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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く33 その3 「阿字ヶ浦駅です!!」

2019年12月07日 | 大洗巡礼記

 リサイクルショップ「はじめちゃん」を私のリクエストで訪れた後は、Oさんのリクエストである、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅へ行きました。Oさんは鉄道オタクでもあるようで、茨城県の廃線跡や車輌にも結構詳しいようです。この阿字ヶ浦駅見学は以前にも提案してきていたのですが、今回ようやく実現した形でした。

 

 既に時刻は夕方遅くになりつつありましたが、Oさんはどうしても来たかったようで、現地に着くや否や、私より速いスビートであちこち見て、上図のごとく、線路上もサッサと歩いてゆくのでした。
 この線路は現状では使われていませんが、北にある国営ひたち海浜公園の南側までの約3.1キロまでの延伸計画があるそうです。工事開始のあかつきには、上図の崩れかかったホームなども修繕されるのでしょうか。

 

 本当に延伸するのか?と思う程の、うら寂れた哀しさただよう終着駅の景色です。こういう風景が鉄道オタクの心に響くようで、とにかくOさんは雰囲気に浸りまくっているようでした。

 私自身はそんなに鉄道マニアではないので、ひたちなか海浜鉄道そのものに関してもあまりよく知りませんが、兵庫県に居た頃に三木鉄道とか北条鉄道とかの地方鉄道会社の姿を見ていますから、こちらの鉄道の風景にもあまり違和感を感じませんでした。

 

 Oさんの目的のひとつが、上図の駅構内に留置されたままの2輌の運行終了車輌でした。以前はもう1輌あったそうですが、老朽化のために廃車となって解体されたそうです。この2輌もいずれ同じ運命をたどるのでしょうか。

 

 2輌の運行終了車輌のうち、外観がやつれていて古ぼけてみえるほうがキハ222です。昭和37年に富士重工で製造され、北海道の羽幌炭礦鉄道で使われていた車輌です。
 その羽幌炭礦鉄道が昭和45年に営業廃止したのに伴って昭和46年に購入し、平成27年5月の運行終了までこちらで働いていたものです。

 

 現行ホームのほうに、運行中の車輌の一つであるキハ37100が入ってきました。ひたちなか海浜鉄道が保有する一番新しい車輌で、平成14年に購入されました。
 私がガルパン巡礼にてこの鉄道の利用も始めた頃には、アニマルラッピングトレインとして運行されていましたが、現在は「いきいき茨城ゆめ国体&大会」のPR車として新たにラッピングした姿になっていました。

 

 線路脇に建つコンクリート造の給水塔です。蒸気機関車が運行されていた昭和40年までは現役で稼働していましたが、その後は設備の廃止にともない、タンクも撤去されています。その架台であるコンクリート部分だけが残されていますが、この種の遺構は現在では稀ですので、貴重な存在です。

 

 過去の遺構と最新の車輌とが同居する、地方ローカル鉄道ならばでの風情豊かな情景です。

 

 ぐるりと駅周囲をまわる形で踏切を渡り、駅舎への道路に戻りました。

 

 駅名標は、最近に上図のオシャレなデザインに変更されています。かつては上野駅発の海水浴客用の特急がここを終点として運行されていたそうですが、当時の賑わいを超える利用客数はもう得られないそうです。

 

 その栄枯盛衰の歴史を象徴するかのような、キハ222のボロボロの姿です。廃車解体へのプロセスはもう避けられないのでしょうか。

 

 Oさんはしきりに「痛々しい」「見るにしのびない」と話していましたが、既に日本の鉄道史においては消えて行った車輌も数あまたです。窓ガラス越しに車内をのぞきこむと、まだ車内は運行当時の状態のままであるようで、今も普通に乗れそうな感じでした。

 ですが、この車輌が動くことはもう無いのだそうです。代わりに新型車両を購入して運行しているのてすから。

 

 大洗に戻ったのは夜になってからでした。Oさんが必ず立ち寄るという、祝町の好梅亭に行きました。このお店にOさんは大量のガルハンクリアファイルを寄贈しており、この日も何枚か寄贈していました。お店の方が欲しがってる、という話でしたが、実際にはOさんが以前から定期的に寄贈を続けて現在の状況に仕立て上げたもののようです。

 

 なので、いまの大洗においては、このお店がガルパンクリアファイルの最多のコレクションを保有している形になっています。何百枚とあるらしいのですが、御覧のように壁スペースが限られているため、全てを見ることは不可能です。ちょっと勿体無い気がします。  (続く)

 

コメント (2)
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