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GOCCIのオトコヲミガク旅(w)

旅行記や、日常の面白い、或いはキレイなモノの写真を中心に
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えっ「オーストリア」が「オーストリー」に!?

2006年11月20日 | ニュースと「オトコヲミガク旅(w)」

えっ「オーストリア」が「オーストリー」に!?



今年の夏に
「男を磨く旅」「オーストリア・ウィーン」に行ってきました。

4度目のヨーロッパで、
ドイツ(フランクフルト等) チェコ(プラハ)ルーマニア(ブカレスト)オーストリア(ウィーン)の順に周って来たんですが、プラハとウィーンは特に良かったです。

ウィーンは
「モーッアルト誕生250年」ですごく盛り上がってたし、世界遺産の街並はとても美しかったです。






 

国名の表記の件ですが、昼間のYAHOO投票ではほぼ互角でチョット
「オーストリー」がリードっていう感じでした。

自分的にはやはり聞きなれた
「オーストリア」がしっくり来ますね。国名表記変更の理由が「オーストラリア」と間違えられる事が多いからとの事。

確かに
「1字違い」なので紛らわしいのは分かるけど、大使館に間違えてゆく人が多いって言うのも同じ「日本人」としてちょっと情けないような気がします。







オーストリーと呼んで オーストリア大使「オーストラリアと混同」 

■「定着していない」…戸惑う外務省
「オーストリアではなくオーストリーと呼んでください」。欧州の伝統国オーストリアの駐日大使館が「日本語表音表記の変更」を発表した。豪州のオーストラリアとの混同を避けるというのが理由だが、外務省も「まだ定着していない」としており、あまりに唐突な発表に戸惑いの声が上がっている。(大野正利)発表文はペーター・モーザー駐日オーストリア大使とエルンスト・ラーシャン同大使館商務参事官名で大使館のホームページに出された。まず「日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており、違いを明確にするため」と変更の目的を明記。続いて日本では19世紀から昭和20年まで「オウストリ」と表記されていた史実が列挙され、「(今後は)『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれている。あまりに突然な変更だが、この「オーストリー」の表記、日本人になじみ深いことも事実だ。国内初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」(明治6年発行)で同国は「ヲウストリ」とされ、翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝された。第一次大戦までは英独仏露と並ぶ欧州五大国の一員だったこともあり、文明開化後、富国強兵を目指した日本にとって、あこがれの存在でもあった。オーストリー帝国は第一次大戦での敗戦により解体され、ドイツ人地域で共和国化。第二次大戦前にはナチス・ドイツに併合されこともあり、同大戦後は永世中立国として再出発した。激動の20世紀にもまれ、冷戦時は東西の接点の役割も果たしていたが、近年の欧州連合(EU)加盟などにより中立色が薄れ、その後は欧州の一員としての性格を強めている。英語読みの「オーストリア」が主流となったのは第二次大戦後。ここから南半球の大国「オーストラリア」と混同する日本人が増え始めた。最近では、東京・元麻布の同国大使館に間違って訪問する人のために、オーストラリア大使館(東京・三田)への道順を記した地図を用意するほど。かつての大国が直面しているのは、こうした現実だった。同国関係者はすでに「オーストリー」と刷られた名刺を使うなどかなりの意気込み。その半面、「いつ変わったのか」「どちらの表記を使えばいいのか」といった問い合わせも寄せられ、混乱の感は否めない。平成15年に「スロヴェニア」を「スロベニア」、「チェッコ」を「チェコ」、「サイプロス」を「キプロス」に変更したばかりの外務省は「オーストリア大使館が発表しただけで、まだ定着していませんので…」と態度を決めかねている。(産経新聞) - 11月20日8時0分更新





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