狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

10月10日

2006-10-10 16:43:39 | 日録

起床5時なり。ご近所のお葬式の手伝いで、2日間を費やし、ブログ更新を疎かにした。今日もまだ、落ち着かぬ。とりあえず昨日の日の出を貼り付けておいた。
新聞休刊日。ふだん新聞を見る時間に、それほど時間をウエートを置いていないが、新聞がないとこれもまた面白からからざる朝である。

テレビは、北朝鮮の核実験実施に伴うニュース特集を組んでいるようである。
オレは国際問題は疎い。安倍内閣もそれほどの期待感はない。

とりあえず、今日は過去の日記の10月10日に焦点を当ててみた。やはりこの季節はいつも死没者が多いようだ。

平成14年(2002年)日記より。
10月10日 
組内Y家葬儀。8時半ごろ集落センターへ行く。皆集まっていて俺が最後だった。生椎茸を入れた大袋が3袋も置いてあった。今は椎茸の季節なので、Yさんの裏山には椎茸栽培の原木に採りきれないほど、椎茸が出ているのだそうだ。今日の料理に使うのに持ってきたのだろうけれど、すごい嵩だった。

葬儀での組合側のほとんどの手配はYN君が仕切った。式次第は、従来両隣が長老格の人の意見を聞きながら進めていたものだが、今はすべて葬儀屋任せで済むので、人に相談するような難題はなく、時折従来の例から飛び出すこともあるのだが、自然な流れになって準備が進んでいくのである。

9時ごろ式場にあたるT寺に向かう。混み合うと思って寺入り口の大通りに車を停めた。
式場は、すでに葬儀屋が設営してしまって、郷の人たちを振舞う場所のテーブルを並べ替えて手直しをして、藁でたいまつを作ったり、竹を切って六道の辻の蝋燭立ての足を作り始めたが、葬具屋が万端用品が揃えて持ってきた。計算機からメモ帳、大小の輪ゴムまで。

今日のY家の告別式は花輪も内飾りも少なく、こじんまりとした印象を受けた。
祭壇を設けた客殿は俺が行ったときは、まだ戸が閉まっていて、周りの窓はカーテンも開けてなかった。中に入るとカビ臭いような異臭があった。

組合でも複雑に考える人は誰もおらず、YN君が万事手際よくことを進めていくので、俺はほとんどやることもなかった。そして参列者が少なかったことも、帳場を預かる側にとっては幸いであった。
本当に忙しいのは僅か10分ぐらいの間だけであった。組合を除いた参列者は○○人を割った。
香典は○○万円弱(正確には、香料○○万円、花輪代○○万円  計○百○万円であった。参列者と遺体を載せたバスが火葬斎場に向かって間もなく、YN君と俺で、香典の集計は終わってしまった。○千円の誤差があった。帳面より、現金の額が少なかったのである。

1時ごろ集落センターに戻って握り飯の昼食をした。
その後何回も香典帳、札束の勘定をしたが、どうしても○千円の差額は埋まらなかった。

【参考】
       御寺納
1、法礼           ○万円
1、布施           ○万円
1、上物志納金       ○万円
1、御血脈授与志納金   ○万円
1、火葬諷経布施      ○万円 
1、通夜諷誦経布施    ○万円
1、七日諷誦経布施    ○万円
1、客殿使用恩金      ○万円
計            ○○○○円であった。

客殿使用料を書いた別の「客殿使用の栞」みたいなものが一緒に寺から預かってあったので、○万円を別にして支払って(お納めして)きたら、客殿使用恩金がそれで、お返しする旨の電話があったので、俺が頂きにT寺に出向いたら,住職は作業衣になって剪定鋏を携えで玄関口に佇っていた。坊さんの出幕は5時頃という打ち合わせである。
集落センターでは親戚連中の忌中払いは大広間の方で、我々は座敷を二部屋仕切りをはずして組合の宴席を作った。坊さんのここで忌中払いと、酒宴となるのだが、親戚の方が終わらないと始まれない。5時というのは、親戚の方の宴席の時間に余裕を持たせた設定だった積りであったが、その通りになってしまった。

4年前の葬儀と、7日のお葬式では、全く変わった。全部葬儀屋任せである。
大変な費用だと思う。互助会加入勧誘の電話が時折あって、すべて無視してきた。しかし考えさせられる昨今である。