池田屋で殺された「宮部 鼎蔵(ていぞう)」がおったねぇ。
彼は肥後藩じゃったね。脱藩したけど。
彼もここを通ったんじゃろうねぇ。
石畳の向こうに、阿蘇の町が見える。
阿蘇の外輪山に登るわけじゃけぇ、大変じゃったろうねぇ。
ここに大きな岩があるけぇ、登ってきた旅人はきっとここへ腰掛けて眼下の田園風景や、向かいに見える阿蘇連山を眺めたことじゃろう。
私なら、この上に立って、足は肩幅、手は腰に当て「どうだ~!」って叫ぶじゃろうねぇ(笑)
武士はそんなことしそうにないけぇ、私はきっと「お調子者の町人」ってところかなハハハ(笑)
こちらは下までおりたところ。
お茶や跡なんかも残っとったよ。
復元したんかもしれんけど、今まで見た石畳の中で一番長いような気がする。
#もちろん、歩いて下りたわけではなくて、途中まで歩いただけじゃけどね(^^ゞ
こちらは西南戦争の碑(西南の役 戦跡)
阿蘇へ行って、幕末、江戸時代の足跡ってなんか違和感があるなぁ~・・・
そう思って考えてみたら、
阿蘇のカルデラができたのが何十万年というオーダー
幕末、江戸時代は150年とか400年とか。
その桁違いの数字のせいかなぁ・・・(^^ゞ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます