牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

生駒の地に立つ

2012-02-27 20:02:54 | Weblog
神学生作詞を紹介します。

生駒の地に立ち 聖書学院
心踊らせて 天を見上げる
聖霊の風に 豊かに吹かれ
福音のために 主イエスの道を

奇跡の連続 愛に満たされ
すべてが輝く 天国の日々
天が開かれて いやしの川が
日本に流れて 天国の日々

試練の時にも 主イエスが共に
福音のためと 励ましうけて
喜び感謝で 主イエスを見上げ
主イエスの御顔が 満面の笑み


涙はぬぐわれ、天のふるさとへ

2012-02-27 05:07:53 | Weblog
毎月第四日曜日は、午前中奈良市の富雄キリスト教会、午後は大阪エリムキリスト教会、夜は堺エリムキリスト教会で礼拝です。

 富雄は先月31日に、86歳の教会員が召され家族葬でした。昨日教会員全員で記念礼拝を守り、全家族クリスチャンになった喜びの礼拝でした。

 聖歌隊が個人愛唱歌を賛美し、家族も口ずさんでいました。

賛美歌359 夕日はかくれて

1 夕日はかくれて道なお遠し 行く末いかにと 思いぞ煩らう
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

2 したしき友みな先立ちゆきて おぐらきうき世に我のみ残る
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

3 いのちの夕影の移ろいゆけば いこいの宿りも近くやあるらん
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

4 み旨によりつつ 眠らせたまえ 常世のひかりに目覚むる日まで 
  わが主よ今宵も側方にまして 淋しきこの身をはぐくみ給え

 家族葬の時の富雄キリスト教会牧師説教を紹介します。

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。ヨハネの黙示録14:13

 まず始めに「今から後、主似あって死ぬ死者は幸いである」とあります。お葬式の時間、大切なご家族との別れの時間は決して幸いな時ではありません。悲しみ、痛み、苦しみの時です。

 私も塚本さんから連絡をいただき、壽賀子さんが入院されていた白庭病院へ急ぎました。先週の金曜日に容態が悪くなったとお聞きし、お見舞いしました。肺炎で昨年12月16日に入院されましたが、先週にお見舞いしたときに会ったばかりでした。

 とても急な話だと思いました。86歳でした。ご家族はもっとそのように思われたと思います。人が死ぬということはとても悲しく、つらいことです。その死を受け入れるのもとても難しいことかもしれません。ご家族は涙を持って悲しまれたことだと思います。

 しかし、聖書は主にあって死ぬ死者は幸いであるであると言っています。どうして幸いなのでしょうか。主にあって死ぬ、つまりイエス・キリストを信じて死ぬ者は幸いであると言っています。なぜかというと、イエス・キリストを信じるならば、天国への希望があるからです。
 
 死んだ後の不安はなく、永遠のいのちをいただき、天国に行くことができるからです。壽賀子さんは、60年以上前だとお聞きしましたが、女学校時代、若い頃からキリスト教に触れておられました。ご主人のお兄さん、お姉さんが戦前よりの熱心なクリスチャンで、会うたびに讃美歌を歌ってくださったそうです。

 歌がお好きだったそうで、讃美歌も覚えて口ずさんでいたそうです。ご自身の結婚式のときもキリスト教式で、讃美歌がさらに好きになったそうです。今日後で歌う「ちちみこみたまの」という讃美も大好きだったそうです。

 8年前に次男の昌弘さんを天に送ったときに、家族そろって洗礼を受けて頂きました。それ以降、富雄キリスト教会の礼拝で、大好きな讃美をいっしょに歌ってくださいました。

 入院中も、桂一郎さんが讃美のCDと亡くなられた弟さんが作った歌のCDを聞かせてあげていたそうです。本当に歌がお好きな方でした。壽賀子さんはイエス・キリストを信じ、天国に行かれました。

 今は、天国でイエス様とお出会いし、愛するご主人、また息子さんの昌弘さんと出会い、とても笑顔の素敵なお方でしたから、笑顔で私たちのことを見守っておられることだと信じます。

 聖書の次のことばに、「御霊も言われる。しかり、彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」と書いてあります。

 壽賀子さんは、その病から、痛み、苦しみから解放されて、今ゆっくりと休んでおられます。心臓の病や、脳も腫瘍がありました。そして最後は肺炎で、息が苦しそうでした。大好きな食事もできませんでした。

 長い苦しみの中、精一杯生きて、1月30日の午前10時5分に静かに、眠るように息を引き取られたそうです。壽賀子さんは、今、様々な苦しみから解放されてゆっくり休んでおられます。

 ですから、キリスト教で死というものは、おやすみなさいです。そして天国でまた会いましょう、がキリスト教でのお別れです。

 そして、「彼らの行いは、彼らについていくからである」壽賀子さんは、地上ではお別れしましたが、その行いは、思い出はたくさん私たちの中に残されています。家族みんなに愛されて、お孫さんたちもおばあちゃんに会いに、沖縄から、東京から駆けつけて、塚本さんも毎日病院へ通い、この土曜日、日曜日はずっと病院でお母様と過ごされました。

 いつも笑顔で、平穏で優しい壽賀子さんの良い思い出は、ずっと私たちの心に残されています。壽賀子さんは、イエス・キリストを信じ、天国に行かれました。天国はとても美しい場所で、そこには悲しみ、痛み、苦しみ、涙もないところであると聖書は言っています。

 そこに行くためには、イエス・キリストが私の罪の身代わりのために十字架で死んだこと。墓にほうむられましたが、三日目によみがえられて、天に昇り、今も生きている、まことの神であり、救い主であることを信じるならば、私たちも罪が赦されて、永遠の命をいただき、天国に行くことができるのです。

 壽賀子さんは、そのことを信じて、今、天国に行かれました。86歳という生涯を送り、楽しいことも、悲しいこと、苦しいこともありましたが、今は天国でゆっくりと休んでおられます。塚本壽賀子さん、また天国でお会いしましょう。ゆっくり休んで下さい。

 そのようにして、塚本さんとの最後のお別れをしたいと願います。もう一度、聖書のことばを一緒にお読みしましょう。・

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。ヨハネの黙示録14:13

聖歌645 父の神がわれら
1.父の神が我ら 信仰してる民に 備えられた住まい そこにて我らは行く
    
    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう

2.青い空に雲の かけらすらも見えず そこで我ら声を 合わせて 歌うたおう

    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう


3.救い受けた我ら 御恵みの数々 父の神の前で 広げよう 感謝持て

    やがて我ら 清い向こう岸で 共に手をば とりて喜び会おう


黙示録

7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」