車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

我思う、故に我あり

2020年10月16日 21時11分00秒 | 日記

以前、元全日本女子監督から教わったことが僕の心には刻まれている。

卓球において練習時間と成績をグラフに表すと、それは必ずしも比例して右斜め上に上がっていくものではなく、水平と垂直を繰り返す階段状になる、ということだった。

練習しても練習しても、成績は一向に上がらない。

それはつまり横ばいが続くという状態。

ところが、ある時突然それが急に、上に向かってグインと大きく伸びる、そういう時があるというのだ。

でもそれが止まって、またそこから横ばいが続いて、それでも頑張り続けているとある時また上に伸びる。そしてまた止まって・・・を繰り返す、それが卓球です、ということだった。

その話を聞いた時、「あぁその通りだ」と思った。

その元監督がどういう指導を行い、どういう選手を育てられたかという話も、僕は多方面から色々聞かせてもらってはいたので、より明確に、その言葉が深く理解できたし、僕の中に浸透してきた。


いや、それは何も卓球に限ったことではない。


僕が思うに、それは人生におけるほぼ全てにおいて当てはまることだと思う。

その角度は別として、一見すると右斜め上に綺麗に上がっている線でも、近寄って見てみると案外それは小刻みにギザギザと階段上に上がっていっているものだと思う。

スポーツでも勉強でもビジネスでも、ある意味恋愛においても、人生のほぼ全てにおいてそれは当てはまるものだと思う。

比例して真っ直ぐ斜めに上がっていくものがあるとすれば、それは筋トレくらいしか僕は思いつかないな。

成長というか人生というのはきっとそういうものなのだ。

不本意ながら右水平方向へ進んでいたのが、突然90度上を向いて進み出す。

そこにはもしかしたら誰かの、何かしらの外的要因が加わったから、なんてことが大いにあり得るだろうし、直接的な力でなくても、きっかけを与えてもらうとか、むしろそうした自分以外の力が必要不可欠だったりもするのかもしれない。

だけど、それはあくまでも偶然の結果でしかないとも考える。

普段からそれを求めて活動するのは本末転倒であり、まさに「他力本願」という日本に古くからある言葉で言い表せるから。

大切なことは、水平にしか進めていない時でも、腐らずに、歯を食いしばって頑張れるかどうか、頑張り続けられるかどうか、そこだと思う。


そもそも、水平を保つということ自体がもしかしたら凄いことなのかもしれない。

何もしなければ下り坂となるはず。

だって、競争相手はみんな頑張っているのだから。

それに地球には重力があるし(笑)

結果的に水平状態であっても、それはある意味評価に値するものとも言えると思う。

でも、そこで満足してたらそれ以上はない。


「上を向いて歩こう」

という名曲があるけれど、上に向かって進めるやつは上を向いているやつだけ。

上を向いているからそっちへの進み方が見えてくるのだ。

曲の内容とはちょっと違うか(笑)


練習と成績。

僕の場合、成績というのは試合の結果でしかない。

その試合が全くない今、成績の示しようがないし、そうなると、グラフ自体が成立しないことになる。


それでも腐らずに、上を向いてやる。やり続ける。


成績の示しようがないから、今はどれだけ頑張っても水平線をたどるだけ。

それでもやり続けるのだ。元監督の「上に向かって大きく伸びる」という言葉を胸に。


卓球というのは必ずしも上手い人が勝つ、強い人が勝つというものではない。

唯一言えることは「11点先に取ったほうが勝つ」ということ。

どれだけ技術があったって、フィジカルが優れていたって、センスがあったって、頭が良くたって、メンタルが良くたって、その全部が揃っていたって、11点先に取らなきゃ勝てないし、先の取れるかどうかは蓋を開けて見なけりゃ分からない。たった1本のミスが大きなうねりになることだってよくあることだし。


そういう競技で成績を上げる為に、じゃぁ自分がどう活動していくのか、積み重ねていくのか、絶対の答えは無いだろうから、考えて考えて考え抜いて、でもふと思い立った時にはフレキシブルに修正して、そうしながらまた積み重ねて・・・を繰り返していくしかない。


成績という結果は後からしかついて来ないのだから。

まだまだ練習が必要だな。

早く試合もしたい。

でも今は仕方ない。

社会の一員として、するべき選択と行うべき行動に気をつけよう。

その中でも出来ることはたくさんあるのだから。


人は人、自分は自分、見ている方向へと進むべき道を、信念を持ってしっかり前進あるのみ。