最期まで忠実に タラントのたとえ(富雄キリスト教会19日礼拝説教)
「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイの福音書25:14-30)
このイエス様のタラントのたとえ話は、ゆだねられた賜物と、それに対する責任が問われています。
1.忠実なしもべと不忠実なしもべ
イエス様は、近いうちにご自身が天国に帰らなければならないことをご存知でした。そこで、弟子たちに、ご自分が去られた後、どのようにこの地上での生活を過ごすべきかを、たとえ話を使ってお語りになりました。
登場人物は、主人と三人のしもべたちです。主人は旅に出る前に一人一人のしもべたちに、財産を預けることにしました。それぞれの能力に応じ、一人には5タラント、もう一人には2タラントそして最後の一人には1タラント渡したのです。
1タラントというのは6,000デナリ。1デナリが一日の賃金です。ですから当時の労働者の約16 年分の賃金に値するかなりの額です。6000万円ぐらいということにしておきましょう。
一番少なく与えられたしもべでも、1タラント、6000万円もの財産を預けられたことになります。2タラントが1億2千万。5タラントが3億円ということにしておきましょう。
さて、5タラント与えられたしもべと2タラント与えられたしもべは、預けられた財産を資本に、熱心に商売をしました。そしてそれぞれ財産を2倍にも増やしたのです。ところが1タラント預けられたしもべは、せっかくの財産を地面に埋めて隠してしまいました。
しばらくして主人が旅から帰って、しもべたちと精算をしました。主人のために忠実に働いて財産を増やした二人のしもべたちは、主人からほめられ、さらに多くのものが与えられましたが、主人を信頼せず財産をそのままに放置しておいたもう一人のしもべは、その1タラントすら取り上げられてしまったのです。
6000万円もの大金でしたら、今の銀行の金利で年に0.4%として6000万円だったら、2万4千円です。よほどたってから、ということばがどれくらいの期間かがわかりませんが、5年だったら、12万円、10年で24万円です。1タラントもらったしもべは、銀行に預けるだけでも良かったのでした。
2.たとえ話の意味
さてこのたとえ話を通して、私たちは大切なことを学ぶことができます。第一に、これらのしもべたちと同じように、私たちも、一人一人神から豊かに賜物を与えられているということです。私たちが生まれつき持っている才能、時間、健康は、すべて神から与えられたものであり、全部を合わせると、相当の財産なのです。『私には取り立てて優れたところなどない』などということはできません。どんなに少なく見積もっても、1タラントに相当する賜物は必ず与えられているのです。
第二に、私たちは神から預っているこれらの大切な賜物を、神様のために用いなければならないということです。主人のために一生懸命働いたしもべたちは、ちゃんと財産を増やすことができ、主人からとてもほめられました。私たちも与えられた賜物をフルに活かして、神様のお役に立とうとする時、神様はその心がけを喜んでくださり、大いに祝福してくださるのです。
第三に、そのように神様のために賜物を用いる人は、ますます賜物が豊かにされるということです。普通、物は使えば磨り減るというのが一般常識ですが、賜物に限りこの常識は決して当てはまりません。5タラント儲けたしもべは、儲けた財産だけではなく、不忠実だったしもべの財産まで与えられました。このように、神様は私たちをただ働きさせるような心の狭いお方ではなく、ご自身のために働く者には、大いに報いてくださるのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。(コリント人への第一の手紙12:27-30)
私たちは一人一人、神様に必要とされている、尊い存在です。神様のために生き生きと仕えることができる道が、それぞれに豊かに備えられているのです。神様に自分の人生をおゆだねしようとする時、神様は皆さんのうちに豊かに秘められた賜物を、余すことなく引き出し必ず用いて下さいます。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(ペテロの第一の手紙4:10)