狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

敵アメリカはかう言ってゐるぞ!

2006-10-07 21:26:50 | 反戦基地

戦時中の雑誌にブログタイトル『敵アメリカはかう言ってゐるぞ!』のような記事がある。雑誌名不詳 筆者無署名(19年12月号とだけあり)=復録版昭和大雑誌戦中編(流動出版)
戦争末期は、新聞も雑誌も、例外なくこのような考え方、内容記事であった。学校は(小学校[国民学校と改称]から大学[ボクは大學に行かないから不詳だが…]まで挙国一致鬼畜米英、日本神国なりのスローガン一色であったのだ。

敵のほざく戦後日本処分案
○直接東京に通ずる道は多数あるが、われわれはその一つをもなおざりにしないであろう。もし日本から和を乞うならばその唯一の条件はカサブランカの宣言条件たる『無条件降伏』である。われわれは先ず悪辣野蛮なる戦争指導者に充分の天罰と応報を下すであろう(ルーズベルト)

○日本を占領したら、戦争に直接関係した者を手始めに、科学者も報道関係者も全部死刑にしてしまへ。働ける男は奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使うのだ。
女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまふ。かくして日本人の血を絶やしてしまへ。

○日本本土に上陸したら、虐殺競技(コンクール)をやらう。女は別である。女については自らの道がある。子供には『奴隷としての教育』を施すのだ。アメリカ人の鞭の痛さを身に沁みさせておかぬと将来が面白くない。
できる限り粗末な襤褸を纏わせ、跣足で歩かせる。そして思いきり酷使するのだ、耐え切れぬ者は死んだ方がいい。こうして生き残った者こそ、牛馬に等しい従順さと労働力を具えた理想的な奴隷となるであろう。

○小猿も放っておけば親猿になる。日本の子供は不具にするに限る。眼を抉ったり、耳を聾にしたり、片腕を片足を切り取ったり、ありとあらゆる形の不具を作るのだ。こうした動物の如き子供らが街頭を右往左往するのは実に面白い観物であろう。
(略)
『アメリカ人ほど口に人道を唱える国はなく、アメリカ人ほど非人道的な国民はない』ということは、世界中の心ある人は誰でも知っている。しかも彼らは厚顔に紳士の仮面を被り続けて来た。その仮面を、今や自らの手で剥ぎ取り、彼らが神も許し給わぬ〝人類の敵〟なる事を、余すところなくわれわれに知らせてくれたのだ。

 よくぞ知らせてくれた。世界無比の尊厳なる国体を持つ日本は、清らかな血に高貴なる道徳を伝えて来た日本人は、この悪虐非道に対して、神奮えに奮え立つばかりだ。
 この世界の害獣共の非望に何を以って応うべきか。それはお互い日本人1億の肚の底にある。恐らく神の御心にもあるであろう。
                   19年12月号

 戦争中、アメリカではどのような教育をしたのか、新聞の論調、文化人たちの発言行動等はどうだったのか、正直言って全く判らないけれど、ボクは戦後矢継ぎ早に刊行された、D・キーンの著作に釘付けになってしまっている。日本人が恥ずかしかった。

日本との出会い ドナルド・キーン 篠田一士訳から引用
>ハワイ勤務中に得た一番強烈な思い出は、通訳した日本軍の捕虜にまつわるものである。
作戦終了ごとに少数の捕虜が捕らえられた――アッツの時はたった十七人、タラワの時もあまり変わらなかった。多くのものは捕らえられた時意識がなかったにもかかわらず、捕虜になったことは無上の恥で、祖国を裏切ったのだと思いこんでいた。あるものはつかまってから自殺を試みたし、大部分の連中は決して日本へは戻れないと決めていた。しかし、しばらくたつと何人かの捕虜は考えをあらためて、捕虜になってもよい待遇を受けられるということを保証して、絶望的な状態にある他の日本兵の命を救いたいというようになった。

終戦近くになると、抵抗は無益だとさとってすすんで投降するものがだんだん多くなった。軍国主義者の政策に愛想をつかして、日本を徹底的壊滅から救うためなら喜んで何でもするというものもいた。尋問をはじめる前に私たちは、英国の情報将校がドイツの捕虜を尋問するやり方をフィルムで見せてもらった。

尋問する将校は、煙草をすすめたり、微笑を浮かべたりしてまず雰囲気をやわらげ、自分と捕虜の間に、何らかのつながりをつくろうとした。たとえばハイデルベルグの生活はたのしかったなあといった風にである。それからゆるりゆるりと、また遠まわしに軍事的重要事項に触れてゆく。こうして少しづつその捕虜が機密を洩らすようにし向けていくのである。

しかし日本の捕虜についてはそうした気づかいは無意がなかった。日本人は断じて捕虜になるなと命じられている。たとえ不本意にしろこの命令にそむいたというその事実が、日本人としての資格を剥奪されたことを意味していた。その結果、尋問官から巧妙にそそのかされるまでもなく、彼らはたいてい、知っていることはすべて自分からしゃべり出した。