牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

初めてのラブレター

2010-07-06 06:47:45 | Weblog
 中学2年生の時、初めてラブレターをもらいました。恋心などまだないときの少年時代の幼い思い出です。

 中学生のころ、片道9キロも歩いて種子島の山の中から、港のある星原中学へただ一人で通いました。

 2年生の夏、町内の中学校合同の運動会があり、帰りは遅くなるので学生服をただ一人着用しての参加。選手たちはバスで往復なので、みんなは運動会で走る姿のままでしたが、帰りには雨が降りバスの中で隣に座っていた一年生女生徒が、寒さで震えていたので学生服をそっとかけて上げました。

 その日以来、その子に慕われましたが、何しろ話題の少ない田舎の事、服を掛けて上げたことが評判になり、なかなか話すこともできませんし、もともとこちらが無口ですから会っても何かを話すわけでもなく・・・・。

 そんなときこれ読んでと手紙を渡され、胸をときめかせながら山道を読みつつ歩いた、まだ愛も恋も分からない幼い少年時代をときどき思い出します。

 それは聖書は神様のラブレターですと聞いた日から強い印象になり、いまも変わることなく愛し続けてくださる方が、語りかけてくださる大きな恵みとなっています。

 たった一回だけの幼い手紙(ラブレターとは言えないかもしれませんが)で、何が書いてあったかも覚えていないけれども、甘い思い出として残っています。

 聖書はラブレターとは乱暴かもしれませんが、いつも神様からの手紙として、いやそれ以上に語りかけてくださる愛のことばとして受け止めるとき、生きていて力あることばに胸は弾みます。

 今年も後半に入りました。12月31日までの半年間をいままでにないような祝福に包まれて過ごしたいものです。その土台は愛してくださる神のことばにあります。

 特別にヤベツの祈りを毎日告白しましょうと、教会でも牧師会でも語りましたが、それは自分への可能性へのチャレンジです。

 ヤベツの祈りは旧約聖書の歴代誌上4章に書かれています。
4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた。

4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

 私を大いに祝福してください!アーメン。ありがとうございます。私は大いに祝福されました!感謝します。

私の地境(テリトリー&領域)を広げてください。アーメン。ありがとうございます!私の領域は広がりました!感謝します。

 御手が私とともにあってください。アーメン。ありがとうございます。御手が私とともにありました!感謝します。

 わざわいから遠ざけて私が苦しむことにないようにしてください。アーメン。ありがとうございます。わざわいから遠ざけられ苦しみませんでした!感謝します。

 そこで神は彼の願ったことをかなえられた。アーメン。ありがとうございます。私が根がたことがかなえられました!感謝します。


 今年の後半、私がのところに日本を大いに祝福してください!と、あるいは世界の国々や親しい人々、会社や学校の名前や嫌いな人の名前もいれて、真の神にヤベツのように叫び祈るなら、半年のうちに考えられない祝福を体験するでしょう。

 初めてもらったラブレターの感動のように、聖書のことばに胸ときめかせながら、今日もまた天国の一日です!

ヨブ記

42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。

42:11 こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、主が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。

42:12 主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。


ヨハネの第一の手紙

5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。