狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

小学生読書感想文から

2006-10-16 09:17:49 | 反戦基地
町教育委員会生涯学習課主導で、町小中学校生徒による「読書感想文コンクール」が、開かれ、表彰することになった。読書離れをくいとようと、町の教育行政の一環で、来年は、対象を、小中学校生徒から一般社会人にまで広げようとしているようだ。
今年ははじめての試みで、最優秀賞、優秀賞、優良賞の審査に(審査委員は
殆ど学校教職員、O,B)小生も一般人として、その末席を穢す光栄に浴した。
目下審査中であり、公表することはどうかと思うけれど、
戦争の感想文が出てきたので、審査とは無関係にブログに書き留める。
審査依頼対象は小学3年生分が14点、4年生分が14点あわせて28点。まだ読み終えたのは(ワードに書き取っている)3編だけで、そのなかの1篇である。(小学校3年作品)

 >昭和十五年の東京。本所たて川三丁目、いまのすみ田区、中根かよ子が住んでいる町。五だいつづいた、つりざお作りの「さお忠」。
はたらきものの父ちゃん、やさしい母ちゃん、しっかりもののおばあちゃん、長男の大兄ちゃん、次男の竹兄ちゃん、三男きい兄ちゃんとわたしという大家族。母ちゃんは、今おなかに赤ちゃんがいます。きょうは、十月六日、わたしの八才のたんじょうび。おばあちゃんたちがスキヤキをつくってくれて、丸いちゃぶ台のまん中で、グツグツ音をたてておいしそうです。みんながおいわいをしてくれました。
 年があけて、昭和十六年になり、お母さんが男の子をうみ、こうのすけと名づけました。この年の四月、小学校は「こくみん学校」と名前がかわりわたしは、2年生になりました。十二月十二月八日、とうとうせんそうがはじまりました。たいへいようせんそうです。
三年目を迎えたたいへいようせんそうは、日ごとにはげしさをまし、日本の空にも、B-29があらわれ、けいかいけいほうや、くうしゅうけいほうがなりひびき、せんそう一色になりました。ぼう空えん習、ぼう火くん錬、空には、日本のせんとうきがいさましくとんでいます、そういうほんとうにこわいせんそうが、その年の八月十五日までつづき、終せんです。日本はせんそうにまけました。
父ちゃんや母ちゃん、弟もこのせんそうでしんでしまい、のこったのは、私ときい兄さんだけです。そして東京はやけ野原です。がんばって生きていくしかありません。
わたしはこの本をよんで、せんそうというものは、ほんとうにこわいいやなかなしい思いがします。これからは、そのようなせんそうをしないように、へいわなくにであるようにおねがいします。
今は食べ物もたくさんあり、きるものにもふじゆうしません。そして、おもちゃや、あそぶものもたくさんあります。せんそうのときの食べものもきるものもない生活や、親たちが死んでしまったつらいせいかつを思うと、なにもむだには、できないと思います。今の、しあわせなせいかつは、きっとあのこわいせんそうがあったからかもしれません。
わたしの町には、海ぐんさんの、いれいひがあります。おぼんのときに、家族で行ってきました。
わたしたちは、がんばっていきていきます。みまもっていてください。