牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

故郷を思う日々

2006-08-30 08:31:25 | Weblog
 故郷があることはなつかしいものです。わずか2泊の滞在でしたが、種子島ですごすことができました。

 父は外国航路の船乗りでした。船を下りて自分の故郷である徳之島に帰りました。そこで出合った共産主義者と息統合し、村政改革などを主張しました。満州事変の始まる直前で、思想的取締りは厳しく、父の友人は警察署長でお前に手錠をかけることは忍びないからと、種子島移住の道を開いてくれました。

 父が移住したのは種子島の真ん中当り〔今新空港が完成した近く)で、西之表市中割生姜山と言う小さな集落でした。そこには大正3年の桜島大噴火で家を失った方たちが開拓村として割り当てられた土地で、甑島の人々も移住していました。

 やせた土地にしがみつくように暮らす山の中、30個ほどの個数でしたが鴻峰小学校は生姜山にあり、周辺の集落〔十六番・万葉・砂中・千段の峰・十三番・十八番〕から通学でした。

 唱和23年入学時は49名の一年生。生姜山からは3名だけでした。桜吹雪の散る門を母に連れられて入学したことを思い出します。今は、その桜木も本数も減り、昔の面影はありません。校舎も建て直され、生徒数は過去5年間ゼロ。でも閉校にはならず休校で2年後に入学する子どもを待っています。引っ越したらどうするのだろうと、余計な心配をしてしまします。

 過疎がこれほど進むとはだれも予想していなかったのではと思います。それでも新空港もできたのだから、少しは増えるのではと言う期待があるのかもしれません。しかし、西之表市内から車で30分、中種子町の中心地からは15分、南種子からも40分くらいですから、わざわざ空港の近くに住む人もいないかもしれません。

 ともかく田舎、コンビニも食堂もなく都会生活になれた者には不便そのもの。空港に小さなレストランとラウンジがあるだけでもほとおしました。

 それでも故郷は故郷、幼馴染の、あの川、この山、だれか故郷をしのばざる!と口ずさみつつ・・・。なつかしさの種子島でした。

詩篇

84:1 万軍の【主】。あなたのお住まいは
 なんと、慕わしいことでしょう。
84:2 私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って
 絶え入るばかりです。
 私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
84:3 雀さえも、住みかを見つけました。
 つばめも、ひなを入れる巣、
 あなたの祭壇を見つけました。
 万軍の【主】。私の王、私の神よ。
84:4 なんと幸いなことでしょう。
 あなたの家に住む人たちは。
 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 セラ
84:5 なんと幸いなことでしょう。
 その力が、あなたにあり、
 その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。
 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
84:7 彼らは、力から力へと進み、
 シオンにおいて、神の御前に現れます。

84:8 万軍の神、【主】よ。
 私の祈りを聞いてください。
 ヤコブの神よ。耳を傾けてください。 セラ
84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。
 あなたに油そそがれた者の顔に
 目を注いでください。

84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は
 千日にまさります。
 私は悪の天幕に住むよりは
 むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
84:11 まことに、神なる【主】は太陽です。盾です。
 【主】は恵みと栄光を授け、
 正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。
84:12 万軍の【主】よ。
 なんと幸いなことでしょう。
 あなたに信頼するその人は。