車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

自分を理解する

2021年11月09日 21時14分35秒 | 日記
はたして、自分のことを客観視して理解出来ているだろうか?

簡単なようでなかなか難しい。

いや、なかなかではなく「かなり」難しい。

知っている、分かっている「つもり」なだけで、実は全然理解できていないと思う。

自分以外の人のことだったら、「どんな人か」「どういう印象か」を他の人と話すことで確認し合えるのに(結果的にそれが噂話や陰口にもつながるからリスクは高い)。

でも自分自身のことを人に聞いたところで、それはその人の個人的な意見であり、10人いればきっとその意見はみんなそれぞれ違っていて、どれが正解で、あるいは少数派の意見なのかその程度では確証は持てない。

だからといって接する人全員に聞いて回るもの変な話だし、そもそも聞いたところで率直に、正直に、思っていることを話してくれるとは限らない。

だってそこにはお互いの立場や人間関係が存在するから少なからずの気遣いや忖度が生じるものだと思うから。

だから、実は自分が自分のことを案外一番理解できていないものなのかもしれない。

そう練習中に気づかされる。



だからこそ逆に、自分を理解出来た時、自分の現在地を認識出来た時、それはとてつもないプラスを生むと思う。

自分を認識しているからこそ、変化にも気づける。

変化に気づけば、その方向性を正すことも出来るし、簡単に成功体験を得ることも出来る。

それが良い方向へ向かっているものであれば、すなわち「成長」の実感が出来たことになるから。

その実感は心を豊かにする。モチベーションになる。

それは何もメンタルなどスピリチュアルなものに限らずフィジカル(物理的なもの)に対しても同様だと思う。



成長とは何でも一足飛びに出来るものではなくて、理想は日進月歩でありグラフにすれば右肩上がりの線を辿る形なのだけれどなかなかそう上手くいくものでもなく、頑張っても頑張っても積み重なるものはほんのわずかで、グラフだと横一直線の水平ラインという時期も少なくない。さらにはいざとなった時にはまだ足りていないという現実を思い知らされ、苦悩や挫折と僅かな手ごたえがさざ波のように繰り返し繰り返し静かに、時に激しく打ち寄せてくるのが現実。

でも、それでもその僅かな手ごたえを糧として頑張り続けたその先に成長という成功が存在するのだと思う。

その僅かな手ごたえを自覚できるかどうか、それこそが自分を理解出来ているかどうかだと思う。



「自分自身の理解の仕方」

なんてのはきっと人それぞれだから絶対の答えも無く、専門家に聞いてもすぐに答えが分かるものでもないだろうし、結局のところは自分で考え続けるしかないものだと思う。

でもそういうことってどこかの本に答えが書いてあるわけでもないから、考えても考えても明確な答え、正解が見いだせるものではない。

けれど、分からないことでも考え続けることである時ふと「あ!」と気づく瞬間があると思っている。

それが何年先になるのかは分からないし、もしかしたら一生分からないままかもしれない。

だけど考え続けなければ分からない。

考えるから分かるものであり、考え続けるからこそ分かるのだ。

それってごく僅かずつ積み重なっていくもので、それもまた成長のステップとなるのだと思う。

だから、「考える」ということもまた努力の積み重ねと同じことなのかもしれない。

ただ、「考える」ことと「考えてもらう」ことは全く別の話。

答えを見出すことが大切なのではなくて、考えるという行為そのものに価値があるのだと思う。

今は答えを見つけやすい環境が出来ているので、だからこそ考えるかどうかが道を大きく分けるような気がする。

そもそも、考えることに物理的コストは発生しない。

必要なのは時間だけ。

しいて言えば、他に必要なのは脳のエネルギーとなるブドウ糖くらいか(笑)

大切なのは自分を理解出来るかどうかではなく、理解しようとするかどうかであり、チャレンジすること、行動することなのだと思う。

結果は行動に起因するものだし。

子供の頃にも父からそういったことを教えられたのを覚えている。

考えるから見えてくるものがある。分かるものがある。

その中に「自分」というものがあるのだと思う。

たった一度の人生で、自分を理解しないままその生涯を終えるのはものすごく残念なこと。もったいないと思う。僕は人一倍貧乏性だから(笑)



僕自身、まだまだこれっぽっちも自分を理解出来ていない。

自分が進みたい道が、その方向が、自分に相応しいものなのか分からないし、それが効率の良い安全な道なのかどうかも分からない。

でも、進む。

きっと、人類が、あるいは人が人になる前、ホモサピエンス以前の頃かもしれないけど、アフリカ大陸で誕生したといわれる人類の祖先がユーラシア大陸をあちこちに進んで、各地で生活圏を築き文化を育んできた訳だけど、その旅路にはきっと道は無かったはず。先導してくれる「人」もヤタガラス(笑)もいなかったと思う。

思うままに自分の足で進んだ結果の世界を、その延長線上を僕らは生きている。

だから、その血を受け継ぐものとして、僕も進んでいきたい。

道なき道を。

なんて言うとかっこいいなぁ(笑)

とにかく、強く生きるために、健やかに生きるために、自分を理解したい。知りたい。

なんてふと考える。



どうした?何かあった?大丈夫か?(笑)

いや、全然大丈夫、何もない。

ただただ練習中に「自分を分かってないなぁ」と思っただけ(笑)

まだまだ道のりは長い。

歩く(車椅子だけどw)、そして、前に進む。

その為に何が必要か、体力やそれを生むエネルギーや、装備もそうだし人を含む何かしらのサポートなども含め、そうしたものを的確に判断するためにはそれこそまさに自分を理解していなければならない。

よし、今日も考え続けて頑張っていこう。

なんて言ってるとコーチから「ほら!集中して!」と叱られる(笑)

中々思うようにいかないのもまた我が人生かな(笑)

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