牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

懐かしいふるさと種子島へ帰る

2010-07-20 06:49:33 | Weblog
明日朝早く福岡県八女市へ、ハイブリットカーで出かけます。午後の集会後、公園の宿でゆっくりし22日は出水市を訪ね、その足で鹿児島市へ。生駒聖書学院卒業の牧師たちとの出会いも楽しみです。
 
 鹿児島市内で桜島の見えるホテルで休み、23日の朝は、ジェットフォイル「トッピー」(鹿児島・指宿と、屋久島・種子島を結ぶ超高速の水中翼船)で種子島へ。何んと90分で西之表港着です。

 小学6年のとき初めて船に乗り鹿児島へ。父が外国航路の船乗りだったので、船長になりたい夢もあり、甲板ではしゃいでいました。船が佐多岬へ近づくと揺れ始め、気分が悪くなり後はひどい船酔いで、波静かな錦江湾に入っても寝たっきりでした。先頭の夢はあっという間に消え、船も大嫌いになりました。

 ブランコでもバスでも揺れる物は全部だめでした。24歳で自動車の免許を取得しましたが、自分で運転しながら車酔いになることもしばしばでした。鹿児島~種子島は船で5時間。しかし、ジェットフォイル・トッピーは90分。大好きな種子島行きです。

 種子島の思い出は、イエス・キリストとの出会いです。高校生の時、聖書の言葉に触れました。それがキリスト教の聖書のことばとは知らないままでしたが、感動したことを覚えています。

 二つともマタイの福音書でイエス様の言葉です。

 一つは、「16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」

 高校の講堂で鍼灸師の方の講演で、人の命の尊さは全世界よりも尊く重い存在であることを、目は見えないけれども目を輝かせてのお話でした。その日以来、戦争も人の命を殺める行為も絶対いけないことだと強く思い、平和憲法の国に生まれたことを誇りに思っています。

 もうひとつのことばは、「11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」です。

 放課後に教室で行われていたアルビン・ハモンド宣教師がいつも英語で読んでくれたことばでした。
 Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.

 それからしばらくしてアーメンと信じてバプテスマを受けクリスチャンになり、今年の11月24日で54年になります。クリスチャンは二つの誕生日を持ちます。日本国に生まれた9月2日、誕生が登録されて日本人として生きることができています。

 神の国に生まれて、命の書に名前を書かれ、永遠のいのちとともに天国の住人の保証。今日もまた天国の一日です。と感謝しつつ美しい国で生かされています。

 そのなつかしい原点のふるさと種子島へ。しかもアーメン。信じますと告白しバプテスマを受け、クリスチャンとして誕生した西之表キリスト教会で礼拝説教までさせていただけることは光栄です。

 自分が生まれた家はどこかもわからないくらい木が生い茂ってしまいましたが、霊の誕生の教会は今もなお輝く存在として活動を続けています。

 26日以降のブログに最近の種子島のレポートもできればと思っていますが・・・・。

 ブログは毎日更新しますが、パソコン持参の旅はまだなので、「わずか30秒の祈りが世界を変える」祈りのコラムを掲載します。

種子島では、シティホテルあらき 三連泊しております。祝福を祈ります。
 

マタイの福音書

 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

   


ふるさとは遠きにありて思うもの

2010-07-19 07:29:50 | Weblog
礼拝前、院長室に一冊の新本が・・・・、あれっと思い手にすると、神の意志 中村昭義句集

 上海で日本語学校教授として活躍中の教会員の第一句集でした。

 銀漢の横たふ佐渡に生まれけり

 高名な芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」を踏まえる。芭蕉の詠んだあの佐渡島で自分は生まれたのだという思いが力強くうたわれている。
 この句について私は、「上五から座五まで一気に言い下した語勢がこの句を勝れたものにしている」とかつて書いたことがある。(百鳥95年1月号)-大串章の序文。と帯にありました。

 ふるさとは遠きにありて思うものと言うことばがあります。句者は長いビジネスマン生活を終え、悠々自適の生活ができるのに、日中の懸け橋を願い上海で日本語教授として活躍中です。

 ちょうど帰国中で第一句集を謹呈されました。一気に438句を読み通し、教会員のすばらしい姿に感動しつつの梅雨明けの朝です。

 「句集名は、(神の意志てふ名のヨット沈みけり)に由来します。西宮のヨットハーバー近くの岩礁に破損した小型ヨットが打ち上げられていて、その船首にはっきりと、(GOD'S WILL)と書かれてあったのが印象駅で、素直に詠んでみました。

 世の中の良いことも悪いことも、何か偉大な力で動かされているという感覚は子どもの頃からあり、
最近、特に納得できるようになってきました」とあとがきに書かれています。

 多事多彩な教会員に囲まれ、聖書の言葉をそのまま、生きて働く神の力として語れる恵みに感謝しつつ、梅雨明けの青空が広がる、今日もまた天国の一日です!

 昨日は、句者は上海から礼拝に参加し、大阪エリムの礼拝にはアメリカケンタッキー州より、ブログ読んでおられる親子連れが参加。友あり遠方より来る。また楽しからずやの礼拝でした。

 21日から神学生や孫といっしょに九州伝道旅行です。23日には種子島へ行き、西之表キリスト教会で礼拝説教。十字架の救いを聞き、アーメン信じますとイエス・キリストを信じてバプテスマを受けた母教会です。

 歌えない、踊れない、無口の少年でしたが、同行する孫はバイオリン演奏で花を添えてくれます。句集の「神の意志」は、まるですべての歩みが神のみこころであることを証明するかのように、行く道を大きく輝かせてくれました。

ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな(石川啄木)

 種子島と聳え立つ宮之浦岳(屋久島)を思いつつ、ふるさと種子島の救いを祈り朝です。

ヘブル人への手紙

11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。


 

健やかに美しく生きる秘訣

2010-07-18 07:26:59 | Weblog
 今朝も早い目覚め。テレビ番組で平均睡眠時間7時間半の人は長生きすると聞いた。60代を過ぎると6時間でも良いとも話していた。梅雨明けの朝をさわやかにゆとりの一万歩の朝です。
 
 睡眠時間にしろ、健康食品や薬などでも、専門家のいろんな意見があり、いつも間にかそれがストレスとなり、否定的な考えに支配されているのが現代だと思う。

 六月は体調がすぐれず、頭など一度もいたくなかったのに、四週間ほどその痛みに悩まされ、人間ドッグに半日入り検査してもらった。

 幸い頭の痛さはその頃にはなくなり、原因も分からないまま頭皮の痛みだったのではと思っている。医者に見てもらわず薬もなしで、イエス様のお名前による祈りで直り、スッキリと元気で七月を迎え、今日もまた天国の一日です!

 自分の健康は、自分が思い願ったとおりに変化していくものです。人間ドッグで老化現象が進んでいることが分かり、様々なアドバイスをいただき感謝しているが、それをすべて実行したからと言ってどうなるものでもないし、あっあれ食べたから?食べなかったから?と毎日考えていたら、それこそストレスの塊になり、身体はそのままその考えを吸収してしまいます。

 それでもむちゃくちゃが良いというわけではありません。決心していることはアドバイスどおり甘い物(ケーキと饅頭)を控え、塩辛い者や濃い味付けの食生活を改善することぐらいは当たり前です。

 そのほかにもいろいろありますが、健康と美しさを手に入れるための秘訣は、考え方が(信じ方が)
身体の健康状態に反映されることを知ることです。それは食事制限や運動と同じほどか、それ以上に驚くほどの効果があります。

 自分は最高の健康を維持している!こんなに美しくすばらしい健康な身体、神様が住んでくださる家を与えられ嬉しい!神様。ありがとうございます。この身体を神の家としてくださったことを感謝します。聖書の書いてある通りです!信じます。アーメン。

 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。(コリント人への第一の手紙3章16-17節)

 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(6章19-20節)

 心と身体のつながりは、現代では医学的にも科学的にも、特に遺伝子や脳生理学的にも、明確にされています。

 信じるとおりになるとイエス様は教えましたが、現代科学はそれを証明し、だから神はいないのだなどと言い始めていますが、そんな高慢なサタン的考えに毒されないようにしましょう。

 あなたの信じるとおりになる、そんなことはないと言うかもしれませんが、その場合はまったく逆のことを信じ考えているだけだからです。うまくいかない。この病が治るはずがない。楽しくなんか生きられない!上げたらキリがないほどマイナスだけを考えているから、信じている結果が身体にも生活にも現れているのです。

 何を食べようとそれが健康で幸せな細胞に変えるだけでなく、不健康な思いを捨ててしまえば、何を食べてもすべてを健康に変える力が働き始めます。イエス様は毒を飲んでも害を受けないと保証しました。それは感謝して食べるから、健康を害するものは全部外へ処理されると言う意味でそうだと思います。

 だから使徒パウロは、しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。(ローマ書14章23節)と書いています。

 自分の身体を神の神殿だと受け入れ、身体は神聖なものだと尊敬すればするほど、この世の流行に流されないでバランスの良い健康を保つことができます。

 そう信じることによって、自分の身体と親しく健康的な関係を持つことができるようになり、自分の体をないがしろにしていた行動も食生活も変わってきます。

 信じていることが変わると必ず行動も変わります。聖書は、わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。(イザヤ書43章4-5節)と宣言しています。

 そればかりではなくその約束の言葉は、イエス・キリストの十字架により明確に証明されました。

 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ書8章32節)

 そのことを本気で信じるとき、あなたの霊も心も身体も、自然と人生を楽しむようになります。不安や罪責感、心配や恐れを呼び起こす古い考えを捨ててしまうと、あなたの遺伝子も脳も、身体全体の細胞も、愛なる神によって創造された元のバランスを取り戻して、神の神殿にふさわしい健康体にするための化学物質を創り始めるのです。

 あなたの信仰を健康でいたいと言う祈りに委ねるとき、病を引き起こす不健康な行動を変えることができるようになります。

 だから何を飲み何を食べようとそれは自分に勝手だと、バランスを崩した身体をそのまま暴飲暴食に委ねるのではありません。

 ありのままの自分を許容して、自分がいやされ健康であり、元気も良いと告白し始めると、もうひとつの変化が起こり始めるのです。それは行動が自分の体は神の神殿であり、自分が大切に守らなければならない。大切にしようという強い願い起こってきます。

 私はすばらしく健康です。今日もまた天国の一日です!ありがとうございます。素晴らしい健康が与えられました!感謝します。そう信じて告白を始めると、日々に変えられていく自分の健康を自然に行動が伴います。

 少し散歩でもしようかとか、食べすぎに注意しようとか・・・・いろいろと良い行動がスタートします。

 変化はゆっくりかもしれませんが、しかし確実に起こります。今までいつも恐れの中に生きていたり、自分の姿かたちにばかりこだわり、ダイエットの事ばかり考えていたりすることから解放されます。

 そのままの自分を丸ごと受け入れるすばらしい感謝が、当然のように自分の体を神に神殿として、大切にきれいにしたいという願いに変わり、気が付いたら見違えるような姿になっているでしょう。

 イエス・キリストを信じる人生は、自然にあるがままに健全に変えられて行くのです。アーメン。

コリント人への第二の手紙

3:15 今日まで、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

抒情と哀愁に満ちた竹久夢二美人画に囲まれて

2010-07-17 06:52:06 | Weblog
 昨日、栃木県日光オリーブの里2号館建設記念式に出席。

 外庭でのテープカットセレモニーもあり、雨ばかりの時期だったので、式の三日前から熱心な連鎖祈祷がささげられ、前夜の雨も上がり青空になりました。

 1982年に関東祈祷院としてスタート。東京浅草から2時間と便利で東京の諸教会の断食の祈りの場として用いられてきました。

 その頃、三日間の断食メッセージに招かれたこともあります。さまざまな経過を経て、2008年にムラサキスポーツ金山良夫会長が、祈りと確信の中で私財を投じ5000坪の敷を、日光オリーブの里として再出発しています。

 緑豊かな大自然に包まれ、きぬ川の清流にエゼキエルに見た幻の川を思い、四季折々に咲くひっそりと咲く野の花々、朝早くからの小鳥のさえずり、時折姿を見せる猿や野狐、夜空らに輝く散りばめるような星の輝き・・・・。

 特に敷地内に湧出した温泉は、癒しの湯として温泉地日光でも有名になるほど上質の湯だそうです。

 ログがかもしだす素晴しい雰囲気に包まれた男子内風呂と女子内風呂。

 林の間より渓谷を眺める事ができ、気分豊になれる男子露天風呂と女子露天風呂もあります。

泉質・効能
【泉質】アルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)【泉温】46.1度【効能】浴用の適応症:
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器・痔疾・冷え性・病後回復・疲労回復・健康増進
浴用の禁忌症:
急性疾患(特に熱がある場合)・高度の貧血・活動性の結核・悪性腫瘍・重い心臓病・呼吸不全・腎不全・出血性疾患・妊娠中(特に初期と末期)・その他一般に病勢進行中の疾患

 前日に新徳駅近くのホテルに宿をとり、約4キロほどをゆとりの一万歩で式典に行こうと思ったが、スーツで来たのとカバンの本が重い。朝の時間がたっぷりあるので、ホテルの近くをポスティングしながら祈りつつ歩く。

 ホテルから200歩の所に日光竹久夢二美術館があり、午前9時30分会館には少し早いが入場料850円で入館でき、大正浪漫テーマに抒情と哀愁に満ちた夢二の美人画に一人囲まれるながら鑑賞し、タクシーで式典会場に時間前に到着。

 3日間連鎖祈祷ではれ上がった炎天下の会場で、記念礼拝が始まり岸義紘牧師の簡潔で豊かなメッセージ。セレモニーでは理事長挨拶でオリーブの里についてのビジョンが語られ、3号館起工式も行われることが宣言されました。

 で白い手袋と黄金色の鋏を渡され、来賓らとともにテープカット。それからパーティに移り炎天下での2時間近く、座っているだけで汗が流れハンカチを頭に置いた姿がいっぱいの回収を見ながら、ペンテコステの日さながらに燃える炎の舌よ下れと祈りつつの式典参加でした。

 少し歩こうと歩き始めたら、東京まで帰るレクサスで王子まで送ってもらい、車中の語らいも楽しく快適でした。

 私財を投じて素晴らしいオリーブの里が見事に変身していく姿を見ながら、全国のクリスチャン事業家たちが、各県に祈りの家を建設することを願い祈りながらの新幹線でした。

歴代誌下  

7:12 すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

7:13 もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

7:15 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

7:16 今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
 

スイカを食べながら

2010-07-16 21:37:47 | Weblog
昨日と今日は日光市へ一泊で出かけ、ブログが書けなく今になりました。
 
 韓国に帰った神学生の青い鳥ブログを転載します。

スイカを食べながら

 お昼の時間に弟が実家に遊びに来ました。お昼を食べた後、スイカを食べながら、3ヶ月の空白を埋めるための話をしました。

 今まで形だけの信仰だった弟は、あるセミナーを通して、新しくイエス様に出会いました。

 異言も語れるようになり、教会の奉仕も積極的にしています。 弟は今年2回聖書通読を決心しました。

 6月が近づいていましたが、図書館で借りてきた本を読んでいて、なかなか聖書が進まなかったそうです。
 しかしとても不思議な事で聖書を、無事に1読することができました。

 それは図書館で借りた本が思わぬことで、返納期間が過ぎたからです。

 延長すればよかったのですが、返却日の朝まで覚えたことをきれいに忘れていたそうです。

 そして、本が見つからなかったり、CDが見つからなかったり、色々重なり結局40日間本を
借りることができなくなりました。その期間、聖書を読むことができました。

 弟の話を聞きながら、神様の不思議な導きを感じました。

 すべての偶然の裏には私たちの目には見えない、すばらしい神様の計画が隠されていることを、弟の話を聞きながらまた実感しました。

 美味しいスイカを食べながら、すばらしい神様を思い出しました。

 スイカは美味しいけれど、ダイエットの道はまた一歩遠くなっていく気がします。

箴言25:11 時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。

25:12 知恵のある叱責は、それを聞く者の耳にとって、金の耳輪、黄金の飾りのようだ。

25:13 忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。彼は主人の心を生き返らせる。

健康いコンサルタントからアドバイスを受ける

2010-07-15 05:29:01 | Weblog
 05年以来久しぶりに6月24日の人間ドッグでした。その報告書が届き、比べて見るとかなりチェックが多く驚きました。

 昨夕、健康コンサルタントに時間を取ってもらい、データをもとに具体的なアドバイスをいただき、今日も元気でまた天国の一日です!と、朝を迎えています。

 「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(サムエル記上15:22)

 人間ドッグに行っても検査するだけでなく、そのアドバイスに従い実行することの大切さを痛感する一時間でした。

食生活に注意。

サムエル記上23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。

ストレスからの解放

 自分ではストレスはないと思っていますが、ドッグの報告書では身体がストレスを感じているのが歴然だと指摘されました。

 出エジプト記20:8-11 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

 マルコの福音書6:31 そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。

 この夏の日々も動く続けです。今日も栃木県へ、来週は福岡県や鹿児島県、さらに種子島まで行きます。

 8月は大分県や宮崎県、さらにアフリカのケニアへ。

ヨハネの福音書14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

 イエス様の平安をいただきながらですが。ストレスを指摘されさらに今日も、「誰でも重荷を負って苦労している者は、わたしのところにきなさい。休ませてあげよう」イエス様にさらに委ねながら、今日もまた天国の一日です!

 今日はこれかから月一度の生駒朝祈会。東大阪エリムキリスト教会竹腰明人牧師が、「恐れることはない。わたしはあなたとともにいる」との聖書の言葉から、クリスチャンは大勇士です」と題して話してくれます。

 朝食は、なか卯のすだちうどんと美味しいあん蜜のデザート。私は今朝もあん蜜はカット。

イザヤ書

40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。



長いブログ・すだちうどん

2010-07-14 06:34:06 | Weblog
何を食べようかと思い煩うな。イエス様はそのように教えてくれました。また何を食べても良いとも聖書は教えています。

 と言うと反論もあろうかとも思います。

 旧約聖書レビ記では、食べてはいけない食物が列記されてあります。イスラエルの厳格なユダヤ人たち(ユダヤ教徒)は絶対にその禁止された食物を口にすることはありません。

 またプロテスタントでも聖書が禁じているからということで食べなかったり、肉食を禁じている団体もあります。

 どんな食物があるのでしょうか。
レビ記11:2 「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。

11:3 動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。

11:4 しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。

11:5 それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。

11:6 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。

11:7 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。

11:8 あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。

 ユダヤ人は豚を食べませんが、レビ記に律法により禁止されているから食べないのです。

 魚についても食べてはならない食物が規定されています。

11:9 水の中にいるすべてのもののうちで、次のものをあなたがたは食べてもよい。すなわち、海でも川でも、水の中にいるもので、ひれとうろこを持つものはすべて、食べてもよい。

11:10 しかし、海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。

11:11 これらはさらにあなたがたには忌むべきものとなるから、それらの肉を少しでも食べてはならない。またそれらの死体を忌むべきものとしなければならない。

11:12 水の中にいるもので、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。
 
 鳥にも規定があります

11:13 また、鳥のうちで次のものを忌むべきものとしなければならない。これらは忌むべきもので、食べてはならない。すなわち、はげわし、はげたか、黒はげたか、

11:14 とび、はやぶさの類、

11:15 烏の類全部、

11:16 だちょう、よたか、かもめ、たかの類、

11:17 ふくろう、う、みみずく、

11:18 白ふくろう、ペリカン、野がん、

11:19 こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもりなどである。

11:20 羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。

11:21 しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。

11:22 それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいなごの類、こおろぎの類、ばったの類である。

11:23 このほかの、羽があって群生し四つ足のあるものはみな、あなたがたには忌むべきものである。

 禁止されていないものでも食べたくもない者もありますが、旧約聖書では厳しく規定されており、それを食べれば律法違反で罪に定められ、永遠に救われなくなるという厳しい規定です。

 イエス・キリストの教えは、

マタイの福音書 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

 と言うおおらかな教えでした。その理由は

マルコの福音書7:18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。

7:19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。

7:20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。

7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、

7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、

7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

 特に、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、と言う大胆な宣言でした。と言ってもホウ酸団子は食べないほうが良いのは当たり前ですが・・・・。

 さらに使徒の働きにはこんな場面が出てきます。


10:9 その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時頃であった。

10:10 すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。

10:11 見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。

10:12 その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。

10:13 そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」という声が聞こえた。

10:14 しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」

10:15 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」

10:16 こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。

 「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」との新約聖書の宣言が、食物の律法から解放しました。

ローマ人への手紙14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。

14:16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。

14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。

14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。

14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。

14:22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。

14:23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。

さらに使徒パウロは宣言します。

コリント人への第一の手紙10:30 もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。

10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。


テモテへの第一の手紙 4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。

4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。

 新約聖書の光に照らすとき、あれはいけないこれは大丈夫という窮屈な食物への思い煩いから解放されます。

 特に食物の規定で、それを守らないと救われないと主張する教えには、十分気をつけて近づかないようにお願いします。

 神の国は飲食ではなく、義と平和と聖霊による喜びです。イエス・キリストの十字架と復活の福音を、アーメン信じますと受け入れるとき救われます。信じてバプテスマを受けてクリスチャンとなったら、すべてが恵みであり祝福人生をおおらかに生きていくことができるのです。

 とは言っても聖書の教えに反発して、何でも食べれるし毒を飲んでも大丈夫だからと、暴飲暴食の食生活は、健康に害を招きますから、良く考えて健康的に生き続けたいものです。

 今日もまた天国の一日です!と与えられた寿命を健康で生き抜き、安らかに天の御国へ凱旋したいものですね。

 明日(15日)の生駒朝祷会の食事に、昨夜集会の帰り道なか卯ですだちうどんを予約したことを書こうと思い脱線してしまいました。


出エジプト記 23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。

 
 

一歳の孫がホウ酸団子をたべて緊急入院

2010-07-13 06:02:41 | Weblog
 日曜日の夜、家に帰ると孫たちがいた。一番小さい一歳の男の子がいないので聞いてみると、救急車に乗って行ったとのこと。

 なんと遊んでいて部屋の隅に置いてあったホウ酸団子を食べていたという。もう半分ほど食べており、吐き出させることもできず救急車で・・・・。

 家内と孫たち3人で手をつなぎ弟孫ちゃんのために祈り、最後に2歳半がまだ言葉も十分でないが!!!アーメン!ありがとうございます。直りました。元気になりました!感謝しますと告白し、また元気に遊び続ける夜でした。

 救急車はやっと県立病院に、すぐ洗浄しましたがホウ酸団子の事例がないので、しばらく様子を見るため入院になりました。

 いまどきホウ酸団子?と思うかもしれませんが、生駒聖書学院は昔からゴキブリ退治のために、神学生の団子作りが恒例で、外側だけみるときれいなクッキーに見えます。

 孫が食べたと大騒ぎですが、ホウ酸団子と知らずにできまいたと袋に入れて渡されたので、あっクッキーをくれたのかと口に放り込んでしまいました。変な味?とすぐ吐き出し大笑いされたことがあります。

 その話を孫たちにして大丈夫だよ。イエス様は毒を飲んでも害を受けないと約束されたし、いまみんなで祈ったから元気になって帰ってくるよと、笑われながらのの夜でした。

 昨日、県立病院まで行くと顔を見るなり抱きついてきて、ママにバイバイと手を振ります。

 すっかり元気になり大丈夫でしたが、ホウ酸団子の影響がないかもう少し様子を見たほうが
良いかもとのことでした。

 幼い子どもがいると何が起こるか分からないものです。まだ這いまわり何でも口に入れてします幼子ですから、周りもしっかり気をつけてはいたのですが・・・・。まさかホウ酸団子とは、いまどき珍しいハプニングでした。


マルコの福音書7:18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。

7:19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。

7:20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。

7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、

7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、

7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」


16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

16:21 〔さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。〕

ワールドカップ・スペイン優勝の瞬間を観る!

2010-07-12 06:39:18 | Weblog
 昨夜は、堺の礼拝を終え帰宅。家が賑やかに電気も明るく、孫たちがいたのでパパが迎えに来ru
9時過ぎまで遊び相手になる。

 シャワーをしようとしたら少し長い電話が二つ。参議院選挙速報で早めに結果が出たのですぐに就寝。

 朝早い目覚めで歩こうと思ったが、ワールドカップはどうなったか?とテレビを・・・・なんと延長戦です!とのこと。延長戦後半11分、スペインがゴールを決め、ロスタイム終了とともにスペインの初優勝!

 スタジオを埋めた8万人余の大観衆の歓声の中、黄金のカップを手にして感動の選手たちとサポーターの熱狂する姿をテレビはまだ映している。

 南アフリカ共和国アムステルダムでのワールドカップ、世界中のサッカーファンが熱狂した一ヶ月でした。日本も16強になりいつの日にかワールドカップを制する日が来るだろうと思いつつ、スイッチオフの朝です。

 主よ。日本を大いに祝福してください。アーメン。ありがとうございます。日本の政治、経済、教育等、国民生活のすべてと平和憲法が大いに祝復されました!感謝します。

 今日もまた天国の一日です!

ローマ人への手紙

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
 

贈り物が届いていたのに気付かないまま

2010-07-11 06:53:17 | Weblog
 数ヶ月前メール便が届いた。前にムリな請求書が入っていたので、またかと思い転送しようとしたが、そのまま放っておいた。
 
 何とかしなくてはと開封したら、昨日紹介した「聖書に隠された成功法則」が著者からの手紙とともに出てきました。

 すばらしい贈呈本を知らないままとは言え、長い間そのままにしていた愚かさを恥じ、大急ぎで御礼状と天の虫けらを今朝早く速達にしました。

 ゆとりの一万歩を歩きながら、神様の大きな愛の贈り物を知らないままでいる日本の救いを祈りました。

 神様の大きな愛の贈り物は、ヨハネの福音書3章16節です。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」

 その贈り物は無条件で与えられています。アーメンと受け取る時、救われて永遠のいのちを持つことができます。ただアーメン信じますで受けることができる救いです。

 そんなにすばらしいプレゼントが人類に与えられているのに、まだ贈られていることにも気付かない方々が多くいます。

 気づいても無視したり、捨ててしまう場合もあります。どうぞ豊かな救いの時、恵みの時に愛なる神の大きな救いの贈り物を受けてください。

 アーメン。ありがとうございます。大きな愛のプレゼント、イエス・キリストの救いをお受けしました!感謝します。

ヨハネの第一の手紙

4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。

4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。

4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。