牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

終戦記念日と平和憲法

2006-08-15 08:02:53 | Weblog
憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 終戦から61年目の記念日です。

 首相がモーニング姿で参拝に向った車が到着したというニュースを聞きながら、ブログを書いています。

 恐らく平和を祈念するためだと会見で言うと思いますが、やはり日本国憲法の頂点にある首相は参拝をすべきではありません。

 イエス様のことばをお読みください。

マタイの福音書

23:29 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
23:30 『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。
23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
23:32 おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
23:35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。
23:36 まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。

 靖国は、国を安らかにするという意味ですが、戦争賛美の記念碑です。自分がその時代に生きていたら絶対戦争に賛成しなかったと多くの参拝者は言います。しかし、指導者は国益を優先すると言いながら、悪魔の戦争に加担するのです。次期首相も同じように考える人が選ばれるなら、日本は豊かな平和から悲惨な時代へと傾注して行きます。もっとも困らないのは指導者たちです。『剣を取る者は、剣に寄って滅びる」のです。

 日本であれアメリカであれ、イスラエルであれイスラムの国々であれ、中国や北朝鮮であれ『剣を取る者は剣によって滅びる」のです。例外はありません。人間の歴史が続く限り、戦争に正義はありません。指導者たちは正義による聖戦を主張します。しかし、人を殺すものは神の正義に反しますから、裁きを受けるのです。

 日本国憲法は人類の歴史の中で、もっともすばらしい平和憲法です。終戦記念の日、すべての国民が日本国憲法を読む必要があると思います。

 日本が世界に平和をもたらす国として神に選ばれた国であることに誇りを持ちたいものです。

第一テサロニケ人への手紙

5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。