牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

祈りの答えはすばらしい!

2006-08-20 07:43:30 | Weblog
先日、素晴らしい祈りの答えの経験がメールで入りました。ひとりで喜ぶのはもったいないような想定外の答えだったので、ご紹介します。

 先生、昨日はとても感謝なことがありました!
以前、もしかしたらお話したかもしれませんが、4年ほど前に教会の一人の兄弟が「パーキンソン」にかかってしまいました。彼は希望教会の第2号の受洗者でした。教会にも私達夫婦にもよく仕えてくれて、よい関係にありました。

 ところが、7年ほど前、牧師と「職業」についての考え方が少しずれてきて結局、ある日を境に教会にまったく来られなくなりました。

これは私達にとっても他の教会員にとってもかなりショックな出来事でした。彼は模範的なクリスチャンだったからです。それでも祈り、また時々手紙も書いていました。

その後、仕事はうまくいかず、ストレスの中、「パーキンソン病」になっておられると他の教会員から聞いていました。

 結局去年春から、もう一度教会に来られるようになり、身体の障害がきついながらも毎週他の教会員の助けによって礼拝出席しています。

 今は仕事もまったくできませんので、昨年「障害者年金」の請求をしたそうですが、「不支給」の通知が来たそうです。

 他の人の薦めもあって「今年もう一度トライ」することにしました。インターネットで社会保険労務士さんを探し、この方を通じて様々なアドバイスをいただきながら、6月ようやく書類を提出できました。その間も神様の大きな恵みがあり、そして昨日社会保険労務士さんも予想して
いなかった「1級」の認定を受けることができたのです。
もちろん私達もびっくりですが、社労士さんも「この夏一番の朗報!」と言われるくらい、想定外の解決でした。

 「(障害年金が認められるための)診断書は、よほど患者の気持ちになってくれるドクターでないとむずかしく、もともとパーキンソン病、というのは障害年金受給が難しい病気」だそうです。
残念ながら彼の主治医のドクターも横柄?な先生らしく、すでに最初の段階で「壁」にぶち当たっていました。

 そんなとき、私がHPを検索していて、「16,7年前に鳥取大学の医学生方が、今、鳥取に来て「神経内科の先生」をしておられる、ことを知りました。
 彼も鳥取に戻ってきた際、ウチの教会を探してくれたそうですが、当時とは「名称」も「「場所」も変わっていたので、別の教会に通うようになったそうです。


 ですから彼の鳥取での活躍はまったく知りませんでした。HP上でドクターとしての彼の存在を知り、思い切ってその病院をたずねてみました。

 このドクターも「私は医者ですから、事実以上のことは書けませんが、できるだけ患者さんの立場にたってありのままの病状を診断書にしていきます」と診断書を作成してくださいました。
 そして社会保険労務士さんが、それにのっとって「書類」作成してくださり、(大変な作業のようでしたが)そうして、今回の「1級認定」の通知をいただくことになったのです。

 もちろん彼が癒されて、またお仕事も再開できることが、本人はもとより、教会の祈りであります。彼自身も「癒しの告白」を続けています。ですから、神様は今後さらにもっと良いことをしてくださることを期待しています。
 が、今回その取っ掛かり、として、「お金の心配」に対して、神様が「最上級の答え」をくださったことを心から感謝しているのです。ホントに私は昨日「大泣き」しました(笑)

その知らせを聞いた教会員もみんな大喜びです。もちろん、かなりプライベートな長くなってスミマセン...。あまりに嬉しかったものですからつい...。H・M

エペソ人への手紙

3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、
3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
  3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。





毎日、ゆとりの一万歩で2年10ヶ月目の朝

2006-08-19 08:26:37 | Weblog
99年に左脳内出血で倒れ、東京の病院に一ヶ月入院。幸いイエス様の守りと癒しの中で元気に回復。言語障害や歩行困難もなく、右腕に少しだけ痺れが残るだけです。

 03年に歩こうと決心し、「毎日ゆとりの一万歩!」をモットーにしました。いつでもどこでも、雨が降り雪が積もっても、晴れの日も台風が来ても、アフリカでも種子島などの旅先でも、一万歩は歩きました。

 03年はさいたまで真夜中に救急車で運ばれましたが、守られて翌日も元気で歩けました。

 05年は足を滑らせて真冬の小川に転落、右腕脱臼で山の中だったから家までずぶ濡れで帰宅。自分で救急車を呼んで大和郡山の病院に搬送され痛い思いをしました。入院した同じ病院から看護師の方が礼拝に出席(直接導いたのではないが)しています。

 アフリカのサバンナやマサイ族の中でも、ナイロビのような朝や夜が危険な都市ではホテルの廊下や階段を・・・。大阪へ出るときはできるだけ車を使わず歩け歩け・・・で、今日で2年と10ヶ月になりました。

 来週は種子島へ変えるのでふるさとの土地をシッカリ踏んで期待と思います。ブログに書いたり公に話すことにより、後ろに引けないようにしています。いつまで?歩くのか、最低10年くらいは毎日一万歩を歩いてみたいと思いながら、3年目の10月19日が次の目標です。

第一コリント人への手紙

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

 


ケニアのパラダイス孤児院で食堂建設中

2006-08-17 06:52:18 | Weblog
毎年7月はアフリカ行きで、今年で17年になりました。今週のクリスチャン新聞に、ケニアの市橋宣教師の記事が一面にあり、なつかしく読みました。

 1988年にケニア宣教に出かけてもう18年、写真だけ見ると顔も良く焼けてケニア人と変わりないほど。奥様はスワヒリ語の達人で、ケニア人よりもスワヒリ語が上手だと現地の人がビックリしていました。

 ケニア人の自立支援センターを作り、同時に幼稚園(高額所得者の子どもたち)も経営しています。大学でも教えており、すばらしいお働きを継続しています。

 私はケニアのキスムと言う都市近郊のマンブレオ村でパラダイス孤児院を支援しています。

 今年、孤児院のチャペルで説教中、変なにおいとともに煙がチャペルに充満?しました。神の臨在充満は歓迎ですが、匂いと煙に困りました。思わず今度は食堂を建設します!と、叫んでしまいました。大きな拍手。しまった!と思いましたが、神から出たことと信じて、食堂建設資金(と言っても50万円)を、来日中のパラダイス・スタッフに託しました。

 現在、建築中です。子どもたちが落ち着いて食事ができる場所を提供できたことに感謝しています。

イザヤ書

58:11 【主】は絶えず、あなたを導いて、
  焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、
  あなたの骨を強くする。
  あなたは、潤された園のようになり、
  水のかれない源のようになる。



さわやかな朝を歩く!

2006-08-16 06:38:13 | Weblog
日中は連日の猛暑です。高校野球、鹿児島が勝ったので、鹿児島出身はやはり嬉しいものです。

 朝の散歩でさわやかな秋風?を感じました。台風の影響もあるのでしょうが・・・。稲穂も出揃い黄金の実りの秋へと備えています。すずめがたくさんいる辺りの田んぼは網を張ったりで予防しています。実りの秋が台風から守られるよう祈りつつ歩いています。

 歩いていて感じることは、歩道がものすごく歩きにくいことです。そう思ったことはありませんか。車道は平面が平らかです。歩道部分は凹凸があったり、滑らかな部分が少ないように思います。生駒市の歩道だけでしょうか?

 日が上ると暑さがどっと押し寄せるような残暑です。暑さに負けない元気を!ハレルヤ。

イザヤ書

40:26 目を高く上げて、
  だれがこれらを創造したかを見よ。
  この方は、その万象を数えて呼び出し、
  一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。
  この方は精力に満ち、その力は強い。
  一つももれるものはない。

40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。
  イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
  「私の道は【主】に隠れ、
  私の正しい訴えは、
  私の神に見過ごしにされている」と。
40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。
  【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。
  疲れることなく、たゆむことなく、
  その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、
  精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、
  若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、
  鷲のように翼をかって上ることができる。
  走ってもたゆまず、歩いても疲れない。



終戦記念日と平和憲法

2006-08-15 08:02:53 | Weblog
憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 終戦から61年目の記念日です。

 首相がモーニング姿で参拝に向った車が到着したというニュースを聞きながら、ブログを書いています。

 恐らく平和を祈念するためだと会見で言うと思いますが、やはり日本国憲法の頂点にある首相は参拝をすべきではありません。

 イエス様のことばをお読みください。

マタイの福音書

23:29 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
23:30 『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。
23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
23:32 おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
23:35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。
23:36 まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。

 靖国は、国を安らかにするという意味ですが、戦争賛美の記念碑です。自分がその時代に生きていたら絶対戦争に賛成しなかったと多くの参拝者は言います。しかし、指導者は国益を優先すると言いながら、悪魔の戦争に加担するのです。次期首相も同じように考える人が選ばれるなら、日本は豊かな平和から悲惨な時代へと傾注して行きます。もっとも困らないのは指導者たちです。『剣を取る者は、剣に寄って滅びる」のです。

 日本であれアメリカであれ、イスラエルであれイスラムの国々であれ、中国や北朝鮮であれ『剣を取る者は剣によって滅びる」のです。例外はありません。人間の歴史が続く限り、戦争に正義はありません。指導者たちは正義による聖戦を主張します。しかし、人を殺すものは神の正義に反しますから、裁きを受けるのです。

 日本国憲法は人類の歴史の中で、もっともすばらしい平和憲法です。終戦記念の日、すべての国民が日本国憲法を読む必要があると思います。

 日本が世界に平和をもたらす国として神に選ばれた国であることに誇りを持ちたいものです。

第一テサロニケ人への手紙

5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。




大阪の最高36.6度の暑さを昨日は記録とのこと

2006-08-14 08:57:51 | Weblog
昨日、大阪は今年最高の36.6度を記録したとラジオのニュースが報じていました。きょうはもっと暑くなるそうです。

 一昨日、東大阪市内で40代の神官が熱中症で亡くなったと知らせがありました。まだ幼い子どもが4名もあります。子どもたちは教会が大好きで、日曜日は教会学校へ楽しみに通っています。お母さんも教会を訪れ楽しい交わりを持ったりしていました。また氏子代表の方も長年のラジオ放送の愛聴者で、神官に出会ったことはありませんが・・・。熱中症には気をつけたいものです。高校野球も燃えた試合が展開されています。くれぐれも熱中症には気をつけたいものです。

 朝のニュースで東京や神奈川が大停電。

 イギリスではテロ未遂で20名以上が逮捕。一昨日アメリカから子ども連れで帰国の日本人と結婚しているアメリカ人女性。大韓航空を利用し韓国で乗り継ぎだが、ものすごい厳しい検査。子どもの持ち物まで調べられ、さらに関空到着時もさらに厳しく取り調べられ、午後6時着だったのに、出てきたのは10時過ぎ・・・。出迎えの主人は理由も分からずやきもきでした。ぐったり疲れて帰り着いた奥様と子どもたちだったと話してくれました。

 世界中が混乱しています。三発目の核爆弾が投下されたら世界はもう終わるかもしれない、切羽詰った時代に突入している感です。

 明日は終戦記念日。首相は公約だから行くと息巻いている。歴史の重さを知らない、戦争や不和に輪をかけるかのような指導者たちの言動。神よ。日本をお守りくださいと祈ります。

詩篇

85:8 私は、【主】であられる神の仰せを聞きたい。
 主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、
 彼らを再び愚かさには戻されない。
85:9 まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。
 それは、栄光が私たちの国にとどまるためです。
85:10 恵みとまこととは、互いに出会い、
 義と平和とは、互いに口づけしています。
85:11 まことは地から生えいで、
 義は天から見おろしています。
85:12 まことに、【主】は、良いものを下さるので、
 私たちの国は、その産物を生じます。
85:13 義は、主の御前に先立って行き、
 主の足跡を道とします。
 







岩を砕く花

2006-08-13 06:45:39 | Weblog
岩を砕く花

エレミヤ23:29
わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。――主の御告げ。――

 アメリカのコロラドに州に、春一番に咲く「サクシフラージュ」という花がある。此花の根は、岩の小さな裂け目に深く入って、そこに種を植え付ける。その種はものすごい勢いで成長し、岩を砕いてしまう。こうしてこの花は岩から花を咲かせる。「サクシフラージュ」は、英語では「ロック・ブレーカー」、日本語では「岩を砕く花」という意味である。
 岩のような問題や試練に直面すれば、もうだめだと思ってしまいます。現実は確かに厳しく、不可能の山は動かないかに見える。神には不可能なことはない。不可能は挑戦となり可能となる神の手段である。
 自然の世界の、「サクシフラージュ」はそれを証明している。神を信じる人の心に、「生きていて力がある」神のことばが蒔かれる時、問題によって砕かれるのではなく、問題を砕く「ロック・ブレーカー」と変えられている自分に驚くことだろう。

イザヤ35:1-4
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。

35:2 盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。

35:3 弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。

35:4 心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」


聖書的教会観

2006-08-12 08:41:50 | Weblog
 昨日から生駒聖書学院チャペルで、エリム・グループの聖会が行われています。子どもたちは学院のホールで宿泊。大人の参加者はすぐ近くのふれあいセンターで宿泊している。

 ふれあいセンターは最初はモトクロスの遊び場だったが倒産。生駒市が買収市周辺の山も含めて憩いのセンターを始めました。風呂もあり食事もできる。遊び場やキャンプ場もあり夏休みは特ににぎわいます。

 聖会も同場所で行うつもりでしたが、歌うことが集会室では禁止と言うことで、礼拝は学院で行い宿泊だけになってしまいました。学院から車では10分以内。歩くと直線距離で昇れるので15分くらいです。宿泊者は必ず朝食をとするのが決まりなので、朝食後学院まで下りてきて朝の聖会です。

 聖会後の昼食はバーベキュー大会です。昼の暑さを心配する者もありましたが、今日は暑さはあっても曇り日なので感謝です。あまり先々の心配ばかりしなくてもいいのでは・・・。

 昨夜の講師のメッセージは、「聖書的教会観」-教会に対する健全な信仰ーでした。

 いただいたレジメより。

 私たちは教会を信じる。私たちはキリストを信じ、キリストに人生を捧げた一人ひとりのクリスチャンからなる、「キリストの愛によって堅く結び合わされた愛の共同体」であり、私たちは一つの家族であることを信じる。

 また、私たちは教会がキリストのからだを現し、キリストの御業を行い、神の栄光を現す、「生きたキリストの体」であり、私たち一人ひとりが、その体に不可欠な一つ一つの器官であることを信じる。

 神はこの時代、教会に最高の権威をお与えになり、教会を通してこの世界に働かさせることを信じる。

 私たちは教会を通して人々が救われ、家庭が回復され、地域社会が変革され、サタンの働きが打つ砕かれ、神の国がこの地に実現されることを信じる。

 教会はキリストが愛し、ご自身をお捧げになったキリストのであり、私たちはキリストご自身が教会を建て上げ、やがて栄光の教会として、これらを完成されることを信じる。

 私たちは教会こそがこの世界で最も重要なものであり、この世界の希望であり、私たちのすべてを捧げるに値するものであることを信じる。そして神の目には、世界中のすべての教会がひとつのキリストの体に属しており、私たちの教会はその一部分であることを信じる」

 上記のメッセージを力強く語られました。

ヨハネの福音書

13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」





残暑中、恵みの聖会

2006-08-11 08:38:40 | Weblog
 7日が立秋でした。暦の上では梅雨明け宣言が30日だたので、わずか8日間の夏。とは言っても夏であることに変わりはない。残暑より酷暑?と言ったほうがふさわしく、連日35度前後に気温が上がっている。

 甲子園では高校野球の熱闘が続いています。熱中症に気をつけて応援して欲しい!

 今日は午後6時30分よりエリムグループの夏の聖会。講師に遠州中央浜北教会より田中恒喜牧師が来られる。同時に子どもキャンプも小チャペルで一泊で行われ、近くから遠くから参加を楽しみにして参加する。

 明日は朝9時半から聖会。昼食はバーベキューとのこと。炎天下でどうやって食べるのだろうかと思うが、若い担当者たちは暑さより食べることに興味があるようだ。

 お昼は福山市からの参加家族と近くのレストランで接待の昼食。子どもたちがものすごく楽しみにしてやってくる。夜は講師接待の夕食。接待疲れにならないよう気をつけて食べることにしようと思っているが・・・。

 13日〔日〕午後2時半の大阪エリムの礼拝には、韓国から青年チームが20名参加し、歌や踊りのスペシャルを用意しているらしい。大阪エリム・キリスト教会は、大阪市浪速区恵美須西(JR新今宮駅東口より堺筋を北へ約3分。地下鉄御堂筋線・堺筋線や南海新今宮駅も近く交通至便の教会)にあります。楽しいひとときへご参加ください。

伝道者の書


  8:6 すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいが多いからだ。
8:7 何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。
8:8 風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。悪は悪の所有者を救いえない。
8:9 私はこのすべてを見て、日の下で行われるいっさいのわざ、人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた。
8:10 そこで、私は見た。悪者どもが葬られて、行くのを。しかし、正しい行いの者が、聖なる方の所を去り、そうして、町で忘れられるのを。これもまた、むなしい。
8:11 悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。
8:12 罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。
8:13 悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。
8:14 しかし、むなしいことが地上で行われている。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある。これもまた、むなしい、と私は言いたい。





生駒聖書学院紹介

2006-08-10 07:04:11 | Weblog
生駒聖書学院は1929年創立。牧師・宣教師・伝道師・牧師夫人養成の神学校です。全寮制が原則ですが、主婦の方たちにも聖書の学びや伝道の機会を提供するため、通学生も認めています。現在は5名の主婦が通学しています。

 それ以外は家族寮や男女別の寮があり、快適に3年間研鑽に励むことができます。起床は朝5時ですが、とってもさわやかに起きることができます。夏季休暇は2ヶ月あり、その間に学んだことを母教会や派遣教会で実践できます。

 9月4日に入学式と始業式が行われ、2学期がスタートします。ぜひ興味のあるお方は、願書等お申し込みください。

630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院事務局

電話 0743-74-7622 FAX.0743-74-9672

メール yoshiibc@yahoo.co.jp

イザヤ書

52:7 良い知らせを伝える者の足は
  山々の上にあって、なんと美しいことよ。
  平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
  救いを告げ知らせ、
  「あなたの神が王となる」と
  シオンに言う者の足は。
52:8 聞け。あなたの見張り人たちが、
  声を張り上げ、共に喜び歌っている。
  彼らは、【主】がシオンに帰られるのを、
  まのあたりに見るからだ。