車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

三つ子の魂なんちゃら

2015年10月11日 01時26分32秒 | 日記
まじめに練習をやっていると今まで分からなかったことが分かってくる。

見えなかったことが見えてくる。

理解できなかったことが紐解けてくる。



僕は中学高校の頃に卓球部だった。

特に中学は全然強い学校じゃなかった。

でも一生懸命取り組んだ。

顧問の先生もそれほど専属的にコーチングしてくれるわけでもないから、半ば独学的に勉強した。

世界のトップ選手のビデオを繰り返し見ては真似をして、そこからイメージを膨らませて練習していた。

その甲斐あってか地元強豪校の先生からも一目置いてもらっていたらしい。

本当かどうかわからないけど(笑)

その時は本当に頑張ってた。

一人でも黙々と練習も勉強もしてた。



でも高校卒業以来ラケットは握らなかった。

20年以上のブランクがあった。



それが今になって僕のフォームだとか打ち方とか、良くも悪くも「癖」みたいなものは中学の時に身につけたもの、その当時意識して身につけようとしていたものであることが最近になってようやく理解できた。

それは技術的には決して間違ったものではない。

でも健常者の技術なのだ。

それはフットワークを伴った技術であって、車椅子の今の僕には決して相応しいというか効率の良い方法ではないことだとようやく理解できた。



「一般の卓球と車椅子の卓球は違う」



というのは方々でよく耳にする言葉。

でも僕は「車椅子で一般の卓球をやりたい!」と強く考えていた。

それは今でも変わらない。

だけどそれは裏を返せば車椅子である自分自身を理解しきれていないとも言えるのかもしれない。

例えるなら、身長が140cmしかないのに180cmの人と同じプレーをしようとしているようなもの。

自身の体格、フィジカルに合わせたプレーがあって然りなのに、自分がただやりたいことを無我夢中でやるだけ。

勝負の世界はそんなに甘くはないでしょう。



自分の身体にふさわしいプレーをする。

それを見出す。

かといって人と同じことをやってちゃだめだ。

二番煎じで勝てるほど勝負の世界は甘くはない。

だからやはり練習あるのみ。



だけど今回自分自身をまた新たに理解することが出来てよかった。

これからの方向性というか自分に何が必要なのかをより具体的に知り得た感があるけど、でもそれ以上に嬉しかったことは中学の頃に独学で勉強していたことは間違ってはいなかったということ、それが今になっても自然と出てくるくらいに身に着いていた、自分のものにしていたということ。

それが何よりも自信につながる。



車椅子となった今の僕にはそのフットワークを必要とするプレーが自然と出てくるのは悪い癖と言える。

それを修正するのはむしろ遠回りなこととも言える。

でも、自分には昔取った杵柄が存在すると言うことがすごく嬉しい。



だから、これからもしっかり頑張っていこうと思いました。



海外の選手は毎日一生懸命に頑張っている。

やつらに勝つためには同じ程度の努力じゃ足りない。

この思いを胸に、明日からまた頑張ります。

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