今改めて思う。
卓球をやってよかった。
スポーツを始めてよかった。
脊髄を損傷し車椅子生活となって、それまでの目標も生活も人生設計すらも変更せざるを得なくなり、その先の自分自身の可能性を見出せない、後の人生は惰性となるのかななんてネガティブに思う瞬間もあった。
でも、6年前に卓球を始める。
まず初めに目標ができた。
気持ちがしっかりと前を向いたのだ。
そして、それを達成するための努力を始めた。
さらに、その努力をどのようにすべきか、より効率よくやるにはどうすれば良いかと頭を働かせるようになった。
色々な情報を仕入れ、あちこちへと足を運び、様々な方にお会いし、その姿を見て、学び、また協力を得て、どうあるべきか、どう進むべきかも考えるようになった。
例えそれが自分なりでしかなくても、頭と身体を働かせ、自分を成長させることが出来ている。
そうしていくうちに、足し算が掛け算になるように、人との出会いがどんどん増えていって、僕は素晴らしい方々に奇跡的とも言えるような出会いを賜われている。
結果的に、自分自身の可能性がどんどん伸びている。広がっている。
それは現在進行形。
ひとつの可能性を頭打ち状態まで上り詰め、そこでさらに上へと駆け上がるための別の可能性を追う。
多分、可能性を細分化し、小さくても達成感を繰り返し得ることで、僕は心身共に力を得ているのかもしれない。
逆に大局的な見方をすることも必要だし、それが僕も課題なのかもしれない。
そうした気づきや可能性を繰り返しを僕に与えてくれるのが卓球。スポーツなのだ。
人に出会って、可能性を感じ、チャンスをいただき、トライし、すぐに達成できなくても目標通過点やゴールまでの道程を楽しめていて、それは共に楽しんでくれる方々の存在や恩恵もあるのだけれど、それがまた結果的に新たな可能性を生み、さらに大きなモチベーションを生んでくれるのだ。
僕は卓球というスポーツを大いに楽しめている。
だから、人生をものすごく楽しめている。
幸せなのだ。
だから、もっともっと頑張ろうと思える。
世界中に僕と同じクラスの選手がいて、みんな毎日努力を積み重ねているのはよく分かる。
その彼らの原動力となっているのは様々だと思う。
生活の為、お金の為、あるいは名誉の為という選手も少なくはないはず。
だってそれがプロだから。
その点僕はちょっと違っている。
あえて本音を言えば、自分の為かもしれない(笑)
だって、それが楽しいから。
一度は失いかけた自分の可能性を、それまでとは全然違った方向で実感させてくれて、多くの方々との出会いも与えてくれて、それが更に可能性を大きくしてくれて、努力する楽しみや喜びを教えてくれて、過去の自分に自慢できる今の自分を生み出してくれる。
それが僕にとっての卓球。
そんなモチベーションでやってる選手がどれくらいいるのだろう?
海外の選手を思い浮かべた時に、「あぁあいつはもしかしたらそうかもしれない」と思える選手もいなくはない。
でも、僕ほど強いものではないだろう。
なぜそう思う?
だって、目は口以上にものをいうから。
目を見れば想像はつく。
僕はお陰様で企業のサポートを賜り、コーチをはじめ関係するみなさんの恩恵も受け、さらには応援してくれるみなさんの支えもあり、毎日の活動を楽しく行わせて頂いている。
でもそれは最初から楽しい道を選んだわけではない。
結果的に楽しめているだけ。
それは僕の特技でもあるのだけれど、
今現在大いに楽しめている僕だけど、技術力が上がるとその楽しみは、これまた足し算ではなく掛け算で増していく。
そうすると、僕を見る周囲の目が変わり、取り巻く環境も変わっていく。
応援してもらうというのはそういうことだと思う。
先日出場した一般の試合を見た方々から、多くの声を頂いた。
「すごかったですね!」
「頑張ってるんですね!」
「今度ぜひお手合わせ願いますよ!」
「一緒に打ちましょうよ!」
そして、「応援してます!」
勝敗ではなく試合の内容がそういう声を生んだのだ。
まさに技術の向上の結果。
自分で言うのはなにか変な感じだけど(笑)
でもそれがさらにいいスパイラルを生む。
回転数が増していく。
そんな自分をものすごく楽しめている。
楽しみそのものが大きなモチベーションとなっている。
さぁ、いよいよ試合が近づいてきた。
技術はまだまだ。
戦術もまだまだ。
でも、心はかなり強いぞ、と(笑)
枝葉はまだまだ育ってはいないけれど、根っこは太く大きく強いのが今の僕。
幹も立派に育ちつつある。
さぁ、行こう!
品行方正、正々堂々、威風堂々、挑む!
卓球をやってよかった。
スポーツを始めてよかった。
脊髄を損傷し車椅子生活となって、それまでの目標も生活も人生設計すらも変更せざるを得なくなり、その先の自分自身の可能性を見出せない、後の人生は惰性となるのかななんてネガティブに思う瞬間もあった。
でも、6年前に卓球を始める。
まず初めに目標ができた。
気持ちがしっかりと前を向いたのだ。
そして、それを達成するための努力を始めた。
さらに、その努力をどのようにすべきか、より効率よくやるにはどうすれば良いかと頭を働かせるようになった。
色々な情報を仕入れ、あちこちへと足を運び、様々な方にお会いし、その姿を見て、学び、また協力を得て、どうあるべきか、どう進むべきかも考えるようになった。
例えそれが自分なりでしかなくても、頭と身体を働かせ、自分を成長させることが出来ている。
そうしていくうちに、足し算が掛け算になるように、人との出会いがどんどん増えていって、僕は素晴らしい方々に奇跡的とも言えるような出会いを賜われている。
結果的に、自分自身の可能性がどんどん伸びている。広がっている。
それは現在進行形。
ひとつの可能性を頭打ち状態まで上り詰め、そこでさらに上へと駆け上がるための別の可能性を追う。
多分、可能性を細分化し、小さくても達成感を繰り返し得ることで、僕は心身共に力を得ているのかもしれない。
逆に大局的な見方をすることも必要だし、それが僕も課題なのかもしれない。
そうした気づきや可能性を繰り返しを僕に与えてくれるのが卓球。スポーツなのだ。
人に出会って、可能性を感じ、チャンスをいただき、トライし、すぐに達成できなくても目標通過点やゴールまでの道程を楽しめていて、それは共に楽しんでくれる方々の存在や恩恵もあるのだけれど、それがまた結果的に新たな可能性を生み、さらに大きなモチベーションを生んでくれるのだ。
僕は卓球というスポーツを大いに楽しめている。
だから、人生をものすごく楽しめている。
幸せなのだ。
だから、もっともっと頑張ろうと思える。
世界中に僕と同じクラスの選手がいて、みんな毎日努力を積み重ねているのはよく分かる。
その彼らの原動力となっているのは様々だと思う。
生活の為、お金の為、あるいは名誉の為という選手も少なくはないはず。
だってそれがプロだから。
その点僕はちょっと違っている。
あえて本音を言えば、自分の為かもしれない(笑)
だって、それが楽しいから。
一度は失いかけた自分の可能性を、それまでとは全然違った方向で実感させてくれて、多くの方々との出会いも与えてくれて、それが更に可能性を大きくしてくれて、努力する楽しみや喜びを教えてくれて、過去の自分に自慢できる今の自分を生み出してくれる。
それが僕にとっての卓球。
そんなモチベーションでやってる選手がどれくらいいるのだろう?
海外の選手を思い浮かべた時に、「あぁあいつはもしかしたらそうかもしれない」と思える選手もいなくはない。
でも、僕ほど強いものではないだろう。
なぜそう思う?
だって、目は口以上にものをいうから。
目を見れば想像はつく。
僕はお陰様で企業のサポートを賜り、コーチをはじめ関係するみなさんの恩恵も受け、さらには応援してくれるみなさんの支えもあり、毎日の活動を楽しく行わせて頂いている。
でもそれは最初から楽しい道を選んだわけではない。
結果的に楽しめているだけ。
それは僕の特技でもあるのだけれど、
今現在大いに楽しめている僕だけど、技術力が上がるとその楽しみは、これまた足し算ではなく掛け算で増していく。
そうすると、僕を見る周囲の目が変わり、取り巻く環境も変わっていく。
応援してもらうというのはそういうことだと思う。
先日出場した一般の試合を見た方々から、多くの声を頂いた。
「すごかったですね!」
「頑張ってるんですね!」
「今度ぜひお手合わせ願いますよ!」
「一緒に打ちましょうよ!」
そして、「応援してます!」
勝敗ではなく試合の内容がそういう声を生んだのだ。
まさに技術の向上の結果。
自分で言うのはなにか変な感じだけど(笑)
でもそれがさらにいいスパイラルを生む。
回転数が増していく。
そんな自分をものすごく楽しめている。
楽しみそのものが大きなモチベーションとなっている。
さぁ、いよいよ試合が近づいてきた。
技術はまだまだ。
戦術もまだまだ。
でも、心はかなり強いぞ、と(笑)
枝葉はまだまだ育ってはいないけれど、根っこは太く大きく強いのが今の僕。
幹も立派に育ちつつある。
さぁ、行こう!
品行方正、正々堂々、威風堂々、挑む!
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