気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その10 「さかなや隠居と大洗ホテルです!!」

2015年03月16日 | 大洗巡礼記

 「しゅんさい」での夕食を終え、宿の「さかなや隠居」に戻りました。商店街街路からの外観を撮影するナガシマさん。
(写真撮影 オカアキさん) 


 部屋は、私が毎回泊まっている二階の一号室の「妙花」で八畳間でした。一人で泊まると広すぎるのですが、三人で泊まって布団を敷いてもまだ余裕がありました。上画像は翌朝に撮りました。晩は一人ずつ順番に風呂に入り、部屋でそれぞれに寛ぎました。
 夜も色々語り合って楽しみましょう、ということで、夜のお菓子や飲み物などをナガシマさんと大洗漁港のファミリーマートまで自転車で買い出しに行きましたが、その時のナガシマさんはなぜか楽しそうに風をきっておられて、夜の闇の中でもその雰囲気がよく伝わってきました。よっぽど自転車に乗るのが楽しいんだなあ、と思いました。ナガシマさんの自転車趣味の深さが感じられました。

 それで、ナガシマさんに自転車についての見解を書いていただきました。
「大洗を自転車で走ったのは初めてでした。チョット風が強い時もありましたが、晴天で良かったです。
移動もスムーズでしたね!(^_^)

 ぼくは普段、趣味の自転車(自分の身体に合うように調整した)を乗っています。レンタサイクルはあまり乗りたくありませんでしたが、なかなか快適でした。
 年寄りの繰り言みたいになってしまいますが、ホシノさんもオカアキさんも車道を走ったり歩道を走ったり、右側を逆走したりとアララ?と言う感じでした(^O^;)

 大洗は比較的車道が広く(歩道も広い)、割りと自転車向きでした。

 あまりツベコベ言いたくありませんが、自転車は本来車両(クルマ)なので、車道を走るべきです。日本のほとんどの歩道は「自転車も可」なので、歩道を走っても構わないのですが、もし歩道で歩行者相手に事故を起こすと、自転車が100%悪くなります。過失相殺はされません。自転車は本来車道を走らねばならず、歩道では歩行者を優先させなければならないからです。
 これが浸透していれば、歩道を無灯火でしかも携帯を見ながら片手運転、あるいはものすごいスピードで爆走なんて出来ないハズなのです。何か死傷事故が起こって警察や保険屋が出てきて、ペナルティー(弁償)の事になると、知ってようが知らぬまいが厳然たるコレが出て来ます。
 自転車に乗る人はほとんどは保険に入っていないでしょうから、もし未来ある若者を殺してしまったりすると、人生終わってしまうでしょう。

 ぼくも馬鹿ではないので、何時如何なる時も自転車は車道!とは言いません。
 車道に路側帯がない・大型車(交通量)が多い・路駐が多いなど、自転車が走るに適さない道路はあまたあります。その場合は無理をせず自分の安全の為に歩道を走るべきです。歩道も走っていいわけですから。臨機応変に振る舞うのが利口です。ただしその場合は歩行者優先・スピードは控えめにです!

 何故歩道を走ると危ないかは、車道を走っているクルマから認知されにくいからもあります。
 こないだ走った大洗の道路は、優勝パレードのコースのように、ガードレール、街路樹、ポストなど、車道を走るクルマから歩道が目隠しになるような物があまりありませんでした。殺風景なんですが、この方が自転車・クルマ双方にとって安全です。

 ところがこれがたくさんある道路ですと、クルマを運転する方はわかると思いますが、左折する時に同一の進行方向の自転車を認知出来ません。自転車も大概は自分の右方向から来るクルマを警戒していません。認知した時は遅い場合があります。
 しかも夜間、雨降り、自転車が無灯火だったりすると、危険度はかなり増します(まるでロシアンルーレットのようになります)。
 これがもし、自転車が車道を走っていたらどうでしょう。クルマは自転車を「邪魔だな」と思うかも知れませんが、自転車を"認知"出来るので、突然現れるという事にはなりません。
 クルマの側から考えても、一番困るのは歩道を走ったり車道を走ったり、周りを確認しない、もちろん手信号なんて出さない、何をやらかすかわからないラグビーボールのような自転車です。

 ぼくは15年以上、趣味の自転車で通勤していますので、自転車のサバイバル?に関してはもっと言いたい事がありますが、大洗からハズレてしまうので、このへんにしようと思います。
 訪洗の際にレンタサイクルを借りるのであれば、また榎澤さんで借りる事でしょう。
 まいわいのあのシステムは理解不能ですね(^O^;)」


 そうして夜は買ってきたコーヒーやお菓子などを食べつつ、風呂上がりのひとときを語らって楽しみました。ナガシマさんはリニア建設による自然破壊の懸念や、映画フューリーの感想などを熱く語り、映画に関しては見ない方がいいかもしれませんよ、と言いました。もちろん私もあまり興味が無いので見ませんが、ミリタリーにも造詣が深くて戦争映画に詳しいナガシマさんがそう言うからには、一癖も二癖もある個性的な映画なのでしょう・・・。
 オカアキさんは、疲れたのか先に床についていました。それで私たちもやがて消灯して布団に入ったのですが、それからでも一時間余り小声で語り合っていました。普段の電話でも長々と語り合って楽しんでいるため、深夜の語らいに違和感はありませんでした。ナガシマさんとはいろんなテーマで盛り上がるので、会えば語らいが短時間で終わるわけが無いのです・・・。
 そのおかげで、朝食時間の7時半になっても、依然として爆睡中のナガシマさんでした。


 なんとかナガシマさんにも起きてもらい、少し遅れて一階の平成魚松で三人揃っての朝食をいただきました。一人の時よりも豪華なメニューなので感動していると、女将さんが「一人でお泊りの時とはちょっと違うでしょ」と笑いながら汁物を並べ、ナガシマさん用に特別に揃えたメニューのベーコンエッグのミニ鍋に着火してくれました。
 オカアキさんとホシノの御飯は、この日は鯛の炊き込み御飯でした。仲間たちといただく朝食は、ことのほか美味しかったです。
(写真撮影 ナガシマさん)


 オカアキさんとナガシマさんの二人は、食後も色々語り合っていました。ホシノは一足先にロビーへ移動して新聞で天気予報をチェックし、バスと電車の時刻を再確認しました。お二人の会話はその後も続き、部屋に戻ってからものんびり過ごしていたため、この日の予定も変更が必要となりました。


 当初の計画では朝食後すぐに出発して大洗駅へ移動、となっていましたが、一時間余り遅れて出たので、列車の時刻も一時間ほどずらしました。それまでの時間をオカアキさんおすすめのスタンプラリーにあてることにしました。


 スタンプラリー二日目の最初は、宿の向かいにある「茨城県信用組合」にあるスタンプでした。日曜日なので窓口は閉鎖されていましたが、ATMコーナーは稼働しているので、そこの一角にスタンプも設置されていました。ここにあったのか、とスタンプを見下ろすホシノでした。デザインは設置キャラクターパネルと同じ小山柚子でした。
(写真撮影 オカアキさん)


 次に向かったスタンプ設置場所は、大洗ホテルでした。自転車移動だから楽に来られました。ナガシマさんは以前に家族旅行でここに泊まったそうですが、ホシノはまだ泊まったことがありません。
 ダルそうな冷泉麻子のパネルは健在で、他に私服姿のあんこうチームのパネルもありました。


 早速スタンプを見つけて一番に押すオカアキさん。この人は本当にスタンプラリーが好きなんだなあ、と改めて感じました。
 そういえば、前回の昨秋の同道時には「秋山優花里の大洗ガイド大作戦」のクイズスタンプラリーを一緒に楽しみましたが、ホシノが「間違ってもいいや」と適当に押していたのに対し、オカアキさんは真剣に考えつつ慎重に押していましたっけ。


 で、ホシノもスタンプを押しました。デザインはもちろん冷泉麻子でした。ナガシマさんがカメラを向けてきたので、そのスタンプを持ったまま、適当にポーズをとりました。
(写真撮影 ナガシマさん)

 大洗でのスタンプラリーも既に何度目かになっていますが、ここで不思議に思ったのは、もともと観光地であるのに、その種の記念スタンプがほとんど見当たらない、ということでした。観光スポットも幾つかあるので、それをデザインしたスタンプがどこかに置いてあっても良さそうなものですが、街中で見かけるのはガルパン関係ばかりです。この点一つとっても、大洗というのは観光地らしくない観光地だなあ、と思います。

 ですが、後日になって、3月より観光地デザインのスタンプが設置されると聞きました。それすらガルパン要素が入っていて、大洗の有名な観光地の景色と対戦校チームの隊長たちがデザインされているそうです。この点にはちょっとガッカリしました。もう、大洗はガルパンと切り離しては考えられない地域になってしまったのかな、と思います。 (続く)

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黒森峰女学園チーム戦車のキット (その三)

2015年03月15日 | ガルパン模型制作記
 黒森峰女学園チーム戦車のキットに関する簡単な紹介の三回目です。ここではヤークトティーガー、エレファント、マウスを紹介しましょう。


 プラッツの公式キットのヤークトティーガーです。ガルパン仲間のN氏に頂いたキットの一つで、そのまま組めば、黒森峰女学園の車輛の姿にて仕上がります。細かい修正点もあまり無く、劇中車が元のドラゴンキットを参考にしたのではないかと思います。ヤークトティーガーの足回りはポルシェ式懸架装置とヘンシェル式懸架装置の二種類がありますが、劇中車のそれはティーガーⅡと同じなので、ヘンシェル式であることが分かります。

 ガルパン公式キットは、従来より劇中車との相違が多すぎるとの批判が多いようですが、このヤークトティーガーおよびⅢ号戦車J型の二つのキットは、批判をさんざん浴びた後にプラッツがリリースしたものです。そのせいか、慎重に元キットも検討して転用し、相違点や修正点があまり出ないように配慮したあとがうかがえます。最初からこういう姿勢で製品を販売していれば、ああいうことにならなかったのだろうと思います。


 これが、公式キットの元になったドラゴンの製品です。劇中車に合わせて転輪と履帯をティーガーⅡのヘンシェル式のパーツへと変更し、ガルパンデカールを添えたのが公式キットです。また劇中車はワイヤーを付けていませんが、この元キットには金属製のワイヤーパーツが付属します。


 ヤークトティーガーのキットは、タミヤからも発売されています。ほぼ劇中車に近いので、このキットで作るのも良いでしょう。この場合は、劇中車に合わせて予備履帯やワイヤーなどを省略するのが、追加工作のメインとなります。
 いずれにせよ、ヤークトティーガーのキットはドラゴンもタミヤもあまり変わりませんので、好きな方を選んで買うのが良いでしょう。タミヤのキットで作る場合、モデルカステンのガルパンデカールセットも調達する必要があります。


 次はエレファントです。上図はタミヤのキットです。転輪を除けば劇中車とあまり相違点がなく、ガルパン仕様への追加工作や小改造も簡単なものばかりです。前部フェンダー前部のカット、車体前面の雨樋先端の曲げ加工、車体後部の突起の並びの修正、不要モールドの削り取り、等です。最も手間がかかるのが、車体上面のベンチレーターの囲み板の向きの変更でしょうか。


 エレファントは公式キットが出ていませんが、それはドラゴンの上図のキットが劇中車と異なるツィメリットコーティング付きであるからでしょう。それ以外はほぼ劇中車の状態で、車体後部の突起の並びも同じです。タミヤキットでは改造をせまられる車体上面のベンチレーターの囲み板も、別パーツになっているので、向きの変更も簡単です。
 なので、ツィメリットコーティングを削り取ることさえ出来れば、このキットの方が劇中車の再現には適していると思います。


 最後は、マウスです。これはプラッツの公式キットです。ドラゴンの元キットをほぼそのまま踏襲し、ドイツ兵のフィギュアを省き、ガルパンデカールを添えた内容です。
 キット自体はそのまま組んでも劇中車とほとんど変わらないので、組み立ては楽な方ですが、塗装の方は迷彩なので大変です。迷彩パターンと配色を、公式設定資料図などを参考にして仕上げることになりましょう。


 これが公式キットの元になった、ドラゴンのキットです。マウスは巨大な戦車というだけで、外見上の凹凸感が余り無くてメリハリには乏しいため、模型としての迫力は、迷彩塗装の出来にかかっています。

 大洗の店舗などに寄贈されているマウスも、他の戦車に比べると印象が地味で、ただ大きいだけの脇役といった感があるに過ぎませんでした。それで、なかには派手な色に塗装したり、ガルパンデカールのキャラクターの方を貼って痛車風に仕上げている作品もありました。

 以上、黒森峰女学園チーム戦車のキットに関して、私なりの簡単な紹介を述べました。皆様もそれぞれに9輌の戦車を作って、自身なりのパンツァー・リートを胸中に響かせてみてはいかがでしょうか。

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黒森峰女学園 パンターG型 作ります!! その2

2015年03月14日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6では、背面パネルの各部品を取り付けます。ステップ7では、車体上部前面のペリスコープをつけ、左の操縦手用ハッチ、右の無線手用ハッチを組み立てます。
 ガルパン仕様への追加工作は、ステップ6で二つ、ステップ7で一つあります。


 上掲の図は、公式設定資料の背面画像を拡大したものです。ステップ6におけるガルパン仕様への二つの工作ポイントは、拡大しないと分かりにくいからです。


 一つ目は、後部牽引フックの内側の穴あき突起が無いことです。実在の車輛の牽引フックは前後とも穴あき突起が内側に付きますが、劇中車では後部のもののみ穴あき突起がありません。上図の黄色円内に示した通りです。
 二つ目は、上図の赤円内に何も無いことです。実在の車輛ではその位置に車内の水抜き用のパイプ穴がついており、キットのパーツにも同様のモールドがありますが、劇中車にはありません。


 この赤円内に、車内の水抜き用のパイプ穴のモールドがあります。これが劇中車にはありません。


 そこで、きれいに削り取りました。


 続いて、後部牽引フックのパーツA7です。御覧のように、内側に穴あき突起が付いています。この突起部分が劇中車にはありません。


 そこで、穴あき突起部分をカットしました。


 カット後のA7を接着しました。


 ステップ5で保留していたマフラー支持材A13も、マフラー本体のC56、C57を接着した際に併せて取り付けました。


 左右の大きな収納箱C29、C30も接着し、ステップ6の工程が完了しました。


 ステップ7での追加工作ポイントは、上掲の公式設定資料画像のハッチ部分の赤円内に示すように、ボルト穴が全く無い点です。


 ところが、キットのバーツC31、C32には穴が三つずつあります。このうちの二つは、後でハンドルA20を取り付けるためのものです。


 残る一つの穴、赤円で示したものが劇中車には見られませんので、埋める必要があります。


 パテで埋めて穴を消しました。


 車体上部前面のペリスコープA28を二つ、内側から差し込む形で取り付けました。


 ペリスコープA28は、上からみるとこんな感じでおさまっています。左の操縦手側のペリスコープは回転式ですが、キットではモールドのみで可動はしません。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その9 「徳宿駅と旬菜です!!」

2015年03月13日 | 大洗巡礼記

 徳宿本郷集落から、ゆっくり25分ほど歩いて、鹿島臨海鉄道の徳宿駅に着きました。丘陵地を断ち切って地下式の線路を敷いている区間なので、駅舎も地表より下にあり、上図の駅名表示板の横から階段を降りていきます。無人駅なので、改札口もありません。


 いったんホームに降りましたが、列車の時刻まで30分以上もあるので、また地上に戻ってきたナガシマさんとホシノでした。
(写真撮影 オカアキさん)

 徳宿駅のロータリーの周囲には数軒の民家が疎らに建つのみで、あとは農地が広がっていました。タクシーどころか車の影すら見当たりませんでした。オカアキさんが「これで駅なんですか、なんにも無いじゃないですかー」と呆れ半分に感心していました。ナガシマさんが書いてくれた感想では、現地の風景を具体的に描写してくれています。

「徳宿駅の何もない有様はケッサクでした(^_^)
 ボットンの便所、駐輪場、電話ボックス、自販機、申し訳程度の駅前ロータリーしかありませんでした。
 我々がりんてつに乗り込む時に、若い女の子らが降りましたが、いったいどこへ行くのだろう?という感じでした(^_^;)」


 再び駅のホームに降りました。この駅にも「ガルパン駅なかかくれんぼ」のキャラクターパネルが設置されています。カバさんチームの歴女たちでした。


 カバさんチームのキャラクターパネルを見ながら談笑するナガシマさんとホシノ。
 その後、ホームの待合室に入って、オカアキさんを中心に武術に関するトークを楽しみました。オカアキさんは趣味で中国武術を学んでおられ、教室も開いて自主的に鍛錬を重ねているそうです。ナガシマさんも武術に関心が高いそうで、オカアキさんに実際に武術の技などを教えてもらっていした。
(写真撮影 オカアキさん)

 以下はナガシマさんの感想。
「徳宿駅のホームでの武術談義も楽しかったですね!
 ぼくは武術は何か?などと語れる程やっていませんし、知識の多くはやっている知人か書物からの聞きかじりです。
 オカアキさんの武術の間合いの近さには驚きました。ボクシングならクリンチ状態のあの距離で始めるとは!まず勝てません。
 日本の物ではあんなに近い間合いのはないでしょう。世界中、いろんな地域で様々なお酒があるように、武術も様々ですね。
 またオカアキさんとは武術談義(ぼくで話相手になれば?)したいです。」


 大洗に戻ったのは夕方でしたので、商店街巡りを再開するには遅過ぎました。でも夕食に行くにはまだ早かったので、オカアキさんがリクエストしていた「田口理容店」に立ち寄りました。このお店はオカアキさんの大洗での聖地のトップなのだそうです。店主の北見さんのファンであるそうです。


 ナガシマさんは初めての訪問だったようですが、戦車やキャラクターのカッティングシートが所せましと陳列される室内の雰囲気が気に入ったらしく、上写真の立て看板を撮影したり、室内の棚に展示してある大きな船の模型について北見さんに質問したりしていました。


 この日もめいめいに好きなカッティングシートなどを購入しました。ホシノは今回は黒森峰女学園チームのパンターG型のシートをチョイスしました。ちゃんとダークイエローの紙を使用しているあたり、北見さんのこだわりが感じられました。
 オカアキさんは上写真のように、何枚か買ったようです。何のデザインだったのでしょうか。


 黄昏時になったので、夕食をいただくべく「しゅんさい」に行きました。本来は漢字で「旬菜」と書き、お店のガルパン公式缶バッジにも漢字で表記されますが、一般的には平仮名で「しゅんさい」と書かれることが多いそうです。
 土曜日の夜なので、混むかもしれないということで、あらかじめナガシマさんに予約を入れて貰ったのですが、実際には私たちの他に客が来ておらず、完全に貸し切り状態でした。


 ホシノは以前にも一度入って昼食をいただいたことがあります。次は夕食を、と思っていたのですが、早くも機会を得られて良かったです。夜は飲み処として営業するお店なので、店内には沢山の酒が並べられています。


 メニューをみるナガシマさん。オカアキさんとホシノは看板料理の「アンツィオセット」を注文しましたが、ナガシマさんは別の料理を選んでいました。


 ホシノは、普段は酒を飲まないのですが、ジュース感覚の軽いものならたまには良いだろう、と考えてオレンジカクテルも頼みました。前菜はサラダとホッキ貝の二品でした。ナガシマさんは魚介類が食べられませんので、そのホッキ貝はホシノに施されました。


 これが夜バージョンの「アンツィオセット」です。前回いただいた昼バージョンと比べると、副菜が多くなっていました。特典のガルパン公式缶バッジは、ナガシマさんにあげました。三人でそれぞれの料理を味わいつつ、いろいろな話題を楽しみました。

 ナガシマさんの感想文です。
「夜のしゅんさいです。居心地のいいお店でしたね。あそこでもっと語っていても良かったくらいでした。
 ぼくはお酒を飲みませんが、飲み手にはさらに良かったのでは?と思います。ぼくは普段から卵、肉、チーズのMEC食をなるべく心がけているので、もっとしっかりした肉を食べたかったのですが、お酒が好きな人ほどあまり食べないので、仕方ないでしょう。
 我々しかお客がいなくて、大丈夫なのかな?と思ってしまいました。」

 同感です。ホシノもあの時は「他にお客が来ていないけど、大丈夫なのかな?」と思っておりました。 (続く)
コメント (4)
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黒森峰女学園 パンターG型 作ります!! その1

2015年03月12日 | ガルパン模型制作記
 数ある第二次大戦中の各国の戦車のなかで、私が最も好きなのはドイツのパンターG型です。ずっと昔から一番はパンターG型、二番はラングV70、三番はヤークトパンター、のままで変わっていません。子供の頃に初めて読んだ戦車の図鑑がドイツ軍のそれでしたから、大きな影響を受けたと思います。
 だから、ガールズ&パンツァーに出会ってファンになってからも、一番は常にパンターG型で変わりません。アニメでもその勇姿が見られることに大喜びしました。


 このシーンですね。アニメ本編では、ラングと共に黒森峰女学園チームの中堅戦力として6輌が揃いました。パンツァー・リートのBGMをバックにした、堂々たるパンツァー・カイルでの進撃シーンには、完全にしびれました。これぞパンターだ、これがパンターなんだ、と画面を何度も繰り返して見ては感動に浸っておりました。


 ですが、劇中ではパンターは脇役のやられ役です。大洗女子学園カメさんチームの「おちょくり作戦」にて惑わされ、小さなヘッツアーに煽動されて隊列を崩しました。その直前の砲撃戦で一輌が撃破されて白旗を挙げていました。ラストのポルシェティーガーとの攻防戦でも一輌がやられています。
 これだけ見ると、知らない人は弱い戦車だと思うかもしれませんが、そんなことはありません。ドイツ軍の戦車のなかでは機動力もあり、攻守のバランスが取れた車種ですので、熟練した戦車兵が操れば脅威的な存在でした。数々の勇戦奮闘のエピソードが語り継がれており、単騎で多数に立ち向かうストーリーは、滝沢聖峰さんの「独立戦車隊」でも見事に描写されています。


 パンターをドイツ軍では中戦車と位置づけていますが、上図のように重戦車のティーガーⅡとあまり変わらない大きさです。フォルムも似ているので、連合軍がパンターとティーガーⅡを同系列だと思ったのも頷けます。
 上図では日本の八九式中戦車甲型が、大洗女子学園アヒルさんチームの搭乗車として登場していますが、同じ中戦車でもえらい違いです。大型トラックと軽自動車ぐらいの開きがあります。滝沢聖峰さんの「独立戦車隊」でも、日本軍戦車兵がパンターの大きさに驚き感心するシーンが描かれますが、その元ネタは実話であると聞いたことがあります。


 そのパンターを、私のガルパン戦車キット制作の十作目に選びました。直接のきっかけは、2月の大洗行きの際にまいわい市場の二階の戦車模型展示コーナーにて幾つかのパンターの作品を見たことです。
 一番好きな戦車なので、もっと早くに作っていても良さそうなものですが、ガルパン戦車キット制作を始めた頃は対象を大洗女子学園チーム車輛のみに絞っていましたし、パンターはずっと昔に一度作ったことがあるので、作ったことのない戦車の方に興味が向いていました。

 以前に模型サークルで仲間と話した際、ネット上でのガルパン戦車のキット制作レポートの大部分は大洗チームの所属車ばかりだ、対戦校チームの戦車のキット制作レポートは少ないうえに詳しい記述がほとんどない、という指摘がありました。A氏やI氏に「黒森峰の戦車も作ったらどうか。ティーガーでも良質の制作レポートが少ないんだから、君がやってみる価値は大いにある」と勧められました。

 確かに、大洗チーム戦車のレポートの豊富さに比べれば、黒森峰チームのそれは少ないです。パンターとなると、検索結果ではヤークトパンターの方が多く並びます。劇中でカメさんチームに続けて転輪と履帯を破壊され、車長が「直したばっかりなのに!!」「ウチの履帯は重いんだぞー!!」と叫ぶシーンが人気となったため、先行作品もヤークトパンターの方が多いです。パンターの方は、まとまったキット制作レポートすら見た覚えがありません。そのことも、今回の制作に取り組んだ理由の一つでありました。

 ガルパンに登場するパンターは、G型の最終生産型にあたります。公式キットは現時点では存在せず、上図のタミヤの製品がほぼ唯一の適応キットとなります。MMシリーズの176番で、初販が1994年ですから、やや古い製品に属しますが、当時のタミヤスタンダードともいえる大まかなパーツ割りと組み立て易さがよく示されており、初心者でも楽しく作れる良品です。


 左が組み立てガイド、右が塗装ガイドです。実は、パンターG型に関してはアニメ本編にも参考に出来るシーンが少なく、全体の姿を割合に捉えているのは前掲の三シーンぐらいです。
 それで、模型での再現に必要な、細部のチェックなどは公式設定資料の画像のほか、この塗装ガイドに示された四面図に頼るしかありませんでした。またキットのボックスアートも大変参考になりました。


 箱を開けたところです。このギッシリ感がいいですね。プラッツ公式キットの箱と中身とのギャップには虚しささえ感じてしまいますが、タミヤのキットではワクワク感しか覚えません。こういうところでの差が、キット制作の意欲にかなりの影響を及ぼすと思いますね・・・。


 箱にギッシリ詰まっていますが、取り出して並べてみると意外にもパーツ数が抑えられていることに気付きます。以前にドラゴンのパンターD型のキットを見た際に倍ぐらいのパーツ数に驚かされた記憶があるので、それに比べたらタミヤのキットは作り易そうに思えました。

 実際のところ、ガルパン戦車キットのなかで見ると、パンターは最も作りやすい部類に属します。プラ板をカットして部品を自作するとか、パーツに大掛かりな改造を施すとか、足りない部品を他キットから転用するとか、そういった手間がかかりません。ガルパン仕様への追加工作は、穴などをパテで埋める、不要なモールドを削る、不足部分をプラ板で追加する、不要なパーツを使わない、の四つで事足ります。
 ただ、その追加工作の数が少なくないので、一つ一つ丁寧に取り組んでゆく根気が必要なだけです。塗装も楽な方で、転輪のゴム部分さえしっかりと塗り分ければ、あとは吹き付けだけで充分です。


 ステップ1では、車体下部パーツに、背面パネルやサスペンションアームなどを取り付けます。ステップ2では、ドライブスプロケット(起動輪)、ロードホイール(転輪)、アイドラーホイール(誘導輪)などの車輪類を組み立てます。組み立てガイドの通りに進めます。


 ステップ1で取り付けるパーツを全て切り出して並べました。


 切り出したパーツを全て接着しました。サスペンションアームA23は、タミヤのキットではガタつきもなくしっかりとはまりますが、微妙な歪みが生じなくもないので、接着直後に定規をあてて、車軸が全て一直線に並ぶかどうかをチェックしました。車軸が少しでもずれると転輪もずれるので、足回りの出来栄えにも影響します。


 ステップ2の工程も完了しました。ドライブスプロケットとアイドラーホイールは切り出して接着しましたが、ロードホイールは一番奥につけるA9のみ切り出し、A15はランナーについたままでA16を接着して組み立てました。塗装時にロードホイールのゴム部分をポスカで塗り分ける予定ですが、ランナーについたままの方が持ち手もあって塗りやすいからです。
 前回のティーガーⅠの制作にて、転輪を全て接着したために、塗装時の塗り分けに苦労した経験をふまえての段取りです。パンターの転輪もティーガーⅠと同じ千鳥式の配置なので、塗装してから接着した方が手間がかかりません。


 ステップ3ではファイナルカバーとジャッキを組み立てます。ステップ4と5では車輪類を取り付けますが、私の制作ではA9とアイドラーホイールだけを接着しました。


 ファイナルカバーとジャッキが完成しました。


 ファイナルカバーと転輪のA9、アイドラーホイールを取り付けました。アイドラーホイールはステップ2にてポリキャップを仕込んであるので、取り付け時に接着剤は不要です。ガイドではドライブスプロケットも取り付けますが、私の制作では内側の転輪を塗装して取り付けた後に取り付ける予定です。


 塗装段階まで、ランナーについたままにしてある転輪類です。A15とA16の組み合わせ、A3の二種類があります。


 ステップ5で背面パネルC42に取り付ける、マフラー支持材A13は、その取り付け位置のモールドが無いので接着しないでおきました。後にマフラー本体を付ける際に併せて接着した方が、取り付け位置を間違えないで済むからです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その8 「徳宿本郷集落です!!」

2015年03月11日 | 大洗巡礼記

 徳宿城跡に鎮座する稲荷神社への参道は、北に隣接する徳宿本郷集落からもまっすぐつけられています。城の廃絶後に、堀や土塁などを破壊してつけられた道ですが、それによって土塁の断面などが逆に分かるので、どのようにして築かれたかが一目で理解出来ます。
 上写真は、堀b付近の参道より、1郭の方向を見た図です。手前の少し盛り上がっている場所が2郭、そして堀aは2郭の陰に隠れています。正面奥に見える高い盛り上がりは1郭の土塁です。


 堀b付近の参道にて語り合うオカアキさんとナガシマさん。二人の前方に参道がずっと伸びています。オカアキさんの右側に見える高壇は3郭です。


 参道を歩くお二人。その背後に見える窪地が堀bです。その奥に1郭の高い土塁も見えますので、城跡の規模がこの写真からもうかがえます。


 参道の途中で右に行く枝道がありました。ナガシマさんが「ちょっと行ってみましょう」と提案し、そちらへも回りました。この枝道は3郭の北辺土塁に沿って東へ進み、祠の手前で南へ折れています。その先には、3郭や堀bを崩して造成した農地の跡が広がっていました。微傾斜地になっていて、堀bのあった場所で最も低くなっていました。


 参道に戻り、その終点にあたる集落内道路との合流点にやって来ました。ここから北の徳宿本郷集落に入るので、城跡の広義的な範囲はここまでと推定されます。お二人が歩いている道が参道、左下の道が集落内道路ですが、この集落内道路は城跡の東麓から尾根を断ち切る堀底道の面影を残しており、古くから機能した道であった可能性が考えられます。


 徳宿本郷集落に入ると、すぐ右手に寺堂があります。一見すると民家の車庫か納屋のように見えますが、宝形造の屋根は一般民家には有り得ないので、寺院のお堂であると分かります。城跡の大手に位置して道に接するので、城主の菩提寺だった可能性が考えられます。

 中世戦国期の城下には、多くの場合、城主の館に関連する会所や付属施設などが置かれましたが、それらの施設は寺院や神社の形で整備されることもあり、同時に城主の信仰の場として、城を護る神仏の祭祀の場として運営されるケースがほとんどでした。奈良県をはじめとする近畿地方の城跡においても同じような様相が見られます。


 寺堂の前には農地が広がっていますが、この範囲がかつての境内地にあたっていたと思われます。その範囲が城への大手道に接している点も、城主との関連性の高さをうかがわせます。
 このように、城の大手口の広場やスペースが、寺院境内地の形で確保されている事例も多く、戦時には城主以下の軍勢が集結し、菩提寺に戦勝祈願を行なって出陣式を催す、といった光景がみられたことでしょう。


 寺堂の前に残る中世石造物の残欠です。五輪塔や宝塔の部品を寄せ集めて積み上げてあります。古いものは鎌倉時代末期から室町時代にかけてのものと思われます。徳宿氏が滅亡して城が廃絶すれば、その関連寺院も衰微し退転するしかなくなりますから、墓石などの石造物もいつしか多くが失われてしまいます。そんな厳しい歴史の流れを象徴するかのような、風化磨滅の激しい残欠でした。


 徳宿本郷集落は、中世戦国期当時の言葉で「根小屋」と呼ばれた城下集落の後身であるとされています。集落内の道は各所で屈折し、交差点は喰い違いとなり、宅地の敷地にも方形が少なく、地割は大まかに分けられて民家の庭がどこも広々としています。このあたりも中世戦国期の集落の様相の名残であり、こうした古い集落の風景というものは、現在ではなかなか見られなくなっていますので、貴重な歴史的遺産の一つです。城跡と集落とが一体となって地域共同体としての歴史を持っていた様子がよく理解出来ます。

 上写真は、集落内のほぼ中央部の西寄りを南北に通る旧街道ですが、集落内では屈曲して遠くまで見渡せないようになっています。これは「遠見遮断」と呼ばれる当時の防御の工夫の一つで、屈曲点に接する敷地に大きな家が建つのも、かつての城主一族または家臣の宅地の配置をうかがわせ、その場所が街道筋の防御拠点の一角を担っていた可能性が考えられます。
 また、写真の右端に道路の脇のスペースが見えますが、これは戦国期当時の街路防御エリアの一種である「物陰」の名残かもしれません。道路の屈折点からは死角にあたるので、ここに伏兵を配置すれば、街道筋を進んでくる敵に対して迎撃をしかけることが出来ます。


 集落内のほぼ中央部を南北に通る旧街道の分岐点には、いま徳宿本郷集落の公民館があり、かつての会所の存在を示唆していますが、その向かいに辻堂があります。この種のお堂は、集落の出入り口に配置されて宗教的結界の要となったケースが多く、辻堂の位置が集落と街道との接点を教えてくれます。
 そこにまつられる仏は、中世戦国期当時は阿弥陀如来や薬師如来が多かったようですが、江戸期から地蔵菩薩に転じるケースが多いです。前者は死後の安穏や疫病退散のための仏、後者は道中安全や無病息災を祈る仏ですから、中世戦国期と江戸期の信仰の差がよく表れています。
 その辻堂の内部をのぞいて見学するナガシマさんでした。


 徳宿本郷集落の公民館の横から車道を西へと進み、大きな谷間を経て西の台地に上がりました。すぐに県道114号線の信号交差点に出ましたが、その角に上写真の看板が立っていました。徳宿本郷集落への連絡路の入口なので、徳宿駅から徒歩で行く場合は、この看板を目印にして東へ行くと良いです。


 ナガシマさんに、徳宿城および徳宿本郷集落の印象、感想などを書いていただきました。
「初日の城跡巡りの感想です。
 ぼくは実際に城跡を歩いたのは、初めてと言っていいくらいでした。
言われなければわからないような地形ですが、ホシノさんの解説のおかげで理解が深まりました。
竹は軍需物資なので、竹を植えるなど興味深いです。
 人間が一回作った地形は時代を経てもそんなに変わらないんですね。重機で崩してしまえばそれまででしょうが。
 当時の地割のまま、集落が残っているのも感慨深いです。鎌倉?時代の石塔?、城の方向を向いた結界のための社(?)、遠見が効かない道…。
 これも言われなければわからない、すーっと通り過ぎてしまいそうですが、意味がわかるのは楽しいです。

 ホシノさん一族に男子がいるのですか?などと、あの時聞きました。人間の一生は限られたものなので、遺伝子や記憶、血…。受け継がれていかなければなりません。業績や思い、知恵なども、受け継がれなければ消えてしまいます。アフリカのどこかの民族では、老人が死ぬと図書館がひとつ無くなる、などと言うそうです。
 家族と言った細い糸がより合わさり、やがて地域になり、また束ねられてやがて民族という太い綱になる。それが未来へとずっと続いて行くのでしょう。それが歴史になるのかもしれません。
 徳宿本郷集落も血が受け継がれ、あのままの地割であって欲しいですね。」 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その7 「徳宿城跡です!!」

2015年03月10日 | 大洗巡礼記

 徳宿城跡の西側の県道114号線にてタクシーを降り、城跡の丘へ向かいました。地図を見ながら運転手さんは南東方向を指し、「あの辺の山じゃないですかね」と言っておられましたが、その先には長さ100メートルにも満たない低い丘があり、私はすぐに「あれは違うな」と判断しました。
 中世戦国期の城は、それなりの高さと規模を持つ山にしか築かれない傾向があり、徳宿城は約150メートルの規模を持ちます。しかも城郭は東西南北への向きも重視し、四方位への軸線を特に重んじますので、南北または東西に細長い山が立地として好まれます。そのような条件に合う山が、私たちの居る場所からはすぐ東に横たわって見えました。

 たぶんあれでしょう、と言いつつ、県道の下の農道に降り、まっすぐに行って次の角を左に行くと、上図の城址碑がある登城口に着きました。(写真撮影地点1)


 その山が徳宿城跡であることは、登城口に行く直前に、車道から切岸の姿を捉えた時点で分かりました。上図のように高い切岸が回されており、その上端が平坦に均されているのが分かります。自然の地山ではこういう状態になりませんから、明らかに人の手が加えられたことが看取出来ます。(写真撮影地点2)


 切岸の状況と造成の仕方をナガシマさんに解説するホシノでした。(写真撮影地点2)
(写真撮影 オカアキさん)


 城址碑がある登城口にて、横の遺跡解説板を読むナガシマさん。(写真撮影地点1)


 登城口付近の現状は、こんな感じです。城の廃絶後に、稲荷神社が城跡に勧請され鎮座して現在に至っていますが、その稲荷神社への参道として造られたのが現在の登城道です。切岸を断ち割って破壊して造られており、城の本来の登城コースとは無関係です。(写真撮影地点1)
(写真撮影 オカアキさん)


 稲荷神社の社殿が建つあたりは、城跡の1郭の南端にあたります。上図の社殿の左手の地面が少し盛り上がって見えるのが、土塁の残存部です。(写真撮影地点3)


 1郭の南側土塁の上には、徳宿氏の事績を顕彰する大きな石碑と、徳宿氏一門の供養塔とが並び立っています。(写真撮影地点4)


 徳宿氏一門の供養塔は、宝篋印塔の形式をとります。現状では相輪部が失われ、笠部分が落ちていて、後の追加とみられる宝珠が塔身に直接載せられています。塔身や基礎部の石組みに僅かなズレや歪みが見えますが、古いものではないので、あの震災の影響かもしれません。(写真撮影地点5)


 石碑と供養塔の見学撮影を終えて、社殿前から参道に移動するホシノ。(写真撮影地点6) 
(写真撮影 オカアキさん)


 城跡は大部分が草薮や倒木などに覆われて土塁の大部分へは近づくこともままならず、1郭を巡る堀aも下草に埋もれて形状がいまひとつ視認出来ませんでした。ですが、2郭の北側を遮断して城の第一防御線となっていた堀bは、西側にてよく姿をとどめていました。尾根を大きくV字形に断ち切って、尾根裾へ谷間のように広がっています。(写真撮影地点7)


 堀bは、東側でも一部が旧状をとどめています。樹木や竹が林立していますが、堀底面に幅を持たせた箱彫堀状の堀切であったようです、右手が2郭、左手が3郭にあたります。(写真撮影地点8)


 上図は、本文中に併記した写真撮影地点の見取り図です。現状で見学出来る範囲であるので、レポート初回の城跡解説記事と併せて参照いただければ、城跡探訪の目安になるでしょう。 (続く)

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黒森峰女学園チーム戦車のキット (その二)

2015年03月09日 | ガルパン模型制作記
 黒森峰女学園チーム戦車のキットに関する簡単な紹介の二回目です。ここではパンターG型、ラング、ヤークトパンターを紹介しましょう。


 上図は、タミヤから発売されているパンターG型です。タミヤの商品名ではパンサーとなっています。主砲防盾の下を垂直に伸ばした、G型の最終生産タイプを再現しています。黒森峰女学園チームは、このパンターG型を6輌揃えて大洗女子学園チームとの決勝戦にのぞんでいますが、パンターG型はどちらかというと脇役のやられ役扱いで、実際のドイツ軍車輛の輝かしいほどの戦績イメージがあまり感じられません。

 このパンターG型は、公式キットが出ていません。プラッツが扱っているドラゴンのキットのパンターはA型とD型とF型の他にG型もあります。タミヤと同じようにG型のスチールホイール仕様キットもリリースしています。
 人気のある戦車なので、レベルやイタレリからもキットが出ていますが、いずれもD型です。タミヤはG型の前期型、後期型をともにリリースしているほか、A型も出しています。したがって、劇中車と同じG型の最終生産タイプのキットは、タミヤとドラゴンの製品であることになります。でもドラゴンのキットは入手が困難であるそうで、私も実物を見たことがありません。

 したがって、パンターG型の劇中車を作るには、入手し易いタミヤの製品を選んだ方が無難でしょう。このキットでは、ガルパン仕様への追加改造も少なく、小改造を幾つかこなすだけで、劇中車を再現出来ます。制作ガイドも分かりやすく、組み立て易いので、ガルパン戦車キットの中では初心者にもおすすめ出来る良品です。


 続いては、Ⅳ号駆逐戦車ラングです。上図は、最近にタミヤから新たにリリースされた製品で、フォマーク社製造の70(V)を再現しています。タミヤからは、すでにMMシリーズ初期のナンバーでラングが販売されていますが、これは70(V)の前期型にあたります。この旧キットでは短砲身のL48タイプと長砲身のL70タイプを選択出来ました。
 上図の新製品の方は70(V)の後期型を再現しており、転輪の前方2輪が鋼製となっているのが特徴です。これは劇中車と同じです。黒森峰女学園チームは、このラング70(V)を6輌揃えて大洗女子学園チームとの決勝戦にのぞんでいます。

 このラングも、公式キットが出ていません。プラッツが扱っているドラゴンのキットのラングはアルケット社製造の70(A)および70(V)ですが、後者にはツイメリットコーティング付きのキットもあり、それでは劇中車を再現出来ません。ドラゴンのキットを選ぶ場合は、70(V)のツイメリットコーティング無しのキットを使うことになりますが、入手が難しいと聞きます。なので、入手が容易で劇中車を作れるキットは、タミヤの製品ということになりましょう。

 ですが、このタミヤキットを使って劇中車を再現するには、幾つかのハードルがあります。厄介なのが起動輪および転輪キャップの相違です。起動輪はⅣ号戦車H型の初期型タイプ、転輪キャップは前方2輪が後期型、残る6輪が中期型です。さらに上部転輪は鋼製ではなくゴムリム付きという、ガルパン戦車特有のごちゃまぜ状態です。これらをきちんと再現するには、起動輪や転輪キャップを同じタミヤのⅣ号戦車H型のキットなどからもってくるしかありません。また後部の排気管の先端が曲がっている点、尾灯の形状の相違なども挙げられます。

 いずれにせよ、このキットで劇中車を再現するには、ある程度の改造や追加工作、パーツ転用が必要となります。黒森峰女学園チーム戦車キットのなかでは難易度が高めです。


 上図は、タミヤから発売されている駆逐戦車ヤークトパンターの後期型です。タミヤの商品名ではヤークトパンサーとなっており、キットはG1型とG2型とを選択して作れるようになっています。
 黒森峰女学園チームのヤークトパンターは、G1型の後期タイプに相当するようですが、キットはタミヤの他にドラゴンからもリリースされています。にもかかわらず、プラッツはドラゴンのG1型のキットを公式キット化していません。それで、ヤークトパンターも公式キットが出ていません。


 これがドラゴンのヤークトパンターG1型のキットです。スマートキットですので、パーツ割りもタミヤのそれと余り変わらず、作りやすい方に属します。
 ですが、劇中車は、厳密にはG1型とG2型のごちゃまぜ状態であることが、車体後部のエンジン上部パネル等の形状などから分かります。ドラゴンにはG2型のキットもありますから、ドラゴンのキットで劇中車を作る場合にはG1型とG2型の両方のキットを揃える必要があります。

 これに対して、タミヤのキットはG1型とG2型とを選択して作れるようになっていますから、劇中車の再現も容易です。タミヤのキットで作る場合、劇中車との相違点として、OVMの種類や数、ワイヤーの取り付け方など幾つかありますので注意が必要です。特に、劇中車のワイヤーは独特の付け方なので、ワイヤーを銅線か紐などで自作する必要がありそうです。


 おまけとして、黒森峰女学園チーム戦車キット専用の塗料セットも紹介します。これはGSIクレオスが販売しているガルパンカラー特色セットの一種で、三種類の車体色がセットになっています。黒森峰ゲルプⅠ、黒森峰ゲルプⅡ、黒森峰ロートⅠの三色です。
 黒森峰ゲルプⅠは、ティーガーⅠの車体色です。黒森峰ゲルプⅡはティーガーⅡ、ラング、ヤークトパンター、エレファントの車体色です。黒森峰ロートⅠはヤークトティーガーの車体色です。このカラー特色セットで、黒森峰女学園チーム戦車キット9種のうちの7種までが塗装出来るので、便利です。
 なお、パンターG型の車体色は、公式設定資料画像で見ると実際のドイツ軍戦車の車体色の一つダークイエローにほぼ同じであるように見えます。ミスターカラーの39番のダークイエローが適していると思います。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その6 「新鉾田駅です!!」

2015年03月08日 | 大洗巡礼記

 「武山」で昼食を終えた後、大洗駅へ行きました。この日の城跡見学を午後に変更していたので、列車の時刻に合わせて迅速に移動する必要がありましたが、自転車利用なので楽に行けました。大洗ではやっぱりレンタサイクルが重宝しますね。
 駅のホームに上がると、水戸行きの列車がガルパンラッピング車輛でした。三者三様に写真を撮ったのは言うまでもありませんでした。


 新鉾田駅までの切符です。これから向かう徳宿城跡は、最寄りの駅が徳宿駅なのですが、徒歩だとかなり距離があって時間もかかります。徳宿駅でタクシーが拾えたらいいのですが、タクシーは新鉾田駅にしか居ないということだったので、往路は新鉾田駅まで行ってタクシーを利用し、城跡まで一気に行くことにしました。


 私たちは前の車輛に乗りました。大貫台地においては線路はずっと切通しやトンネルの中を通っていますが、その最後のトンネルが、ちょうど大館館跡の下に位置しています。その最後のトンネルに入る前に、一枚撮りました。


 トンネルを抜けると、線路は高架上に通ってまもなく涸沼駅が見えてきました。明日の城跡見学は、涸沼駅が起点となります。今日は涸沼駅、鹿島旭駅、徳宿駅を経て、新鉾田駅まで乗りました。乗車時間は24分でした。


 新鉾田駅に着くまでの間、ずっと談笑していたオカアキさんとナガシマさんでした。語るナガシマさん、聴き入るオカアキさん、の構図がここでも見られました。


 新鉾田駅に着きました。ホームに降りた直後に、「ガルパン駅中かくれんぼ」のキャラクターパネル設置駅の南限がこの駅であることを説明しました。
 このホームのどこかにパネルが設置してあるんですよ、と指差すホシノと、早速周囲を見回し始めるナガシマさんでした。
(写真撮影 オカアキさん)


 パネルはすぐに見つかりました。ホームの屋根下の駅名表示板の左右にありました。以前に鹿島神宮駅まで行った時に通過した際には見えなかった位置でした。


 この駅には、アヒルさんチームの四人が居ます。二人ずつが、ホーム屋根下の上下線に分かれて設置されているので、四人全員を一度に見ることが出来ません。鹿島神宮行きの下り線側には、キャプテン磯辺典子と近藤妙子が居ました。


 反対側の水戸行きの上り線側に、河西忍と佐々木あけびが居ました。


 ガルパンモードに浸るナガシマさんとホシノでした。わざわざ新鉾田駅まで行った甲斐があったというものです。この駅は鉾田市の街区の東側に接し、高架上にあるために周辺の眺めも良いです。
(写真撮影 オカアキさん)


 高架下の駅舎の壁の駅名表示です。これから先にはトイレも無いので、みんなでお手洗いを済ませておきました。それからホシノは駅前ロータリーのタクシー乗降場に行き、客待ちをしていたタクシーの運転手さんに徳宿城跡の案内記事と地図を示して、ここへ行きたいのですが、と訊ねました。案の定、運転手さんは徳宿城跡の存在は初めて知ったようでした。どの辺かね、と言いつつ地図の方を少し見て、ああこの辺だったら分かりますよ、と頷きました。
 そこでお二人を呼んで、三人でそのタクシーに乗り込みました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その5 「武山のざる蕎麦です!!」

2015年03月07日 | 大洗巡礼記

 アウトレット内をぶらつきつつ、昼食時間までにどこか行きましょうか、と話しました。この日の昼食は蕎麦処の「武山」で食べる予定でしたが、開店時間の11時半までまだ間があったのでした。大洗漁港の魚市場の方へでも行ってみますか、となりました。


 自転車置き場まで戻る最中に、途中で見かけたガルパンあんこう焼きの案内です。これは一度も食べたことがありませんね・・・。私は甘い食べ物にはあんまり縁がありませんので・・・。


 大洗漁港の魚市場へ向かう途中で、大洗輸送のガソリンスタンドで、大洗町最大のガルパン看板を見ました。オカアキさんは早速写真を撮っていました。
(写真撮影 ナガシマさん)


 ナガシマさんが写真を撮っているのに気づいたホシノです。オカアキさんは依然としてカメラを構えたままでした。
(写真撮影 ナガシマさん)


 大洗漁港の隣の埠頭に停泊中の巡視船「あかぎ」を見ました。この日は南からの風が強くて自転車で走るのも一苦労でした。そうこうしているうち、時間が近づいてきたので、引き返す形で「武山」に向かいました。


 開店直前に「武山」に着きました。オカアキさんとは前回も一緒したことがありますが、ナガシマさんは初めてでした。


 この日は快晴で気温も高めだったのですが、風が強かったのですぐに冷えてしまいがちでした。店内に入って温かさに包まれた途端、ホッとしました。店内奥の薪ストーブは、あかあかと燃やされて、側に近寄ると暑いぐらいでした。そのすぐ隣の囲炉裏席に案内されました。


 囲炉裏席にて、奥の壁上に掛けられた漢詩とおぼしき扁額の字を読むホシノでした。読めない字が二つほどあって、何と読むんだろう、と字を凝視しつつ思案をめぐらせましたが、いくら考えても読み方が分かりませんでした。
(写真撮影 オカアキさん)


 注文したざる蕎麦が運ばれてきました。早速記念撮影をするホシノでした。
(写真撮影 オカアキさん)


 この時撮った、昼食のざる蕎麦です。私はこのお店のざる蕎麦が結構気に入っていますが、同行のお二人はいずれも温蕎麦の方を食べていました。以下の「」内は、ナガシマさんの感想です。

「武山は、味がしょっぱかったです。
とにかくしょっぱかったです。お湯を倍入れて薄めてもいいくらいです。
お店の内装など雰囲気はいいのですが、あれでは毎日食べようとは思えません。
星野さんが食べていた、ざる蕎麦のつゆをなめさせてもらいたかったです。果たして蕎麦つゆ自体がどんな味なのか…。」

 蕎麦つゆそのものは、かなり辛いです。薄い味付けに慣れている関西人の私にとっては、醤油をそのまま飲むような辛さです。でも、東京の方であるナガシマさんにとってもしょっぱい、というのは驚きでした。お湯を倍入れて薄めてもいいくらい、ということでしたが、実際に私も蕎麦湯を頼んでつゆを薄めて食べていました。
 なので、ナガシマさんがざる蕎麦のつゆをなめても、しょっぱいことには変わりが無かった筈です。 (続く)

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アンツィオチームの大洗応援グッズ

2015年03月06日 | ガールズ&パンツァー

 上写真は、アンツィオ戦OVAのワンシーンです。決勝戦にて大洗チームを応援すべく、前夜から試合会場の近くにやってきたアンツィオチームの面々です。
 中央の娘が両手に持っている大洗マークの小旗と額の鉢巻、後ろで大きくひるがえっている同デザインの大旗、大洗グッズとしても出そうな感じがしますが、未だに出ていませんね・・・。もし登場したら、普通に欲しいですよこれは。どこかで商品化していただけませんかね・・・。

 右端奥の娘が頭上に持ち上げてる大きな赤い丸いのは、もしかしてあんこうマーク?

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その4 「リゾートアウトレットです!!」

2015年03月05日 | 大洗巡礼記

 今回の訪問時、マリンタワー最上階にセットされているガルパンキャラパネルは、南側に外向きに展示されているあんこうチーム5人のみでした。アウトレットからも見える位置なので、しばらくはこのまま続くのでしょうが、ずっと日に当たっていますから、退色や褐色などが進んでいるのではないかと思います。


 この日のトラックヤードには、かなりの台数が入っていました。土曜日だからでしょうか。


 再び大貫台地の方向を見ながら、筑波山の位置を確かめました。奥に見える最も高い山がそれでした。ナガシマさんによれば、晴れた日には東京からも山容が望まれるそうです。


 マリンタワーでも、会話が弾むオカアキさんとナガシマさんでした。景色よりもトークの方が楽しかったようです。


 ホシノはというと、フェリー埠頭の向こうに輝く鹿島灘の大海原をのんびりと眺めておりました。海はいいですね。


 マリンタワーの次はリゾートアウトレットのまいわい市場に移動しました。大洗に来たら一度は訪れないといけない場所になっています。ナガシマさんは常に沢山の土産物を買ってゆくので、今回も下見してどんな商品が販売されているかをチェックしていました。
 上図は、まいわい市場の一角にある餡香やきのお店です。意外なことに、ホシノはこのお店を今まで一度も利用したことがありません。


 まいわい市場で販売していたガルパン公式缶バッジ類です。昨夏の八朔祭デザインが大量にありました。これは商店街の多くの店でも見かけたので、在庫過剰であったようです。
 他に大洗女子学園校章デザインがありましたが、これは三度目の再生産分だということでした。よく見ると、校章部分が以前のよりも微妙に小さくプリントされていました。一見しただけでは分からないほどの、僅かな変化でした。


 まいわい市場の二階に登り、秋葉原から寄贈されたという八九式中戦車甲型のモックアップを見、続いて大量に展示されている戦車プラモデル完成品を見ました。
 上図は、最も丹念に見学したパンターのキットです。細部をみるとD型のようですが、ドイツ軍の車輛として仕上げてあります。ガルパンに登場する黒森峰女学園チームのパンターはG型で、最終生産型のタイプです。
 今回の訪問は、黒森峰女学園のティーガーⅠを制作している最中のことでしたので、ティーガーⅠが完成したら次は何を作ろうか、と考えていましたが、この作品を見てパンターG型に決めました。


 二階の連絡通路を移動中に、振り返って見たマリンタワーです。今回はナガシマさんは「戦艦長門の艦橋」という表現を使いませんでした。


 食事処が並ぶあたりで目にした、一人前あんこう鍋のサンプルです。しっかり生徒会三役の画像まで添えてありました。ファンならば、角谷杏生徒会長のセリフを思い出しながら、つい食べに入ってしまいそうですね。
 オカアキさんは、大洗に来たらあんこう鍋が食べたいな、と話していましたので、けっこう好きな料理であるようです。ホシノは、そこまでいきませんので、あんこう鍋よりは他の海鮮料理がいいです。 (続く)

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黒森峰女学園チーム戦車のキット (その一)

2015年03月04日 | ガルパン模型制作記
 私のガルパン戦車キット制作は、最初は大洗女子学園チームの車輛を対象として進めてきました。一年余りを経て大洗女子学園の八チームの戦車が出揃いましたので、対戦校チームのいずれかのチームの車輛にも範囲を広げたくなりました。もともとドイツ軍の戦車、パンターやラングが大好きなこともあり、黒森峰女学園チームの戦車を作りたいと思うまでに時間はかかりませんでした。

 それで、今年2015年に入って最初の作品をティーガーⅠにしましたが、模型仲間から「黒森峰の戦車も作るんだったら、大洗のと同じようにキットの簡単な紹介をやってくれ」と勧められました。そういえば、以前に大洗女子学園チームの戦車キットの紹介をやったなあ、と思い出しました。ならば、黒森峰女学園チームの戦車キットの紹介も必要だな、と考えました。

 私の制作においては、黒森峰女学園チームの戦車キットはだいたいタミヤの製品で作ることにしています。以前にガルパン仲間のN氏にプラッツの公式キットのうちのⅢ号戦車J型とヤークトティーガーを頂いておりましたので、それ以外の戦車キットをタミヤで作ることにしました。モデルカステンのガルパンデカールセットも調達しておきました。
 黒森峰女学園チームの戦車キットは、Ⅲ号戦車J型、ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、パンターG型、ラング、ヤークトパンター、ヤークトティーガー、エレファント、マウスの9輌があります。3輌ずつ順に簡単に紹介してみます。


 最初は、Ⅲ号戦車J型のキットです。上図はプラッツの公式キットで、N氏に頂いたのもこれです。リリース当初は制作ガイドに相当の不備があって、ネット上のガルパン情報版などで、ガルパン仕様への制作ポイントや制作ガイドの不備の補完点などが公開されていました。
 私が頂いたキットは、その後に生産された製品であるようで、制作ガイドの不備などが修正されていました。このキットに限らず、プラッツの公式キットの最近の生産品の制作ガイドはほとんど修正版になっているそうです。


 プラッツの公式キットの元になった、ドラゴンのスマートキットです。聞くところによれば、その中身をそのまま踏襲して箱だけをガルパンデザインに変更したのが公式キットだということです。劇中車との相違点も、公式キット修正版ではほぼフォローされているようです。元キットの外見上で目立つ相違点は、予備履帯の有無ぐらいでしょうか。


 Ⅲ号戦車は、タミヤからも製品がリリースされていますが、上図のようにJ型ではなくてL型として製品化されています。公式キットが出る以前は、このキットを使用して改造するという方法が紹介されていました。L型はJ型に増加装甲を追加し主砲を42口径50ミリから60口径50ミリに強化した改良型なので、増加装甲を付けず、主砲を短くすればJ型の姿に作ることが可能です。劇中車に近づけるには、さらに予備履帯などを外すほか、二、三の小改造を施すだけで済みます。
 それで、私も最初はこのタミヤのキットを考えていたのですが、N氏に公式キットを頂いたので、そちらで作ることにしました。


 ティーガーⅠです。劇中では西住まほ隊長の搭乗車となっているほか、一年生当時の西住みほがフラッグ車を任されて搭乗していました。上図はプラッツの公式キットで、発売当初は色々と不評であったようです。主な原因は、劇中車にも見られる重要なパーツであるスモークディスチャージャーや初期型エアクリーナーが入っていない、ということだったようです。


 そこでプラッツは、後になってスモークディスチャージャーのパーツを「グレードアップパーツ」として発売しました。ですが、初期型エアクリーナーのパーツも入っていなければ意味がありません。このために公式キットのティーガーⅠの評価も余計に下がってしまい、一時期は定価6264円の品が980円の超安値で叩き売られていたと聞きました。
 このキットで劇中車を再現する場合は、前述の不足パーツを他キットから転用するほか、操縦席バイザーの上端にある二つの覗き穴を塞ぐ、後部の道具箱のラックを自作するなどの追加工作が必要です。また履帯も特殊な極初期型のタイプに交換しなければなりませんが、パーツの入手が困難です。


 公式キットにスモークディスチャージャーや初期型エアクリーナーのパーツが入っていないというのは、元になった上図のドラゴンのキットがそうであったためです。ティーガーⅠの初期型には、スモークディスチャージャー未装備、後期型エアクリーナー装備の車輛もあり、このドラゴンキットはその車輛を製品化しているからです。


 プラッツの公式キットが出る以前には、上図のタミヤのキットがよく利用されていました。プラッツの公式キットが不評であったため、公式キットよりもタミヤキットの方を買って作るという傾向が強まったと聞きました。
 タミヤからは極初期型、初期型、後期型の3型式がリリースされていますが、劇中車に最も近いのは上図の初期型です。作りやすいので初心者にもおすすめですが、ガルパン仕様にする場合には部品が2個足りません。ティーガーⅠの後部のマフラーの横にある2つのハンドルが、タミヤのキットではパーツ化されていないからです。自作するか、他のキットの余りパーツを転用するしかありません。2つのハンドルのパーツは、プラッツ公式キットの方には入っています。
 また、プラッツのキットと同様に、後部の道具箱のラックの自作、特殊な極初期型タイプの履帯への交換も必要となりますが、履帯パーツの方は入手困難なので、こだわらないのも手です。


 ティーガーⅡです。劇中では逸見エリカの搭乗車として登場します。プラッツから公式キットが発売されていますが、これも余り良い評判を聞きません。理由の一つとして、装備品の一つワイヤーのパーツが無く、別にワイヤーやタコ糸などを調達して作る必要があるそうです。それ以外はそのまま組んでも問題ないと聞きますが、6264円という価格の高さも不評となっているようです。


 プラッツ公式キットの元になっている、ドラゴンのキットです。サイバーホビーのオレンジボックスシリーズの一つです。これの中身からドイツ兵のフィギュア4体を除き、ガルパンデカールとガルパン制作ガイドを入れたものが公式キットです。


 上図はタミヤのキットです。タミヤからはMMシリーズの製品として二種類がリリースされていますが、いずれも中身は同じです。上図はMMシリーズの164番ですが、もう一種類の252番の方にはドイツ軍のオートバイと伝令のフィギュアが追加されています。
 ガルパン劇中車を再現するのであれば、ドイツ軍のオートバイと伝令は不要ですので、MMシリーズの164番の方を選ぶことになるでしょう。劇中車との相違点で目立つところは、ワイヤーの留め具合、溶接痕の有無、砲塔左右前方の履帯の留め方、の三点ぐらいですので、そのまま組んでもいい雰囲気で出来上がるでしょう。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その3 「マリンタワーです!!」

2015年03月03日 | 大洗巡礼記

 榎澤輪業商会さんにてレンタサイクル利用の手続きをしました。私以外は初めての利用で、自転車が趣味のナガシマさんは、店内の工具類を興味深く見ていました。以前は整備士をやっておられたそうで、自身の自動車やバイクや自転車の修理もこなしているそうです。


 とりあえずはマリンタワーに登りましょう、ということで、街区を東へ駆け抜けました。この日は快晴でしたので、眺望も良いだろうと思いました。


 一階の土産物販売コーナーの奥のインフォメーションコーナーの一角にはあんこうチームの五人のパネルが並べてありました。これを見るのは初めてだったので、ここにも在ったんだな、と思いましたが、後で展望所に登ってみて、元は展望所にあったのを下に降ろしたのだと分かりました。


 パネルの横には、ガルパンのネームステッカーとフォトパッチンが設置されていました。ナガシマさんとは、前回の同道時にネームステッカーを操作していますが、フォトパッチンは初めて見るそうなので、操作方法やフォトパッチンのサンプルなどを示して簡単に説明してあげました。
(写真撮影 オカアキさん)


 その後、インフォメーションコーナーにてスタンプラリーの最初のスタンプを押しました。五十鈴華のデザインでした。8ヶ所に設置されるスタンプのうちの6つを押せば、景品としてガルパンステッカーが貰えるということでした。
 とりあえず今日と明日とで6ヶ所のスタンプを押しましょう、とオカアキさんが言いました。大洗でもガルパングッズをほとんど買わない方なので、その代りとしてスタンプラリーの成果を大洗行きの確かな記念品としたかったのでしょう。上写真でも、オカアキさんは用紙を広げてどこでスタンプを押そうかと思案していました。


 最上階の展望所に登ると、以前はあんこうチームのパネルがあった場所に、大きなアライッペのパネルがありました。これを見て、ああそうか、一階にあるのは以前ここにあったやつか、と悟りました。
 アライッペは、大洗町の特産物のシラスとシジミにちなんだイメージキャラクターですが、最初は何の化け物かと思いました。パッと見てシラスだと分かりませんでしたから、デザイン的にはもう少し検討すべき余地があると思います。


 北の眺望です。港湾エリアのトラックヤード、物流施設、かねふくの建物、漁港区域などが見えました。漁港の横の埠頭に巡視船が停泊しているのが見えました。あとで見に行きましょうか、と話しました。


 南東方向に見えるマリーナ施設です。その手前の広場は地面がペイントされていて、ウェルカム大洗の綴りがアーチ状にデザインされていました。いざという時はヘリポートになるんでしょうかね、と話しました。


 南には、リゾートアウトレットの施設群が並びます。土曜日なのに駐車場には車が少なく、閑散期にあたっていることが実感出来ました。街中でガルパン巡礼の姿を見かけることも余り無かったように思います。


 南西方向には、街区の奥に大貫台地が横たわります。ここ数度の訪問で大貫台地の中世戦国期の遺跡や城跡を集中的に回っていましたから、いまでは大貫台地の景観にも様々な思い出があります。他にも未知の遺跡が多く埋もれているとされており、歴史的には大変に魅力的なエリアです。


 景色を眺めながら話すナガシマさん(右端)とホシノです。前回一緒に登った時はナガシマさんの長女のSちゃんが居ましたから、そちらの面倒ばかり見ていた記憶があります。なので、景色を楽しみながら会話も楽しんだのは、今回が初めてといっても過言ではありませんでした。 (続く)
(写真撮影 オカアキさん)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く15 その2 「廃線跡の標杭です!!」

2015年03月02日 | 大洗巡礼記

 2015年1月31日から、二泊三日の行程にて大洗に出かけました。朝8時過ぎに水戸駅改札口にてガルパン仲間の二人と合流しました。同行者は、昨春に親子連れで同道したナガシマさん、昨夏および昨秋の二度にわたって大洗巡りを共にしたオカアキさんでした。

 実は、この三人で大洗巡りを楽しもうという企画は、昨秋にもあったのですが、事情によってナガシマさんが参加出来なくなり、その時はオカアキさんと二人で行きました。なので、リベンジの意味もあって、今度の企画は色々と事前調整を重ね、トリオでの大洗行きが実現しました。


 水戸駅での合流時に、オカアキさんが場所を勘違いして少し遅れたり、ホシノが鹿島臨海鉄道の券売機で間違えてJRの切符を買ってしまって交換をしてもらったりと、色々と手間取りました。それで予定の8時21分発の列車に乗れませんでしたが、結果的には良かったようです。次の8時44分発の列車が、乗って楽しいガルパンラッピング車輛だったからです。最初からテンションが上がり、三人三様に写真を撮りました。


 予定より一本遅れの列車に乗ったことで、この日の行動計画も変更となりました。まず午前中に新鉾田駅まで移動してタクシー利用で徳宿城跡を訪ねる予定でしたが、乗った列車が大洗駅止まりなので、徳宿城跡行きは午後に回し、午前中は大洗巡りに切り替えて昼食休憩までを楽しむことになりました。

 オカアキさんとナガシマさんは、今回が初対面でしたが、それまでにメールや電話で交流していたこともあってか、すぐに打ち解けて色々と話をしていました。情熱的に語るナガシマさん、熱心に聞き入るオカアキさん、の構図が早くも定着しつつありました。土曜日にしては乗客も少なく、のんびりとした車内の雰囲気も、お二人の会話を弾ませたようです。


 大洗駅に着きました。やっぱりいいですねえ、とナガシマさん。前回来られなかっただけに、やっと来られた、という深い感慨があったのでしょう。
 当初の予定では午後にゆっくり大洗巡りをする積りでしたが、午前と午後の行程を入れ替えたので、時間的にちょっと余裕が無くなってしまいました。そこで大洗での移動はレンタサイクルを利用することを提案し、それでいこうと決まりました。


 大洗駅のインフォメーションコーナーも開いていたので入りました。その頃の大洗では「スタンプラリー道復刻版」が開催されていて、ガルパンブームが始まった頃に最初に実施されたスタンプラリーがもう一度楽しめるようになっていました。そのスタンプ用紙も配布していました。ついでだからこれも楽しみましょう、とのオカアキさんの提案で、用紙をもらってチャレンジすることにしました。
 前回もそうだったのですが、オカアキさんはスタンプ集めがけっこう好きなようです。スタンプ集めと言えば、ナガシマさんの娘さんのSちゃんも一生懸命打ち込んでいましたね・・・。


 大洗駅前のイルカのオブジェです。近づいて見るのは初めてだったような気がしますが、造形品としてもなかなかのもので、近づくにつれて躍動感が増してきました。モデルはアクアワールドにて飼育されているイルカなのでしょうが、それを回りの水流まで捉えて再現しているような出来でした。


 大洗駅から徒歩で出発、レンタサイクルを借りるために榎澤輪業商会さんに向かいました。お二人は歩きながら会話で盛り上がっていました。ナガシマさんは立川、オカアキさんは練馬の方なので、同じ東京都民ということで相通じるものが大きかったのでしょう。
 大洗駅までの行程については、オカアキさんのブログ「けんごぶ!」でも「2015年 初大洗の1」と題して熱くレポートされていますので、併せてお楽しみ下さい。こちら


 榎澤輪業商会さんに行く途中、水浜電車の廃線跡を案内しました。オカアキさんとは以前に曲松エリアにて廃線跡の一部を一緒に見学していましたが、最もよく遺跡の雰囲気を残すエコスの北側の軌道跡は初めてなので、ここですか、と感慨深げでした。
 ナガシマさんは廃線跡は初めてでしたが、私の以前のレポートを御覧になっているので予備知識は充分にあったようで、ここがいかにもそんな雰囲気ですねえ、と話していました。上写真の左側、軌道跡の脇に立つのがナガシマさん、右側の軌道跡の舗装路の端に立つのがホシノです。
(写真撮影 オカアキさん)


 水浜線のコンクリートの標杭の位置を示すと、ナガシマさんは興味深そうに眼を近づけて観察し、石ころ混じりのコンクリートであるのを確かめていました。戦前戦中のコンクリートはどういうものだったのか、という話をしました。
 ホシノには、石ころ混じりのコンクリート、というのは粗悪品というイメージがありました。戦中戦後の物資不足の時期にコンクリートも欠乏し、石ころを混ぜてかさ増ししたのだろうか、と思い込んでいました。
 ところが、ナガシマさんの話を聞くと、実態は少し異なっていて、それなりの事情が背景にあったことが分かりました。
(写真撮影 オカアキさん)


 ナガシマさんの話はこうでした。ナガシマさんの高校の先輩にセメントを扱う企業の社長さんがおられ、その方から詳しい内容を聞かせてもらったそうです。その内容を抜粋させていただきました。

「戦時中のセメントは当初重要物資ではありませんでした。 日本は原石の山(石灰岩)が数多く存在していました。セメントは豊富であったはずです。工場も山ろくにあったため、米軍爆撃目標の対象にもなりませんでした。
 戦争後半から終戦近くは飛行場建設のため重要物資になったようですが、それまでの徴兵で人手不足のため原材料は豊富でも生産量は伸びなかったようです。 
話は現代に飛びますが、中東では石灰石がほとんどとれません。原油はあってもセメントはほとんど輸入だそうです。日本もクエートなどへ輸出しています。」

 これを聞いて、目から鱗の気分でした。そういえば戦跡巡拝および遺骨収集事業に参加した頃に見た軍施設のコンクリートはみんな立派なもので石ころなど混じっていなかったな、と思い出しました。奈良県天理市にあった海軍の飛行場跡の関連施設跡を回った時にも、軍が直轄した施設はみんなコンクリートもしっかりしていました。これらに対して民間建設会社が請け負ったコンクリ道路や掩体壕などは石ころ混じりのボロボロのコンクリートでした。
 要するに、戦時中もセメントは豊富だったが、人手が足りなくて生産量が落ち、ほとんどは軍に優先的に回されていたために、そうなったのだろう、と理解出来ました。
(写真撮影 オカアキさん)


 昔のコンクリートのことが分かってみると、いま大洗に残る水浜線跡の標杭の状態にも、それなりの背景が介在していたことが理解出来ました。廃線跡に対する感慨も、より深まりました。
 同時に、ナガシマさんの知識の豊富さに改めて感心させられました。これからがもっと楽しくなりそうだ、と感じたことでした。 (続く)

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