さあ、毛利邸へ
といっても、これは博物館になっとるんじゃ。
邸宅の一部が博物館になっとるっていうんじゃけぇ、すごいもんじゃ。
1200坪の豪邸ってなっとったけぇ、庭も入れてだと思ったら・・・
庭園は25000坪だって( ・_・;)
広すぎて、見当もつかんわ(笑)
うちなんか、三十数坪じゃけ!
わかりやすいじゃろう(爆)
入るとすぐのところに、見慣れた毛利家の家紋があった。
一文字に三つ星と沢潟(おもだか)の家紋。
中には、立派な応接間や、スゲー広い大広間があった。
誰やぁ~、そこでくつろいどるのは(^^;
ここが、主の部屋だって。
意外とこじんまりしとるねぇ。
この部屋を見たとき、この言葉を思い出した。
「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」
信長の言葉じゃったかいねぇ・・・
秀吉じゃったかも(^^;
やっぱ、この程度の広さが落ち着くんかねぇ。
ほいじゃが、外から見たらこーんなにでかいんじゃけぇ(^^ゞ
作り始めて、日清、日露戦争で途中お休みして、完成したのは大正5年なんだって。
確かに、江戸時代の建物じゃないよね。
ほんじゃが、明治時代だとハイカラな洋館という選択肢もあったじゃろうけど敢えて和風なんじゃろうね。
遠くから見ると、池もあってりっぱじゃろう。
毛利家は関ヶ原のあと減封されて、40万石足らずしかなかったんじゃけど、やっぱり殿様となるとお金もちじゃったんじゃねぇ。
といっても、これは博物館になっとるんじゃ。
邸宅の一部が博物館になっとるっていうんじゃけぇ、すごいもんじゃ。
1200坪の豪邸ってなっとったけぇ、庭も入れてだと思ったら・・・
庭園は25000坪だって( ・_・;)
広すぎて、見当もつかんわ(笑)
うちなんか、三十数坪じゃけ!
わかりやすいじゃろう(爆)
入るとすぐのところに、見慣れた毛利家の家紋があった。
一文字に三つ星と沢潟(おもだか)の家紋。
中には、立派な応接間や、スゲー広い大広間があった。
誰やぁ~、そこでくつろいどるのは(^^;
ここが、主の部屋だって。
意外とこじんまりしとるねぇ。
この部屋を見たとき、この言葉を思い出した。
「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」
信長の言葉じゃったかいねぇ・・・
秀吉じゃったかも(^^;
やっぱ、この程度の広さが落ち着くんかねぇ。
ほいじゃが、外から見たらこーんなにでかいんじゃけぇ(^^ゞ
作り始めて、日清、日露戦争で途中お休みして、完成したのは大正5年なんだって。
確かに、江戸時代の建物じゃないよね。
ほんじゃが、明治時代だとハイカラな洋館という選択肢もあったじゃろうけど敢えて和風なんじゃろうね。
遠くから見ると、池もあってりっぱじゃろう。
毛利家は関ヶ原のあと減封されて、40万石足らずしかなかったんじゃけど、やっぱり殿様となるとお金もちじゃったんじゃねぇ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます