牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

毎日、ゆとりの一万歩で2年10ヶ月目の朝

2006-08-19 08:26:37 | Weblog
99年に左脳内出血で倒れ、東京の病院に一ヶ月入院。幸いイエス様の守りと癒しの中で元気に回復。言語障害や歩行困難もなく、右腕に少しだけ痺れが残るだけです。

 03年に歩こうと決心し、「毎日ゆとりの一万歩!」をモットーにしました。いつでもどこでも、雨が降り雪が積もっても、晴れの日も台風が来ても、アフリカでも種子島などの旅先でも、一万歩は歩きました。

 03年はさいたまで真夜中に救急車で運ばれましたが、守られて翌日も元気で歩けました。

 05年は足を滑らせて真冬の小川に転落、右腕脱臼で山の中だったから家までずぶ濡れで帰宅。自分で救急車を呼んで大和郡山の病院に搬送され痛い思いをしました。入院した同じ病院から看護師の方が礼拝に出席(直接導いたのではないが)しています。

 アフリカのサバンナやマサイ族の中でも、ナイロビのような朝や夜が危険な都市ではホテルの廊下や階段を・・・。大阪へ出るときはできるだけ車を使わず歩け歩け・・・で、今日で2年と10ヶ月になりました。

 来週は種子島へ変えるのでふるさとの土地をシッカリ踏んで期待と思います。ブログに書いたり公に話すことにより、後ろに引けないようにしています。いつまで?歩くのか、最低10年くらいは毎日一万歩を歩いてみたいと思いながら、3年目の10月19日が次の目標です。

第一コリント人への手紙

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。